第9話 私にはイエスキリストがついている
野田師は、医療少年院に慰問に行って自分の体験談を話した。
そこでおとなしめの少女に出会った。
まるでガラスケースから出てきたおとなしめの日本人形のような少女だった。
昔の非行少女といえばレディースのように、やたら元気のいい反抗的な少女が多かったという。
しかし現在は、ネグレスト(放任)の影響で勉強もやる気なし、それに加えていじめを受けているというおとなしめのネガティブな少女が多い。
そんな少女が悪党の手にかかるとどうなるか?
覚醒剤漬けで売春させられ、分け前の九割まで奪い取られるという、極めて悲惨なパターンである。
塀の中の少年院というのは、彼女たちによって悪党から身を守る救いの場である。
九割までの少女が、十五歳以下で性体験があるというーいや、無理やりにレイプされた挙句の果て、売春させられたというケースもある。
色白で人形のような少女は、やはり覚醒剤で少年院に入ったという。
小学校高学年のとき、転校先でいじめにあい中学校は不登校になってしまった。
当然学習は遅れているので、高校へは進学していない。
その少女の母親が、娘の非行に悩んだことがきっかけに、教会に通い娘に神様のことを伝えていた。
彼女は少しずつ神様を信じるようになり、少年院を出院してからどのような人生を歩むべきか悩んでいたようだ。
やはり女性の場合、男性と違ってすぐ売春の世界に組み込まれてしまう。
その裏には、女性の場合、実力があってもなかなか認められない男女差別という壁が大いに影響しているのであるが。
ちょうど少年院を出院して神学校に行っている野田師の体験談を聞いて、彼女も
「これだ! この道を進みたい」という思いを与えられたという。
これも神の導きであろうか。
ただし、少年院で体験談を話しても、少年院生の名前や連絡先は聞くことはできない。
しかしその少女は当時、野田師が通っていた教会に手紙をくれたのだった。
翌年、少女は野田師の通っていた全寮制の神学校に入学した。
少女は薬物の後遺症に悩まされ、フラッシュバックなど起しそうになったり、今までとはまったく違った環境にとまどうこともあった。
少女が以前出入りしていた、ある地方の反社の組長は少女の働きかけによって神様を求めるようになり、事情も重なって組を解散した。
二十歳そこそこの少女の行動によって、組が解散する一つのきっかけを作ったのだから、不思議としか言いようがない。
その後、少女は紆余曲折を経て、無事に卒業を果たし、聖書学院で出会ったさわやかな青年と結婚した。
現在は、お子さんの写真入りの年賀状でしか様子をうかがい知れないが、お子さんの笑顔から、幸せそうな様子が伝わってくる。
やはり野田師の働きは、功を奏したのである。
しかし、やはり更生などというものはそう簡単に一筋縄でいくものではない。
裏切られることも多いが、その第一はやはり麻薬である。
女囚の半数が既婚者、女子少年院でも九割が十五歳までに性体験があるという。
野田師はそのうち、暴走族仲間から妙な噂をたてられるようになった。
野田師は暴走族時代、一刺し男と噂されていたが、十字架のマークに人を刺すなどというデマが流れていた。
しかし、そんなデマに心を煩わせているヒマはない。
今はキリストを伝えることが、未来への道なのである。
野田氏は自分自身、なんという人間なのだろうと思うことがある。
ときどき素晴らしい評価ー元暴走族でありながら、更生を果たし、自分の体験をもとに同じような境遇の少年を支える、更生のモデルのような人物だー本当にそうだろうか?
しかし一方では「好き勝手に犯罪を犯しておいて、被害者の気持ちも考えず、涼しい顔をして、更生だか更生支援だか知らないが、いい恰好するな」と厳しい批判をされることもある。
更生したといっても、犯罪を犯した人間だといつまでも信用されないことが多い。
いつも評価は両極端が多いようである。
野田師は悪さの世界でしか、人から認められたことがなかった。
腕っぷしが強いとか、麻薬の力を借りビビらずに悪事を働くとか、度胸があるとか、警察に捕まってもチンコロ(仲間の名前を密告)しないとか、そんなことで悪さの世界では、同じ仲間から箔がつくと認定される。
一度悪の世界に足を踏み入れると、悪のレッテルを貼られもう今までのような普通の世界に戻ることは不可能に近い。
子供は親を選べないという。
自分の親も、自分の家庭も、自分の名前も、DNAも自分では選べない。
残念ながらやはり非行少年は、全員が家庭に問題があるという。
家庭は子供が最初に体験する社会である。
非行少年は、大人はみな、敵であるなどと思っているケースが多い。
だから最初は尖った態度をとるが、世の中捨てたものではなく、そんななかにもやはり寄り添ってくれる大人は一人くらいいるものである。
勉強はやり直すことも可能だが、一度失った信用はなかなか回復できない。
しかしやはり導いてくれる大人に出会ったことで、更生するケースもある。
野田師の母親は「私の育て方が悪かったのです。私を代わりに刑務所に入れて下さい」
野田師が家庭裁判所の審判廷で、母親が泣き叫んだ言葉である。
非行に走り、罪を犯したのは野田師の責任であり、暴走族の道を選択したのも、誰に強制されたわけでもなく、野田師の自由意志で選んだ道である。
しかし、スナック経営の母親は、親の自分に責任があると、恥も外聞も捨てて泣き出した。
確かに、夜は一人きりというのは寂しい事実であり、病気になっても助けてくれる人もいない。
野田師の家は二階建てで、一階がスナックを経営し、野田師はいつも二階で一人でアニメに見入っていた。
アニメのラストソングが終わる頃になると、なんともいえない寂しさが野田師を襲うのだった。
野田師はいつもお腹を空かせていたが、当時、母親と交際していた男性からお好み焼きをおごってもらったことがあったが、そのときのお好み焼きの味が未だに忘れられないという。
野田師は、小学校三年のときに母と親子ケンカをした際、母から言われた言葉があった。
「お母さんは、もし長男が死んだら、気がおかしくなって長男の骨をかじるけど、あんたが死んだら泣くくらいや」
野田師は内心ショックを受けた。
兄を比べて、自分はそれほど大事ではないのか?
母親からのその言葉は、野田師の人生に少なからず影を落としたという。
小学校六年のとき、上級生の家でその上級生からいじめを受けたことがあった。
熱したスプーンやフォークを腕に押し付けたり、飼い犬に命令して私を噛ませたりしたのだ。
そのとき、以心伝心というのだろうか。母は、上級生の家を捜し当て、ドアをドンドン叩き、呼び鈴をビンビン鳴らした。
「やばい。野田のお母さんが来よった」
私は解放され、ドンドンと響くドアに向かうことができた。
外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
泣きじゃくりながら、母に肩を抱かれ、家に帰った。
何も言わず、母は夕食を温めてくれた。
涙が後から後からあふれてきて、ほおを伝って、口の中に入っている。
かまわず一緒に飲み込んだ。しょっぱいなと思いながらも「ああ、俺は母に愛されているのかな」と思ったりもした。
私はあのときの審判で、母に愛されていると実感できたのだと思う。
「私を息子の代わりに刑務所に入れて下さい」
あの日、家庭裁判所の審判廷で、母は泣き叫んだ。
非行に走り、罪を犯したのは、野田師自身に責任がある。
それを選択したのは野田師自身であり、誰かに脅迫されて無理やりやらされたわけでも、強要されたわけでもない。
でも、母は親の自分に責任があると、恥も外聞も捨てて泣き叫んだ。
私はあのとき、なぜ突然、母が取り乱したのか一瞬わけがわからなかった。
しかし、次第に母の泣き叫ぶ声は
「私には母親として足りないことがあったけど、あなたを大切に思っている。だから赦してほしい」
そんなメッセージに感じた。思わず出てしまった、心の絶叫だったと思う。
親でも間違うことはある。
そんなとき、親は謝ることで、子への「親の威厳」を失うのだろうか?
いや、そうではない。かえって、その親の潔さに「謝ることの大切さ」を教えられた。
謝るというのは、相手に弱みを見せることでもなく、相手より下の位置に立つことでもない。
謝ることによって、丸く収まることが多い。
また、人間は理屈よりも感情優先の感情によって動く動物だともいうが、謝るというのは相手を冷静にさせる効果もある。
また少々理不尽なことを頼むとき、こちらが謝ることによって相手は納得し、人肌脱いでやろうと実行に移すこともある。
「人は皆、罪人である」(聖書)の通り、自分のエゴイズムを認め、相手に認めさせることでもある。
野田師が四十歳目前にして、医師から母の余命が一週間だと宣告された。
すぐに妻と三人の子供を連れて、大阪から東京のホスピスに車を走らせた。
母は一年前に会ったときよりも衰弱していた。意識はあったが、話すこともできなかった。
照れ臭い気持ちを押し殺して、母の顔に近づいて言った。
「今まで育ててくれてありがとう」
何度も何度も母に語りかけたが、母はただキョトンとしていた。
子供たちも、夏休みの最後の週をすべて、母の病院で共に過ごしてくれた。
妻は、ときどきうなずくしかできない母に、何度も何度も辛抱強く温かい言葉をかけてくれた。
人の言葉がはっきりとわからなくても、また言葉をかけることができなくても、やはり人の気持ちは以心伝心、伝わるものである。
野田師は、あのときの審判廷で、母に愛されていると実感できたのだと思う。
あのときの母の言葉-「息子の代わりに私を刑務所に入れて下さい」は、私の人生にたくさんの大切なことを教えてくれた。
母へのわだかまりや傷も、そのときすべて何事もなかったように消え去った。
ちなみに女子少年院の場合、母親との仲がうまくいけば非行から逃れられるという。
野田師は現在、非行に走った子やその母親の面倒を見ているが、今の母親は少年鑑別所にさえ入れればそれで更生すると思っている親が多いが、それは大きな間違いである。
もし鑑別所を出れば、ワル仲間から箔がついたとか鑑別所仲間ができ、その仲間と共に余計に悪事を働き、少年院送致になるのがオチである。
だから野田師のように、更生を目的とした教会が必要なのである。
野田師は、目をつぶれば幼い頃からの母との思い出が浮かんでくる。
でも、家庭を持つと妻のこと、三人の子供たちを食べさせていくこと、育てていくことでいっぱいいっぱいになって、母のことを落ち着いて考えることもままならなかった。
寂しいことだが、人はそうして、親となってバトンを渡していくのだと思う。
しかし、母が天に帰ろうとしている今、この時だけは母のそばで過ごしたい。
もう一度、母の耳もとで心から気持ちを込めて言った。
「お母さん、育ててくれてホンマにありがとうな・・・」
母を見ていると、あの家庭裁判所の審判のときの母の姿を思い出す。
誇らしい母として思い出す。
(参考図書「私を代わりに刑務所に入れて下さい」著 野田詠氏)
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