13 大上くんに花束を 二

「そういえば、今日は秘書さんとは」

「うん、別行動なんだ」


 施設前のバス停で、所長とふたり並んでバスを待っている。じきに、遠くから野太いエンジン音が聞こえはじめた。


「所長は、手荷物扱いでしょうか」

「失礼な子だな。気にしなくていいよ、普通に乗れるから」

「そうですか」

「でも、ちょっと頼みたいことがあってね」

「なんですか」


 バスのドアが開く。わたしは所長を胸元にかかえ、乗り込んだ。紙袋は肘に提げている。


「すまないねえ。ステップには届くんだけど、あのバスの底から漂ってくる匂いが、どうも苦手でね」

「いえ」

「お、いちばん後ろの席が空いているよ」

「誰もいないようですね」


 わたしはバスの後ろの座席に座った。所長はわたしの膝に、妙にちょうどよく収まっている。こう見ると、ただのウサギにしか見えない。


「なにが入ってるんだろうね?」


 所長が紙袋を見ながらいった。


「月の加工食品とプラパックがいくつか、あとは保冷剤です」

「ほう。プラパックの中身は?」

「見てません」

「手料理かな。泣いて喜ぶだろうねえ、彼」


 所長がそういうと、バスが低い音を立てながらゆっくりと動き始めた。


「先に言っておくと、私の声は君以外には聞こえていない。だから基本的には、わたしが何か言っても仕草で返事するか、黙ったままでよろしい。変な子だと思われるからね」

「はい」

「車酔いはするほう?」

「いえ、大丈夫です」

「それは良かった。私はわりとひどいほう。うぷ」


 わたしは、所長をなるべく揺らさないようにしよう、と決意した。


🚍


「う~ん。もう体力が2くらいしかないよ。ごめん、しばらく歩かないで」


 所長はわたしとバス停へ降りるなりそう言った。所長がもし人間の形になったら、真っ青な顔色をしていることだろう。


「お疲れさまでした」

「僕思うんだ。バスなんて、みんななくなってしまえばいいのにって」

「お辛そうですね」

「分かってくれるかい。いっしょに地球から自動車をなくそう」

「おひとりでどうぞ」

「言ったね? 人類の許可貰っちゃったよ僕。宇留賀くんに相談しよっと……うぷ」


 ぐでんと力を失くした所長をかかえ、わたしはバス停から歩き始めた。


「もう歩くの……じゃあ、すぐ先に駐在所がある。そこを右に……」

「わかりました」


 それからわたしは所長の案内どおり、田園地帯のひろがる閑静な田舎街を歩いていった。



🌙



「わあ、ウサギだ! 可愛い〜!」

「なんという種類でしょう? 図鑑でも見たことがありませんね……」

「ウサギって美味しいのかなあ」

「ねえ丹羽くん。助けてくれないかい」


 三人の子供は所長に興味津々らしく、女の子は抱きつき、眼鏡の男の子は毛並みを調べ、恰幅のいい男の子は指を咥えて涎を垂らしている。所長の声にはどことなく恐れが混ざっており、約束通りわたしは聞こえないふりをした。


「ウサギさん喜んでるみたい。遊んであげてね」

「ねえ丹羽くん」

「わーい、遊ぼうウサギさん!」

「ユメカちゃんずるいですよ!」

「ねえねえ美味しいのかなあ」

「私さっきバスで『基本的に』って言ったよね。今わりと緊急事態なんだ。ねえ丹羽くん反応してくれないと私困るよ嗚呼そこ引っ張らないで尻尾は着脱式じゃ、」

「解剖しましょう!」

「ダメだよ! そんなの可愛くないし」

「美味しいのかなあ」

「丹羽く〜ん」


「うるせえなあお前ら」


 和室の奥に敷かれた布団から、聞き馴染みのある声が投げかけられた。


「あ、エイジ兄ちゃん起きた!」

「頼むから他所で遊んでくれ……」


 その声は紛れもなく大上さんの声だが、まるで喉に砕いた花崗岩が詰められているかのように乾ききっていて、普段の見る影もない。わたしはその枕元に近づいた。


「大上さん」

「うわあびっくりした! なんだお前いつからいた!」

「さっきです」

「寄るな! 風呂入ってねえから……」

「狐崎さんからお見舞いの品を届けにきました」

「なッ、」


 大上さんは空砲のような咳を布団の中になんども撒き散らした。呼吸を整えようと息をするたびに新しい火薬が装填されている。辛そうだ。


「なんでお前がそれを……ごほっ、持ってくんだよ」


 大上さんは少しずつ起き上がり、わたしの持つ紙袋を見ながら、なんとか聞き取れる程度に濁点を取り除いた声でそう言った。


「狐崎さんに言付かりました」

「直接渡されたのか?」

「いえ、お部屋にあるからと」

「……忘れて部屋出たな、あいつ」


 大上さんは急に倒れこみ、布団のなかに潜った。


「そこ置いといてくれ。あとで見る」

「でも、はやく食べないと腐ります」

「食べものなの!?」

「いたい」


 恰幅のいい男の子が、一歩目で所長の足を踏んでから機敏な動きで近づいてこようとしたそのとき、


「ダメだよユキオくん!」


 と女の子が叫んだ。ユキオくんはぴたりと動きを止め、振り返って女の子を見た。「ヤスくん、これ持ってて」「はい」「コレ?」女の子は所長を眼鏡の男の子に預け、立ち上がって私とユキオくんの方へ近づいてくる。


「いい? ユキオくん。これは食べちゃダメなの」

「どうして……?」

「どうしても!」

「はい」


 女の子は次にわたしを見、右手で内緒話をするジェスチャーをしながら左手でわたしに手招きした。わたしは耳を近づけた。


「あのね。ユメカ知ってるの。エイジ兄ちゃんはね、そのこざきさん、って人が好きなの」


 ユメカちゃんがみんなに聞こえる声でそう言うと、爆発したのではないかと思われるほどの咳を繰り返してから「お前何言ってんだ!」大上さんはいつもの声を張り上げた。ユメカちゃんは顔色ひとつ変えずにこう続けた。


「こざきさん、ってひとを困らせないようにね、兄ちゃんね、気持ちをかくしてるの。こういうのね、じゅんあい、っていうんだよ」

「じゅんあいってなに?」

「美しいもののことです……っふ」


「お前らマジでいい加減にしろよ!」


 大上さんが立ち上がると、三人はきゃあと歓声をあげて蜘蛛の子を散らしたように障子を開けはなち部屋の外へ逃げていった。大上さんはそれを追いかけ廊下へと走っていく。


 五秒後、どしんと派手な鈍い音がしたので所長と廊下を覗くと、大上さんが気を付けの姿勢でうつぶせに倒れていた。


「エイジ兄ちゃん死んだ!」

「労災はおりないよ」

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