5 一体
『処理の限界が近いね。正直なところ、この予算だとどう足掻いてもここら辺で頭打ちね』
「そこをなんとか〜」
『ナンとかもチャパティもないね。現実を直視し受け入れる、アンタら世代の宿命あるね。同情だけはくれてやるね』
「お願いバイジーちゃん〜〜〜」
『無理。ない袖は振れないある』
『——というわけで、先にマシン部の方へ挨拶に行っていただきました。慌ただしくて申し訳ありません』
モニターに向かって手を合わせる狐崎さんを尻目に、わたしは上司Aさん(彼はほんとうにそう名乗った)から研修を受けていた。
事業企画部の執務室は三階の一角にあった。マシン部とは比較にならないほどこじんまりしたその空間には、空きスペースをさらに狭めるように、背丈ほどの大きさの黒い箱があちこち発光しながら乱立している。なにやらエネルギーシステムに問題が起こっているらしく、天井は配管や配線が剥き出しになったまま照明がついていない。そういう不穏な暗がりを、黒い箱の点滅とささやかな非常照明、そして数枚のモニターからの青い光だけがぼんやりと照らしだしていた。
『大上君とは話せましたか?』
上司Aさんはわたしにそう訊いた。
「はい」
『吉岡さんのことは何か聞きましたか?』
「吉岡さん?」
『親方、と呼ばれている職員のことです』
「ああ。いえ、ほとんど何も」
『そうですか。彼は現在自宅療養中で、来月から復帰する予定です。といっても、膝を傷めているだけですので、心配には及びません』
「はい」
『狐崎君からも聞いていることと思いますが、この施設で勤務している生身の人間はあなたたち四人のみです。残りの職員は八割がウサギ、二割が
わたしはスーツ姿にメガネをかけてウサ耳を生やした誠実そうな男性がモニターのなかでにこやかに話すのを見ていた。まるでアナウンサーのような完璧な発音と適切な抑揚、すべての顔の平均を取ってほんのすこし数値をいじったような人工的に整えられた端正な顔だち。この上司Aさんこそが、われわれ事業企画部の部長だった。
『バイジー君は、本施設におけるサイバーシステムの構築、管理、防衛のすべてを行なっています』
わたしは「バイジー」と呼ばれる中華趣味の衣装を身に着けた少女の映るモニターを見た。彼女は頼み込む狐崎さんを一瞥もせず、サングラスをかけてビーチチェアに座りトロピカルなジュースを飲んでいる姿で表示されている。その画面の右上には立体的にレタリングされた「BYG-1」というロゴが地球儀が廻る要領で斜めに回転している。
「凄いですね」
『ええ。ですので事実上、彼女こそが本施設の最終防衛ラインと言って差し支えないでしょう。では、さっそく本題に……』
そのとき、視界の外でことりと物音がした。音の先を見ると、デスクの右端には湯気のたつ湯呑みが置かれていて、そのそばにうすピンク色のふわふわしたものが上向きにふたつ突きだしていた。それはゆっくりと降下して、デスクの影に消えていった。わたしは暗がりをじっと見つめた——そこには、振り向きざまに愛想のよい会釈をして去っていく、うすピンク色の後ろ姿がぼんやりと確認できた。
『事務の藤原さんです。彼女の淹れる和茶は絶品ですよ』
「なるほど?」
飲んだことがあるのだろうか。
『事業企画部にはもう一兎、宮間というメンバーがいるのですが、まあ、今はいいでしょう。では気を取り直して、本題に入ります。資料には目を通してきましたか?』
「はい」
『素晴らしい。では質問です。企画書を作成する段階で、必要になるものがあります。それはなんでしたか?』
「
『その通り。その意志を基に、我々は事業企画を立案するわけですね。では、これまでの朔望令にはどんなものがありましたか?』
わたしは資料に書いてあることをそのまま読みあげた。
「ガンガンいこうぜ」
『
『——それが嫌なら今月の予算にゼロをひとつ、いやふたつは増やすね』
「バイジーちゃんの鬼! けちんぼ!」
『コザキ、これでも相当半額シールあるよ。これ以上値切ろうものなら、ワタシは良くて職務放棄、悪くてお仕事ボイコットある』
「どっちも同じだしどっちも無理〜〜!」
『責任と対価は等価交換あるね』
『二人とも、もう少し静かに打ち合わせできませんか……失礼、では今年度の朔望令についてですが、要するにどのような内容でしたか? あなたはどう読みましたか』
あの多岐にわたる項目ごとの示唆に富んだ指示。例えば「良質な商品を品質の低下なしに地球消費者へと届けるための技術的努力」、また「地球消費者のニーズに合わせた商品開発および改良」、ひいては「地球の豊かな食文化の維持と向上」。つまるところ、
「ガンガンいこうぜ」
『
上司Aさんはハンサムな笑顔を崩さずにそう言った。
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