駅
人、人、人。
忙しなく流れ、行き来する、朝の風景。
「お荷物お身体お引きください。まもなく発車致します。これからのご乗車はおやめください」
毎日毎日、私の声は、人の群れの中に消えていく。朝の業務は緊張する一方で、虚しさを感じる。
「おはようございます」
その日も拡声器を手に持ち、アナウンスを繰り返していると、ランドセルを背負った少女が私に挨拶をして来た。
「おはようございます」
挨拶を返した。突然の事で、拡声器で挨拶を返してしまい、周りの人達は私達を振り返った。
すると、
「おはようさん」「おはよう」「おはよう御座います」
初老の女性が、中年のスーツを着た男性が、
制服を着た女子校生が、
行き交う人々が私に挨拶を返して来た。
私はアナウンスを続けながら、会釈した。
働き始めて数年、こんな風景は初めてで、
戦場の中に安息地を得たような、
ほっと息のできる、温かい気持ちになった。
虚しいと感じていた朝の業務が、色鮮やかに実りを得た。
その日から、少女は私に会うと挨拶をして来た。ランドセルに付けたリンゴのキーホルダーみたいにほっぺを赤くして、笑顔で、毎日私に挨拶をする。
そして、少女が挨拶をすると、周り行き交うの人々も挨拶をする。毎日の朝が楽しみになった。
それから程なくして、勤務駅が変わり、
少女と会う事はなくなった。
私は転属先の勤務駅で、朝の行き交う人々に向けて、挨拶をしていくようになった。
挨拶を毎日返してくれる人もいれば、ペコリと軽く会釈する人もいて、感触は人それぞれだけれど、少女から貰った彩りを、ずっと絶やさないようにしていこうと心に誓った。
それから10年後。
私は駅の窓口で朝の業務を行っていた。
以前までホームで行っていた挨拶は、今は窓口で継続して行なっている。
ある日、男子高校生が窓口に駆け込んできた。
「あの! ホームで具合の悪くてうずくまっている女性がいて、見てもらえませんか?」
「えっ!? どちらですか?」
「上りの2号車輛付近です」
「わかりました。向かいます。一緒に来てもらえますか?」
「すみません、俺…約束があって、もう行かなきゃいけなくて…」
「わかりました。どんな女性ですか?」
「鞄にリンゴのキーホルダーを付けた女子校生です」
「リンゴ…」
あの時の少女がランドセルに付けていたのも、リンゴのキーホルダーだった。
「…わかりました。私の方で見てきます。情報ありがとうございました」
男性高校生は去って行った。
男性高校生の言っていた場所に行ってみると、一人の女子校生が電車を待っていた。
鞄にはあの少女が持っていたのと同じ、リンゴのキーホルダーが付いていた。
高校生になった少女は、とても美しかった。
「大丈夫ですか? 体調が優れなくて動けない方がいると聞きました。救護室へご案内しましょうか」
「あ…大丈夫です。…良くなりました」
「そうですか、良かったです」
「あの…どなたが知らせてくれたのですか?」
「男性ですね。お名前は聞いてませんが」
「今どちらに?」
「急いでいるそうで、すぐに行ってしまって…」
「…そうですか。どんな方でしたか?」
「紺色の制服を着た学生の方でした」
「…わかりました。ありがとうございます」
少女は笑顔で、私に会釈した。
頬をリンゴのように赤くして、少女は電車に乗り込んでいった。
少女が向ける笑顔が私を癒したように、きっと他の誰かの心も癒すのだろう。
私は今日も駅を行き交う人々に、
「おはようございます」と、挨拶をする。
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