第6話 人は一度道を間違えると、一人ではもとに戻れない
野田師は、反社から狙われるという現実に怯えていた。
しかし、相変わらずシンナーを辞めることはできず、事件を起こして少年院に入院うすることになった。
そのときは、内心ほっとしたという。
これでいつ襲われるかという妄想から逃れることができて、枕を高くして安眠できる。
少年院を退院してからは、先輩のいる暴力団事務所に就職(?!)が決定していた。
野田師は、西日本最大の少年院に入院することが決まったが、少年院の生活は厳しかった。
朝早くから土下座をするポーズで、おはようございますと挨拶をし、掃除を始める。
もちろん雑談は禁止。
しかしマラソンをすることで、薬物中毒から更生できる。
残念ながら再犯率は刑務所で約六割弱であるが、少年院は二割だという。
もっとも女子少年院の再犯率は一割であり、母親との関係がうまくいくと更生できるという。
野田師は、宗教を信仰している人を理解できなかったという。
神様がいるならどうしてこの世はこんなに不公平なんだ。俺の家庭はどうしてこんなのだろうかと。
野田師の兄は、ボクシングをしていて当時ボクサーだった赤井英和からも、期待されていたという。
ところが兄は急にスキンヘッドにし、精神が病んでしまい万引きでつかまったという。
それから野田師は「人は才能があろうとなかろうと、努力しようとしまいと、報われるとは限らない。それどころか、兄は精神が病んでしまったではないか。
これからはやりたいことをして、太く短く生きていこう」と思っていた矢先だった。
しかしその結果は、人を傷つけてしまい取り返しのつかないことをしてしまったという後悔からシンナーに溺れ、反社から命を狙われるという恐怖感と孤独と絶望とに陥ったというどうしようもない居場所のない結果だった。
行きつくところは、先輩の所属している反社の事務所だった。
キリスト教の教誨師が少年院を訪れたとき、野田師はどうせ小難しい有難いお話だろうとタカをくくっていた。
こういう話は、その場かぎりの慰めでしかないと、あきらめ気味だった。
野田師は、少年院のなかで三浦綾子氏の「塩苅峠」を読み、自分よりも人のために命をかける生き方に感動していた。
教誨師は言った。
「人は誰でもみな、罪人です。
しかし、どんな罪を犯した人でも、人間の罪の身代わりとなったイエスキリストを信じることによって救われるのです」
この場合の罪は、犯罪というよりも人間が誰でも持っているエゴイズムのことであり、このエゴイズムが犯罪を起させる要因となる。
しかし、イエスキリストは人間の罪の身代わりになって十字架にかかって下さった。十字架は処刑道具であったが、いつの時代でも、アクセサリーの人気ナンバー1である。
野田師も、十字架には魅かれるものがあった。
もしかして、イエスキリストとやらを信じれば、自分も生まれ変わることができるかもしれない。
もちろん、これまでの罪が許されるとは思っていないが、イエスキリストにより生き方が変わるかもしれない。
野田師はそのとき、先輩からの反社事務所就職の誘いを断ろうと決心していた。
もともと読書好きだった野田師は、教誨師から配られた聖書を食い入るように読んだ。すると、真実が感じられ、生きる光が見えてきた。
聖書を読み進めていくと、新約聖書の箇所に
「しかし、たとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる。
彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。
主である神は仰せられる。私は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ。
しかし、正しい人が正しい生活をしなくなり、罪を犯し続けるようになるなら、果たして生きることができるだろうか。
以前、彼がしていた正しい生活は忘れられ、彼の不信仰と犯した罪のために死ななければならない」(エゼキエル18:21-24現代訳聖書)
野田師は、まさに目から鱗だった。
反省は一人でもできるが、更生は一人ではできないという。
でも自分には神がいる。この神についていこう。
野田師の母親は、心労のあまり身体を壊していたが、悪の道に突っ走ってしまった今、どうすることもできなかった。
しかしこの神は、母親をも救って下さるかもしれない。
いやその前に、母親を助けるために、掃除や家事を率先してやっていきたい。
野田師は、絶望の暗闇のなかから一条の光明を見出した喜びを感じた。
この喜びは、野田師が今まで体験したことのないものだった。
少年院は一年で退院したが、野田師は自分の過去を隠す必要はないと思った。
隠すということは、弱みにつながることである。
このことをばらすゾという脅しの材料になることにもなるし、それが警察に疑われたり、反社まがいの悪党から恐喝のネタにもなりかねない。
そんなリスクを背負うなら、もうさらけ出した方がラクである。
実際、ワルにはワルの匂いがするという通り、いくら優等生を装って隠していても、やはりちょっとした目つきや雰囲気でわかるという。
「あなたがたは「主のなさることは公正ではない」と言っている。イスラエルの民はよく聞きなさい。私のすることは公正でないと言えるか。むしろ、あなたがたこそ公正でないのではないか。
正しい人が正しい生活をしなくなり、罪を犯し、そのために死ぬのであれば、彼は自分の罪のために死ぬに過ぎない。
ところが、罪を犯した者であっても、自分のしてきた罪を離れ、公正と正義を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。
彼は自分を反省して、そのすべての罪を離れたのだから、死ぬことはなく、必ず生きる。それでも、イスラエルの民は『主のなさることは公正ではない』と言っている。イスラエルの民に聞くが、私のしていることは公正でないと言えるか。
むしろ、あなたがたこそ公正でないのではないか」
(エゼキエル18:25-29現代訳聖書)
野田師はこの聖書の一節が身に染みた。
そうだ。自分は一人ではない。このイエスキリストを信じれば、人生のやり直しができる。
そう思ってからは、先輩のいる反社事務所への就職もお断りした。
少年院から出所していた野田師を、元の暴走族仲間は迎えようとしていた。
しかし、野田師が暴走族を辞めるというのを聞いて、仲間の一人は野田師のあごを殴ったという。
てっきり野田師はやり返すだろうと思っていたが、無抵抗で
「もう一発殴れ」と言ってきたのでかえって拍子抜けして去っていったという。
あとで野田師のあごははずれていたらしい。
野田師はかつては、仲間とシンナーを吸っていた公園で聖書を読むようになった。
反社から命を狙われているのは重々承知の上であるが、イエスキリストが付いている限り、恐れることはない。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)
まさに聖書の言葉は骨をも砕くというが、そのとおりである。
野田師のまわりには、かつての暴走族が集まるようになった。
しかし暴走族仲間を連れて教会に通おうとしても、やはり
「人はうわべを見るが、神は心を見る」(聖書)
の通り、なかなか受け入れてもらえないのではないかという恐れがあった。
そこで野田師は、自分が牧師になろうと決心したのだった。
少年院出身であること、今までの盗みや悪事を正直に語ろうと思った。
恥ずかしいことであるが、どうせ地元では有名な野田師のことだから、隠していても暴露する。
暴露してから人から「なあんだ。こんな過去をもった人だったのか」と信用を失うよりも、最初から暴露し、それを知った上で付き合ってもらうしかない。
しかし、自分の今までの悪行を暴露するのは、勇気のいることである。
「私の古い自我は、キリストがゴルゴタの丘の上に立てられた十字架で死なれたとき、キリストと一緒に死んでしまった。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのである。今、私が肉体を持ってここに生きているのは、私を愛し、私のためにご自分のすべてを捧げて下さった神の御子を信じることによって、生かされているのである。
私のこの神の驚くべき救いの恵みを決して無駄にはしない。
もしも律法を守ることによって救われるというのであれば、キリストは犬死されたことになってしまう」(ガラテヤ2:20-21現代訳聖書)
律法というのは法律や規則、マナーであれば、完全に守っている人はいないだろう。信号無視、二人乗り自転車、未成年者の飲酒などのように、誰でも完全に守ることはできない。
それでもやはり野田師には大きな不安と恐れがあった。
それは、反社組長の息子をナイフで刺して大けがをさせて以来、反社組長から命を狙われているという大きな事実である。
それでも、自分にはイエスキリストがついてる限り、大丈夫だという確信があった。
かつての野田師は、ボクサー志望だった自慢の兄が、スキンヘッドにし精神を病んでからは「人生はどうせ一度きり。太く短く生きよう。勉強の世界でビリならば、悪事の世界では一番になってやろう」と思って暴走族のリーダーになり「一刺し男、ナイフ使いの名人」という異名をつけられて自分は強いんだと勘違い(!?)していたが、やはり罪の行きつく先は孤独と絶望だった。
しかし、今は一人ではない。イエスキリストがいる。
反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。
(参考図書「私を代わりに刑務所に入れて下さい」著 野田詠氏)
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