第8話 野田師は更生支援者へと変身
野田師は御聖書の言葉が心に残った。
「すべてのことはイエスキリストにはたらいて益となる」(聖書)
だったら、自分の元暴走族で少年院出身というのも、イエスキリストに働けば何らかの益になるに違いない。
野田師は、神学校を卒業すると早速アドラム教会を牧会した。
金沢牧師の弟子教会での体験が、大きく役立った。
非行少年もいればその母親もいるし、いわゆる金髪の少女もいる教会。
しかし、犯罪者に幸せな家庭の人間はいないというが、まさにその通りである。
ネグレストなどでほったらかしにされていたせいだろうか。
どこか大きく一本抜けた部分がある。
一度非行に走ると、世間の信用を失うという。
そういえばこの私も、おかしな言いがかりをつけられたこともある。
ある食堂でバイトをしていた。
最初の一か月目は店長は普通に接していたが、二か月目から様子が大きく変わっていた。
こちらがなにかをしたわけでもなく、証拠もないのに「あんたのおかげで、備品が壊れた」などと言いがかりをつけるようになってきたのだった。
まず最初に店長は「昨日、洗剤がこぼれていたが」
私は「洗剤のキャップを閉めて帰りました」
二回目には私の目の前に、ホースが焼け焦げていた。
店長曰く「何をしてるんだ!!」
「私、何もしていませんけどね」
すると店長はまるで鬼の首でも取ったように
「ようし、今回だけは見逃してやる。しかし、今度は弁償してもらう」
まるで、言いがかりをつけられているような物言いである。
「私、何かしました? 何かしたという証拠でもあるのですか?」
店長はまるで勝ち誇ったように
「私は店長だ。ゴタゴタ言うのなら首を切るということもある」
まるでヤクザの言いがかりではないか!
もしかしてバックには反社がひかえてたりしてーみかじめ料、用心棒代などの名目で、執拗に絡みついてくる。
こうなると実質のオーナーは反社であり、店長はオーナーでなくなり、反社のいいなりになる雇われ店長でしかない。いわば反社関係者である。
私は七割方、退店することを決めていた。
翌日、トイレ掃除をしていたら、なぜか水がつまって流れない状態だった。
そのことを店長に言うと
「はい、あんたが原因だ。あんたが雑巾を突っ込み、詰まらせたということが考えられる。だいたいあんたは社会的信用がない。あんたならやりかねない」
私は返す言葉がなく、ただただポカンと口を開けるしかなかった。
なんやかんや証拠のない言いがかりをつけ、金を奪い取ろうとするのが反社のやり方であるが、まさにそのことが目の前で実践されている。
こんなところに長居は無用。
これ以上いたら、今度は冤罪をかけられかねない。
私は完全に退店を決めた。
翌日私は店長に電話で「今日は風邪をひいたので、二、三日辞めさせて頂きます」
店長はすごい剣幕で
「勝手に決めるな。休みたかったら今日一日、ゆっくり休め。そのかわり、明後日から休みたいと言いやがってみろ。お前の居場所はないと思えよ」
まるでヤクザそのものである。
私は翌日電話をすると、店長は「鼻声はましになったようだな」
私「はい。私はもうこれで退店させて頂きます」
店長は「そうか、わかったわかった」
これで妙な疑いをかけられずに済むと思うと、ホッと安堵した。
給料は銀行振り込みになっているが、この店には給料明細書が存在していなかった。計算すると13,000円ほど足りない勘定だったので、さっそく店長に電話をした。
「はい、まず3,000円は急に退店するといったからその慰謝料、そして10,000円は今までのペナルティーということで、引かせて頂きました。わかってもらえたかな」
私は声が出なかった。労働基準局に訴えようとしたが、13,000円くらいでは届かないだろう。それになにより反社がバックに控えているような店は、何をしでかすかわからない。
有名中華料理店の社長が、たった一人で反社とのしがらみを断ち切ろうとしたが、一週間もしないうちに殺されてしまった。
それから半年後、店長が逮捕されたというニュースが報道された。
なんでも外国人の不法労働者ばかり雇用していたという。
ネットには、店長が日本語の不可能な店員に代わって、客に土下座していたなどと書かれていた。
だいたい不法労働者を雇う店というのは、まともに給料を払わなかったり、大やけどをしても労働災害など通用しないケースが多い。
ただただ奴隷扱いされるだけである。
給料明細書を発行しないのをいいことにして、不正を証明できないことが多い。
私は辞めてよかったとつくづく思ったが、同時に有意義な社会勉強をさせてもらったとも思った。
反社と関わってたら、こういう結末になる。
まあ、現代は反社と関係があると公言しただけで、営業停止になる時代であるが。
話を元に戻そう。
野田師は、教会を牧会しているうちに、やはり自分の体験を生かして更生活動に取り組んでいた。
一度罪に堕ちた人間は社会的信用がなくなり、更生は難しい。
特に現代は、覚醒剤の問題もあり、いくら面倒を見てもまた手を染めてしまうという依存症状態になる。
野田師は、つい手が出てしまいそうになる。
神から離れた人間は、常に何かの奴隷になっているというが、人間を創造した親以上の存在である神から離れると、やはり別の刺激を求めるようになる。
刺激がきかなくなると、今度は麻薬に走り家族をも巻き添えにする。
残念ながら少年院を退院しても、引き取り人は母親だけであるケースが多い。
少年院に入院が決まった時点で、離婚するケースも多く、結局は母親が責任を負うことになる。
ちなみに野田師の母親は
「私の育て方が悪かったんです。この子を少年院に入れるんやったら、(野田師の代わりに)私を刑務所に入れて下さい」
その言葉に、野田師は泣いたというが、しかし
「涙ほど早く渇くものはない」の通り、そのときは反省してもまた刺激を求めて、犯罪に手を染めてしまう。
野田師は少年院で講話をすることになった。
今まで少年院で講話をするのは、いわゆる人生の成功者であり、違う世界の人間ばかりであった。
しかし、野田師は自分と同じ体験を話すと皆、真剣に聞き入ってくれた。
手首にずっしりと残る手錠の重み、鑑別所の鉄格子の外にやってくる鳩に、米粒をやった話をすると、皆同様の体験をしたかのように共感し「わかるよ。俺もそうだったな」と納得したように、真剣に話に聞き入ってくれた。
野田師は続けた。
「つい、三、四年前までは、私もみなさんと同じように少年院に入れられてました。
そんな私は、暴力、窃盗を繰り返した挙句の果て、麻薬を常用するようになりました。
人生、このままでいいのか、と真剣に考えることもありました。
でも、今まで好き勝手な生き方をし、犯罪に手を染めた私は、簡単に人生をやり直せる状態ではありませんでした」
院生たちは、深く共感した後に、暗闇の中から一条の光明を見出したようなように、顔を見上げて聞いていた。
「それは「神の前にはすべての人が裸であり、さらけ出されています」という言葉でした。この言葉を読んで私は今までの考えが一変しました。
それまでの私は、見つからなければ何をしても許されると思っていました。
でも、それは違っていた。誰に見られていなくても、いや防犯カメラに写っていなくても、神は見ている。今の私は、神から見張られているというより、悪いことをしないように見守られているといった方が正解です」
鑑別所に二度入り、挙句の果てに少年院に送られた私が、聖書の一節の言葉で変わることができた。
そして今は、牧師を目指して神学校に通っている。
「へえ、そんな生き方があったのか」
未来の光を見出したような、明るい顔つきをしていた。
(参考図書「私を代わりに刑務所に入れて下さい」著 野田詠氏)
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