植木鉢とりんご

うっすらと滲んだ灰色が地面に布地を敷くように空を覆っている。



風が強く、換気扇の回る音がカラカラと音を立てている。


音があんまりにも響くものだから、私は深い眠りに付けなかった。



そのせいで頭に靄のかかった感じがして、うっかりしてしまった。



本当にうっかりしてしまった。



後悔した所でもう遅い。



ベランダの棚にあった植木をしまうのを忘れてしまっていたのだ。



風に薙ぎ倒されて、横倒しになった鉢から、

土が飛散し、植木も根ごと鉢から引き剥がされ、枝は折れ、葉も散ってしまっていた。





この植木は、大事なものだったのに。





植木は彼から預かったものだった。

少し遠くに仕事をしに出かけるからと、植木を私に託したのだ。


そして今日は彼が帰ってくる日。

夕方の6時に自宅近くのお店で、待ち合わせをしていた。



正直に打ち明けるべきか。



それとも、隠してしまうか。











そうだ、新しいのを買ってこよう。



新しい植木があれば正直に話せるような気がした。



植木鉢を買いに園芸屋に向かった。



外は雨が降っていた。



園芸屋の店主に聞くと、その植木鉢はどこにでもあるようなものではないそうで、売っていなかった。



彼が帰って来るのは、日が暮れてからだから、まだ時間はある。



店主に売ってそうな園芸店を紹介してもらい、歩道橋の軒下で雨を凌ぎながら、一軒ずつ電話をかけた。



しかし、聞いても聞いても売っている店は出てこなかった。




雨風が強くなって来た。




雨が舗装した道路を強く叩く。




足元まで伸びた灰色ズボンの裾が、

淀んだ黒色に変わっている。



息も寒さで白くなった。






歩道橋から子供の声が聞こえて来た。

雨合羽を着た小学生達が歩道橋を走り回っていた。





時計を見るともう夕方。


淀んだ雨雲が、時間を隠していた。






教えてもらった、最後のお店に電話を掛ける。






電話のリングトーンが鳴り、雨音をかき消す。






どうかありますように。







「ああ、置いてますよ」



店主の声に、高揚した。





時計を見ると、夕方5時。

お店は少し離れた場所にあったが、彼が帰って来るまでにはギリギリ間に合いそうだった。



「あの…取り置いてもらえますか?」



バッシャーン!




「?」





激しい音の後にすぐ泣き声が聞こえた。


声は歩道橋の階段、見ると小学生が階段から転んでしまったようだ。





「わーん。わーん」



一緒にいた小学生達が女の子をおろおろと見守る。




「わーん。わーん」






私は気がつくと、その子供を抱き上げていた。



近くに座らせ、泥をはたき、擦りむいた所を拭くと、その子供は少しだけぐずり、ふっと泣き止んだ。



「あり、がと、」




子供の。


痛みで歪んだ笑顔が痛々しかった。



周りの小学生達の中の一人が、手を開くと、りんごのキーホルダーが収まっていた。




キーホルダーの繋ぎ目は、壊れていた。





「ごめん」





怪我をした子供は、悲しそうな顔を見せた。





その顔を見た小学生は、

突然。


りんごのキーホルダーをそのまま持って、

どこかに走って行ってしまった。



「あ、待って、うう・・・」



子供は追いかけようと立ちあがろうとしたが、痛みでまた座り込んでしまった。




怪我をした子供はきっと、これを取り返そうと追いかけていたのだ。





子供をおぶり、




家までの道を聞いて、雨の中歩いた。





子供の家は一軒家で、エプロンを付けた優しそうなお母さんが出て来た。




「あらまあ、そんなずぶ濡れになって、どうもありがとうございます」



風邪を引くからと、家にあがるよう言われたが、時間がなかったので断った。




ふと、帰る時、庭先を見た。




「!!!」




庭先に置いてあった植木鉢の並びにそれがあった。



「あの…」




私は植木を指差した。





ああ、


これを譲ってもらえば、彼に正直に謝れる。


そう思った。
















待ち合わせの店に行くと、彼はもう待っていた。



私が着くと、彼はずぶ濡れの私を見て、とても驚いた。




店の予約をキャンセルし、私の家まで彼に送ってもらった。




家に向かう車の中。


彼は私に何も聞かなかった。






玄関ドアを開けようと鍵を差し、ふと手が止まった。









「ごめん」











私はあの家にあった植木鉢を貰わなかった。







ベランダの植木鉢を彼に見せた。





そんな事より、君が風邪を引かないかのが心配だと、彼は優しく微笑んだ。






「植物は強いから、また枝や芽は伸びてくるし、根だって張るようになるよ」












一年が経ち、私達は同じ家に住む事になった。




あの植木鉢は彼の言葉通り、すくすくと成長し、青青と生い茂っている。



 






先日。



駅の近くで、りんごのキーホルダーが付いたランドセルを背負った子供を見かけた。





きっとあの、

どこかに走っていってしまった小学生は、

後で、修理して返したのだろう。





だって、子供の隣で、一緒に楽しそうに笑っていたから。

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