2 月世界より
人類が月へと辿りついたのは二〇世紀の終わり頃だと誰もが思っている。だがそれは単なるカモフラージュ、仮初めの歴史に過ぎない。そもそも人類がほんの数回しか月に降り立っていないなどということがどれほど馬鹿げたことか、少し考えてみれば分かるだろう。ファミコンぐらいの脳味噌しか積んでないチープなロケットでも行けるんだから、ちょっと工夫すれば子供にだって六分の一の重力を体験しに行けるさ。それはともかく、
「我々月世界の住民は、太古の昔から人類の皆さんととても良い関係を結んできた。主に、貿易というカタチでね」
わたしは所長じきじきに、この施設が何のための施設なのかを教えてもらっていた。ここは月で製造されたさまざまな商品を地球に輸入するための、いわば港らしい。スクリーンには、ウサギの耳を生やした月と地球が仲良く手を繋いでいるイメージ画像が映し出され、その上には「Win-Win」という大きな文字が点滅している。
「白い食べものってあるでしょ」
「はい」
「たとえば?」
「お豆腐」
「はいはい。ほかには?」
「お餅」
「あぁ〜、うんうん。あとは?」
「チーズ」
「そだね。そういうの全部
わたしは黙って所長の顔を見つめた。
「何言ってんだこいつって顔してますよ、所長」
「うん。まあそういう反応だろうね」
——元々は全部月で作ってたんだけど、地球の方でも作りたくなっちゃったみたいでね。月の商業権を侵害しない範囲でなら製造・販売してもよいことになってるんだ。でもきみがスーパーで見たことのあるメーカーの大体六割から七割は、うちの商品をそのまま横流ししてるか、もしくはガワだけちょこっと加工してから独自の包装を施して売り出してるのさ。
「そもそも地球産のものとは原材料からして違うけどね。でも成分は概ね一緒になるように調整してる。昔はそんな手間要らなかったんだけどなあ」
「何で出来てるんですか」
「ん?企業秘密」
横目で狐崎さんを見ると静かに首を横に振っていた。わたしはそれ以上聞くのを辞めた。
「何か質問はあるかな? 原材料に関する質問以外でね」
「ここは、正式には何という施設なんでしょうか」
「う〜ん。それ、実は難しい質問なんだ。対外的には『国立倫理研究法人食品基準研究所』って銘打ってるけど、実際のところは単に『月・地球間連絡港』ってとこかなあ。ここは地球で唯一の月との貿易拠点だからね。名札を付けて区別する必要もないし、誇示する必要もない。みんな好きに呼んでるよ」
「地球で唯一?」
「そう。昔から月にはウサギさんが住んでるって言われてるでしょ、この国では。一回バレたとき大変だったんだよなあ。とあるスタッフがヘマしてね。その尻拭いで月表面をぎりぎりウサギに見えるか見えないかくらいになるまで三百年かけてゆっくり加工したんだ。あれはしんどかった」
「確か中国にもそういう話があったような……」
「月を改造したって?」
「いえ、月にウサギが住んでる、という」
「あぁそだね、加工した表面見た誰かがまんまと言い出したのかな? 分かんないけど」
「なぜ日本だけなんですか?」
「ん? だって日本人はあんまりウサギを食べないでしょ」
🌙
「——ぶはあ! もう、ほんとあの空気堪え難い」
ミーティングルームを出てロビーに着いた瞬間、狐崎さんがそう言った。今朝所長室を出たときも同じような青い顔になっていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ!まったく、頭おかしくなりそう」
狐崎さんは勢いよくソファに身を預けた。わたしは冷水機で水をくんだ紙コップを手渡した。「あら、ありがと」狐崎さんは礼をいって水をあおった。
「ふう。私、元々ウサギ得意じゃないのよね。なんかよくみると怖い顔してるでしょ。何考えてるか分かんないっていうか」
「そうですか?」
「そう思わない?苦手な人意外と多いと思うわよ。キャラクターだと全然好きなんだけどね。マイメロとか」
さあ仕事仕事、と狐崎さんは立ち上がり歩きはじめた。わたしはその後ろを着いていった。
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