第4話 シスターコンプレックス

 

 由佳は負けず嫌いで男勝りな節がある。相手が男であろうとガツガツ向かっていくような、俺とは真逆のタイプだ。故に、このような面倒事はよく起こしていた。最近はめっきりなくなったと思ったが……。

 どうやら揉め事はますますヒートアップしているようで、野次馬もそこそこ増えている。近くの男子が、「止めに行く?」「やめとけって。飛雄に歯向かったら、それこそ女子全員の目の敵だぜ」だのなんだのひそひそ呟いている。

 

「行くぞ、五郎丸」

「え? い、行くって……」

「帰る。さっさと漫画を描かねばならんからな」

「し、しかし、由佳殿は……」

「ほっとけ」

  

 巻き込まれても勘弁だ。そそくさと歩いて、現場の横を素知らぬ顔をして通り過ぎる――寸前で、足を止めた。


「や、やめてよっ! 放してっ! やめてっ!」

 由佳の悲鳴が鼓膜をくすぐる。ぶるりと体が震えた。

 

 由佳は負けず嫌いで男勝りな節がある。相手が男であろうとガツガツ向かっていくような、俺とは真逆のタイプだ。故に、このような面倒事はよく起こしていた。

 ベッドの上で蹲り、心を失ったように日夜ぼーっとしていた由佳の姿を思い出す。由佳は可愛い。だから、危険にも巻き込まれる。そのくせずかずかと歯向かっていくから、危なっかしいし、敵も作りやすい。

 ……のくせに心が雑魚だから、すぐに壊れる。


「――助けて……おにーちゃん」

 縋りつくように助けを求める、かつての由佳の姿を思い出したら、いつの間にか体が動いていた。

 由佳は揉め事をよく起こす。そのたびにその尻を拭うのは、いつも俺だ。

 

「も~。落ち着いてってば、由佳ちゃん。俺さぁ、馬鹿で落ち着きがない女、嫌いなんだよね。ぶん殴りたくなる」

「え……? きゃっ!」

 色欲担当だとかいうクズ男が拳を振り上げる。人混みを掻き分けて、即座にその前に躍り出た。振りかぶられた拳を顔面で受け止める……が、しかし、クズ男は衝突の寸前でピタリと拳を止めた。


「……え? お、おにっ」

 そこまで言いかけて言葉を止める由佳にため息が漏れる。……この期に及んで、まだ俺がお兄ちゃんだとバレたくないのか。

 

「何? お前……誰? モブ?」

 色欲くんは余裕感を醸し出してにやにや笑う。へらへらしやがって。一番嫌いなタイプの人間だ。一貫性がない。筋が通っていない。自分の発言に責任を持たない。都合が悪いとすぐに逃げる。人の優しさに漬け込む。……クズめ。

「え~? 由佳ちゃん泣いちゃったの? うっそ、あんだけ威勢はっといてそりゃないでしょ。ちょっと、やめてよ~。俺が悪者みたいになってる? ほんとうに殴るわけ無いじゃん? ふたりともマジになっちゃった感じ? たたぁ……」 

「本気で殴るわけじゃなかったら……いいのか?」

 

 俺の言葉に、空気が一斉に凍りつく。滑った時特有の、なんともいえない空気感だ。

 

 好奇心、侮蔑、無遠慮な視線を一斉に浴びる。

 どうやら相当な数の野次馬が周囲に集まってきているらしい。

 

「誰アレ……?」

「陰キャが頑張っちゃった感じ?」

「動画撮れ、動画」

「なんかおもしろそーなこと起きてんじゃん」

 

「……えっと、なに? 俺さ、モブキャラの言葉、耳に入ってこないんだよね」

「本気で殴るわけじゃなかったら、いいのか?」

「あー、ああね。良くない? 何がダメなの? だって、当てないんだよ? 遊びでしょ」

「それで、怖がる人がいても?」

「うわ、なにそれ。だっる。だるすぎ。……屁理屈じゃん」

「そうか。なら――」

 

 足を踏み込む。拳を振りかぶる。突き出した拳は空を引き裂き、色欲くんの顔面めがけ吹っ飛んでいく。

 彼もその意図をすぐに理解したのだろう。強がるように歯を食いしばり、反応しないようと強がっているらしい。

 しかし、俺は速度を緩めること無く、ますます拳を加速させた。

 

 ニヤリと笑う。

 それを見てか、色欲くんが目を見開く。


「どぅわっ、っちょ!」

 色欲くんは慌てふためいたように飛び跳ねると、蹲り、顔にひさしを作るように手でガードをしてみせた。

 

 拳はかすりさえせず、どころか色欲くんが元いた場所にすら届くことなく止まっている。

 あたりを数秒の静寂が包み込んで、くすくすと四方から笑い声が巻き起こった。


「由佳ちゃんよりビビってたくない……?」

「ありゃダっせー……」

「ちょっと幻滅……」

 

 色欲の顔に焦燥がにじむ。しかし、未だ戦意は折れていないらしい。まだ勝っているつもりすらあるようだ。彼は怒りをむき出しにした顔でこちらに詰め寄ると、「何様のつもりだよ、アンタ。モブのくせに、何?」なんて、さっきまでのあの余裕感はどこいったのか、早口でまくし立てるように唾を飛ばしてきた。


「まあまあ、落ち着けよ」ニヤリと笑う。「俺、馬鹿で落ち着きがない男、嫌いなんだ」

 

 ギリ、と色欲が奥歯を噛みしめる。折角のご尊顔が台無しだ。

 

「なんだよ……。お前、なに? 由佳ちゃんに気があるとか?」

 

 腹を抱えて色欲は笑う。何やら、別の方向から攻めてくるらしい。まったくもって無様だな。敗北を認めて素直に謝ればいいものを。

 

「やめとけって。バカだろ! なに? 助ければ、少しでもつり合うとか思っちゃった!? 無理無理、お前さぁ、鏡見てから来たら? ブスなんだから、身の丈にあったことをしなよ。遺伝子レベルでつりあってないじゃん。ね、由佳ちゃん? 由佳ちゃんも、こんなブスは嫌でしょ?」

 

 ……呆れて声も出ない。

 

 こいつと比べれば、木梨はまだまだ全然可愛い。

 色欲担当? そんなの、七つの大罪に不敬だろう。こいつはただの、醜いクズ担当、ちんかす野郎だ馬鹿野郎。 

 

 くはは、と腹を抱えて笑い返す。

 長く伸びた前髪をかきあげて、デコを合わせるくらいに詰め寄った。

 

 怯えるように後ずさる色欲くんの瞳の奥を、じっと見つめる。


「つり合わなくて悪いな。……俺と由佳は、血の繋がった兄妹なんだが」

 

 ハーフだった祖父の血の影響か、俺と由佳の瞳は青く濁っている。

 その瞳の青さを見て察したのか、色欲くんはハッと息を呑んだ。

 

「お……お兄さん……?」

「……は? お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはないな。お前に俺の由佳はやらん」

「え、えっと……す、すみませんでしたぁッ!」

 謝罪と周囲の喧騒を残したまま、颯爽と色欲くんは走り去っていく。

 

 敗北を認めたら即逃亡か、都合のいい奴め。

 たどたどしく立ち竦む由佳を振り返って、ため息をつく。


「おい由佳……」

 その声の低さに、怒られるとでも思ったのか、由佳はびくりと跳ねると目をきゅっと瞑ってみせた。 

 こういう臆病な性格も、変わらず昔のままだな。


「弁当、後で届けに行くから。教室で待ってろ」

「……え?」

「五郎丸、行くぞ」

 

 人だかりをそそくさと抜けて、五郎丸を引き連れて喧騒から逃れ去る。

 まったく、うるさいことこの上ない。


「あれ、由佳ちゃんのお兄ちゃんって本当!?」

「陰キャの星じゃん、あんなの」

「やっべー。飛雄くん完封とか、なにもんだよ」

 

 俺が飛び出した際には「陰キャ」だのなんだの宣っていたくせに、発言に一貫性のない奴らめ……。


「え、えっと……桐原様と呼ぶべきでござろうか……」

「やめろ。俺には、ガリガリ前髪エロゲ男のほうがお似合いだよ」

「す、凄いね、飛雄くん相手に」

「凄い、か……」

 

 何が凄いのか、俺には到底理解不能だ。

 当たり前のことをしたまでだ。由佳の兄として、当然の責務を。むしろ過剰に反応したことを恥ずべきだろう。

 つい俺も感情的になった。由佳も変わらないように、俺もまた変わらないらしい。……まったくもって、恥ずべきことだ。こんな平然を装っといて、まじで由佳が心配すぎて思わず飛び出しちゃったくらいの病的なまでのシスコンだなんて……。


「理屈抜きのおっきな感情、ね」

 

 小夜子の恋愛論を思い出して、ため息一つ。

 家族愛ではあるものの、なんとなくその意味を掴みかけた。

 

 

 

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くそったれハーレムに中指を ~妹に強制的にイメチェンされた結果なぜかクソハーレム状態になりましたが、純愛派の俺は誰にもなびかない~ 四角形 @MA_AM

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