(3) そんな消印あるかっ!
お昼休みに入ったのを見計らい、私は携帯を手に職場の近くにある公園へと向かった。
誰もいない小さな公園のベンチに座り、ダイヤルの数字を一つずつ確かめながら、調べた番号を押して通話ボタンにそっと触れた。コール音が聞こえた瞬間に緊張は一気に跳ね上がり、無意識のうちに呼吸が荒くなっていく。むしろこのまま繋がらなければいいのに、なんて真逆のことを考えているうちに電話は繋がった。
「オベリ警察署生活安全課です」
「あ、あのっ。すみません、えっと、相談したいことがありまして……」
普段から仕事で電話を使うことには慣れているはずなのに、思うように言葉が出てこなかった。まるで電話をするのが初めてみたいなぎこちなさに、自分でも笑ってしまいそうになった。
「どうされました? ゆっくりでいいので、お話し聞かせてもらえますか?」
「はい……あの、勘違いかもしれないのですが、知らない男性に毎朝後をつけられているかもしれなくて」
「わかりました。担当の刑事に繋ぎますので、少しお待ちくださいね」
電話に出た女性は優しい口調でそう告げ、すぐに保留音が鳴り響いた。
変なこと言っていなかったか、これで良かったのかと溜息をついていると保留音はすぐに途切れて、人の声や物音が雑多に重なった音が聞こえてきた。
「もしもし、お電話代わりました。東堂と申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はい! 野上涼子と申します」
「野上さんですね。ストーカーに遭っているいるかもしれないとのことですが、状況を詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
冷たささえ感じるような淡々とした口調に緊張はさらに増したものの、あの車から1日でも早く解放されたい一心で必死に話した。
最初は緊張して上手く話せなかったが、状況を整理して箇条書きに書き出したメモを見ながら説明するうちに言葉もスムーズに出るようになっていた。淡々としていた東堂さんも、10分、20分と話すうちに口調は柔らかくなっていた。
「なるほど。毎朝同じ時間に同じ道からやってきて、同じ場所に車を停車。野上さんが通っているコンビニまであとをつけてくるわけですか」
「たまたまの可能性もありますし、今のところ何か被害を受けたというわけではないのですが、気味が悪くて……勘違いだったら申し訳なくて、相談するのも躊躇していたんです」
「何を言っているんですか。勘違いならそれでいいじゃないですか。何か起きてからでは遅いですからね」
その一言で私の中にあった躊躇いや、東堂さんに対する印象ががらりと変わった。
勝手な想像と憶測でしかなかったが、ストーカー関連の相談をしても相手にされないか面倒だと思われて適当にあしらわれると思っていた。だから、佑君に勧められても頷けずにいたのはそのためた。
「まずは明日の朝、野上さんのお住まいのアパート周辺を見回ります。様子を見て、今後のことをまたあらためて話しましょう」
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします!」
電話の向こうにいる東堂さんに向かって深々と頭を下げ、小さく安堵の溜息をついて電話を切った。
これで解決へ一歩近づいたかもしれない。そう思うと心がほんの少しだけ軽くなったように感じた。だが、それはほんの束の間でしかなかったのだ。
仕事を終えてアパートに帰宅した時だった。玄関の電気をつけて、ふとドアの郵便受けに一通の封筒が入っていることに気づいた。
「郵便? 何だろう、これ」
届いていたのは一通の茶封筒だった。
手に取った一瞬でその違和感に体が固まった。本来そこにおさめられるものはたかが知れていて、せいぜい数枚程度の書類くらいだ。だがそれはパンパンに膨らんでいて、なぜかフワフワのクッションのような柔らかさだった。
中身も気になるところだが、それを送って来た相手が気になって封筒を裏返すも、なぜか差出人の名前がどこにも書かれていない。それ以上に奇妙なのは消印だ。
貼られた切手の上に押されているそれは、丸い円を二つに割るように一本線が入っていて、上半分に「消印」という文字が入っている簡素な物。投函された場所の名前はもちろん、日付なども一切ない。どこからどう見ても、手作りのスタンプでしかないのだ。
「いやいや、ストレートに消印って書かれた消印なんてあるかっ! えっ、怖いんだけど。なんなの!?」
盛大な独り言を玄関で叫んでも何の解決にもならない。このまま開けずに捨てるという手もあるが、不安から解消されたい思いが「開けてしまおう」という暴挙に走らせるのだ。恐怖心を堪えながら、私はその封筒を開けた。
「えっ……これは、なんでございましょうか」
答えなど返ってくるはずのない呟きが玄関に空しく響いた。
封筒から出てきたのは、それはもう派手でいやらしくてエロさ満載のランジェリーだった。しかもタイプの違うのが二つ。茶封筒がパンパンに膨らんでいたのはそのせいだったようだ。
人間というのは、理解不能な出来事に直面すると、言葉はおろか思考も停止するらしい。私はランジェリーを雑巾のように摘まんだまま動けなくなってしまった。
そもそも、これは誰が送って来たのか。間違って送られて来たのかともおもったが、宛先は紛れもなく私だったから、この封筒はここに私が住んでいることがわかった上で送られてきている。
そこで行き着く疑問は消印だ。どう見ても手作りされた消印では郵送されるはずもない。おそらく、配達されたと思わせているだけで直接ポストに入れた可能性が非常に高い。そして脳裏を過ったのはあのマッチョザ〇エルおやじだ。
「いやいや、いやいやいや! きっと佑君だよ! 佑君が私をからかって入れたんだよ、きっと」
私は必死で何度も呟いて言い聞かせた。
見ず知らずのストーカーオヤジがここへやってきてポストに入れたという可能性よりも、彼氏からのプレゼントであったほうが何百倍もマシだ。最悪の可能性を思い浮かべないよう、ただただ明るく否定することしかできなかった。
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