第3話 五天竺


 教室を出て少し歩いた頃には、もう五郎丸の支えなしでも歩けるようになっていた。

 廊下を三人で並んで歩くさなか、浮かぶのはやはり漫画のことだ。

 

 小夜子は言った。俺の漫画はキャラが薄くてつまらない、と。


「なあ、五郎丸」

 不服ではあるが、聞くしかなかろう。五郎丸の掲げる信条は”キャラが漫画を創る”、だ。実際、面白おかしい唯一無二のキャラが彼の漫画の強みだと俺も批評している。

「お前はキャラを創る時、何を意識してる? 1からどうやって魅力的なキャラを生み出す?」

「簡単な話でござる」キリッ、と眼鏡を掛け直す。「現実にいる魅力的な人物を、漫画のキャラに落とし込むでござるよ。パンチが弱ければ、個性を強めるだけの話でござる」

「……現実の?」

 

 ふっふっふ、と五郎丸は不敵に笑う。

 

「これに関してはツイているでござるよ、桐原殿。我が咲華学園は、生徒数1500を超えるマンモス校。さらに我が校には――」


「――ああ!」

 なにか思い当たる節があったのか、小夜子がらしくもない声を上げる。長い前髪に隠れた目が、ちらりと弾みで見えた。くりくりで可愛らしい目だった。

 ……これもまた魅力的なキャラの要素か、なんて早速思う。


「咲華学園の美男美女五天竺ごてんじく! 確かに、五郎丸くんの作品読んだ時、似たキャラいるなぁって思ったの! やっぱり!」

 キラキラした声で小夜子が叫ぶ。どうやら小夜子も熱心になるほどの存在らしい。なんか、すっごい楽しそうだ。こう、彼女の周囲の空気がぽわぽわしてる。


「……五天竺? なんだそれ」

「あれ、桐原殿聞いたことないでござるか? 友達と話していたら、普通一度は話題に上がるのでござるが」

「んー? あー、いや、なーんか……聞いた覚えある気がすんなぁ」なんて咄嗟に強がったが、普通に致命傷だった。友達、いないからね、俺。

 

「えっとね、ここ、咲華学園には、俳優顔負けの超絶イケメン男子五人と、アイドル顔負けの美少女五人がいるって言われてて! それを、五天竺って呼ぶの!」

 小夜子は熱が入っちゃったらしく、「特に女子は凄くて、特に私の推しは桜花さんなんだけど……」だのなんだの語っていらっしゃる。 


「そんな騒ぐほどイケメンと美少女なのか?」

「分かる。その気持ち、痛いほど分かるでござるよ、桐原殿。ですが……ひと目見たら分かるでござる。男の拙者ですら興奮するイケメンでござるよ」

「なるほどな」

 

 確かに、現実にそれほど強烈な個性を持つ人間がいるのなら、彼らを参考にするのも良い手かもしれない。願わくば、その五天竺を拝めれば良いのだが。


「あ、噂をすれば早速――」

「お」廊下の向こうから、黒髪ボブカットの健康そうな少女が歩いてくる。由佳……俺の妹だった。「おい由佳!」


 声をかけるも、キャピキャピした陽キャギャル二人を引き連れて歩く彼女は、こちらを一切気にする様子もない。もはや視界に入っていないように振る舞っている。一瞬目があったが、表情を変えることなく素知らぬ顔をされた。


「桐原殿、い、今っ、ゆ、由佳って……え?」

 なんて五郎丸がなぜか隣で困惑しているが、今はどうでもいい。


 ため息をつく。


「おい由佳……。お前な、今日弁当忘れただろ」

 すーっ。話しかけども、彼女は振り返ることもせず俺の横を通り過ぎていく。

 聞こえていないのか。少しばかり声のボリュームをあげる。

 

「おい! 由佳! 弁当忘れただろ! 持ってきたから、昼に届けに行ってやるぞ!」

 

 すーっ。

 しかし、それでもやはり背は遠のいていく。

 左右にはべるギャル二人がちらちらとこちらを振り返りながら何やらを喋っている。うっすらと声も聞こえてくる。


「え、もしかしてあれが由佳のお兄ちゃん?」

「めっちゃキモキモ陰キャじゃん。……かっこよくて自慢の兄って話してなかったっけ?」

「ち、違うもん! あれは知らない人! ほんと意味わかんない。怖すぎ……!」

 

 ……あいつ。

 思っていると、ぶるりと懐が震えた。どうやら由佳からのメッセージらしい。


『学校で話しかけないで! こんなキモイお兄ちゃんと兄弟ってみんなにバレたくないから!』

 ピキリ。こめかみに青筋を立てる。折角、人が親切で弁当を持ってきてやったというのに、なんだその言い草。

 すーっと大きく息を吸う。兄として、お灸をすえてやらねばならんと思った。


「おい由佳~!」一斉に廊下の人間の視線がこちらに集まる。びくりと、由佳の背が跳ねた。「おい由佳ッ! 帰り買い物頼む! あとお前、今日は食卓で屁をこくのやめろよ、はしたないから!」


 くすくすと廊下で静かに笑い声が上がる。

 キュ~~っと、奥の方で小柄なボブカットの少女が縮み上がった。そのまま耳まで真っ赤にさせると、「最悪っ、もう行こ!」とそそくさ立ち去っていく。


「え、やっぱアレ由佳のおにーちゃんじゃん!」

「違う! ほんとに知らない人! もう最悪!」

「由佳ちゃん、おならするんだ」

「しない! しないもん! ……もう、ほんとムカつく!」

 

 逃げるように退散する妹の姿にニヤリと笑う。兄に歯向かうには少し時期尚早だったな、妹よ。


「いやぁ……流石の腐れ外道具合ですなぁ、桐原殿。って、そんなことよりでござるよ!」

 

 五郎丸はふんすと鼻息を荒くさせると、激しく俺に詰め寄ってくる。


「桐原殿の妹ちゃん、五天竺の一人、由佳殿だったでござるかぁああ!?」

「……は?」

 

 由佳が……例の五天竺?

 家ではぐーたら、部屋は散らかりっぱなし、毎日夜遅くまで友達とゲーム、家事の手伝いもしない、あまつさえ女だというのに下着は脱ぎっぱなし……。

 自堕落な妹の姿を回想して、ますます疑問が強くなる。 


 ……あいつが、本気で五天竺の一人だと?

 

「あ、ありえん……」

「す、すごいね、桐原くん! 生由佳ちゃん毎日拝めるなんて幸せだろうなぁ……。あ、よよよよ、よかったら……サイン、もらっておいてくれない、かな」

「よよよよ、よかったら……拙者に連絡先をよこしてくれないでござろうか……?」

「小夜子は良いが……お前はダメだ、五郎丸」


 やった! と飛んで喜ぶ小夜子と、がくりと項垂れる五郎丸。むしろ、こいつはなんでそんな戯言がまかり通ると思ったのだろう。不思議で仕方ない。

 

「にしても」五郎丸が俺の顔をまじまじと見つめる。一瞬で察した。こいつ、なんか失礼なこと言おうとしてるわ。「全然似てないでござるね。本当に血、繋がってるでござるか?」

「本当……俺もたまに不思議に思うよ」 


 ため息ひとつ。長く伸びた前髪を手で弄ぶ。

 由佳は確かに、贔屓目なしで見ても可愛い。母さん譲りのあどけなくも整った顔立ちは、男の庇護欲をくすぐるそれだ。

 ……どこでミスったかなぁ、神様。俺の遺伝子で遊びやがって。

 

「きゃああああ!」

 すぐ近くで悲鳴が上がる。何事かと思えば、廊下の先で人だかりが出来ていた。

 

「い、一体何が起きたでござ……っ、ぬわぁああぁああ!?」

 さらに五郎丸が発狂する。ただ事じゃないことだけはわかった。

「今日はツイてるでござるッ! 二人も五天竺と会えるなんてっ!」

「ってことは?」

「うん、ほら、あれ。あの人も五天竺だよ」

 

 学校の廊下のはずが、イベントでもあんのかってくらい人だかりが出来ている。

 その中央に陣取っているのは――ああ、なるほど、たしかにイケメンだ。


「はぅぁっ!?」

 隣で突然、五郎丸がつややかな声を上げる。体をもじもじさせて何してんだと思ったら、「イケメンッ」と蕩けた声で囁いた。脂ギッシュデブ眼鏡の吐息が俺の耳をくすぐる。

 あまりにも不快すぎる。勘弁してくれ。


「あれは……五天竺が一人、色欲担当、”甘いマスク”の飛雄ひゆうくんです」

「五人なのに七つの大罪スタイルなんだな」

「そうです。大人っぽい雰囲気と彼のエロティックを前にすると、女の子は一瞬でみんなメスブタになっちゃうらしいですよ」

 

 こしょこしょ話をする具合に囁いてくれる小夜子。 

 あどけない彼女の口から発せられる際どいワードのギャップに言葉が詰まる。

 

 メスブタか……。メスだけならどれほど良かっただろう。

「はぅう……」隣で悶々としている五郎丸を尻目で見て絶句する。文字通りのオスブタまで産んでしまうとは、恐るべし五天竺、色欲担当といったところか。

 

 180cmはゆうに超えるだろう。スラリと伸びた手足。まくられた袖、腕に浮かび上がる血管。特にくっきりとある涙ぼくろが、彼特有のエロスを際立たせている。見れば見るほど味の出るイケメンだ。

 

「にしても……羨ましいほどのハーレムでござるなぁ」


 ハーレム、ね。あれが……?

 群がる女どもはきゃあきゃあ騒ぎ、あろうことか互いに押しのけあってガミガミと牽制しあっている。醜い。


「尻軽女どもめ……」

 しかしこうも人を魅了し狂わせるとは……確かに、五郎丸の描く漫画に出てきそうな強烈なキャラをしている。

 

 と、思ったら。


「……あれ、由佳が絡まれてないか?」

 人だかりの中央にひょっこりと収まっている、ミニフォルムのボブカットが見える。やはりそうだ。由佳だ。さっき一緒にいたギャルもいる。

 五天竺同士、仲良し……って、感じでもなさそうだな。

 

「なんだか、様子がおかしいでござるね……」

 

 由佳が……なんだっけ、名前もう忘れたけど、色欲担当のどうたらに詰め寄っている。けれど色欲くんは相手にしないと言った様子で、飄々とへらへら笑っていた。


「喧嘩……かな?」

 小夜子がびくびくしながら様子をうかがう。

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