第5話 本当の救いをみつけた今 私はハピネス

 私、杉菜まゆかは一応キリスト教会に通っていたといっても、いわゆる洗礼を受けた信者ではなく、求道者の立場でしかない。

 まるでお守りのように十字架のネックレスをつけていたが、十字架の意味さえもわかっていなかった。

 クリスマスというと、華やいだ気分になるが、クリスマスがイエスキリストの生誕の意味ということもわかっていなかった。

 十三日の金曜日というと、イエスキリストが十字架にかけられた日で、極めて不吉な日だということは知っていたが、何が不吉なのかその意味もわかっていなかった。


 三月はイースターの時期であり、教会からゆで卵がプレゼントされた。

 ゆで卵とイエスキリストとがどんな関係があるのか?

 卵というのは、鶏が卵を産んでひよこになるという意味から、よみがえりを意味する。イエスキリストが、十字架の死から三日目に蘇ったという意味でもある。

 鶏が先か、卵が先かという問いに対しては、鶏が卵を産み、卵からひよこが生まれ、ひよこが鶏に成長したのだから鶏が先である。

「作家の卵」というように、作家という実態が先にあり、卵を産んだという意味と同じである。


 イエスキリストは人類の罪のあがないとして、十字架にかかり三日目に蘇った。

 これがイースターであるが、イースターの季節の三月は、寒くなったと思えば急に五月のように暖かくなり、かと思えば寒の戻りがやってくる。

 きわめて不安定な季節であり、体調を崩しやすい。

 ちょうど、イエスキリストの不安な心境を意味しているのであろう。 

 クリスチャンのなかでは、イエスキリストの苦しみにちなんで、好きなもの断つという習慣の人もいる。

 お茶断ちといって、お茶の好きな人はお茶を断つという人もいるくらいである。


「人はみな、罪人である」(聖書)

 この場合の罪は、いわゆる犯罪といった意味も含まれるが、根本は神から逆らった人間のエゴイズムという意味である。

 エゴイズムがある限り、犯罪が生じる。

 犯罪者の烙印を押されると、家族からも見放され、女性の場合は反社にがんじがらめにされ、覚醒剤漬けで売春専門となる。

 女性ならいやこの頃は男性でも陥る辛い現実が、すぐ隣にある。


 私の通っている教会は、韓国教会というより、日本人が半分というハーフ教会である。韓国人の女性牧師とその息子の神学生である息子とで、成り立っている。

 女性牧師とその息子は日本語も話せないまま、韓国から来日してきた。

 息子は当時小学校二年であったが、日本語が話せなかった。

 母親は、息子のことが心配で仕方なかった。

 日本語もわからないのに、授業の内容がわかるだろうか。また、クラスメートとはどんな話をするのだろうか。

 しかしいくら心配しても、まさかついててやることもできない。

 そこでできることは祈ることだった。

 

 母親である女性牧師は、毎日夜中に車で公園や川沿いに車を走らせて、韓国語とカタコトの日本語で声が枯れるほど祈った

「神様 どうか私の息子をお守り下さい。きちんと小学校生活が送れるようにして下さい」

 二週間たち、声帯が枯れるほど祈った結果、天から声が聞こえてきた。

「あなたは何も心配することはない。息子は私が守ってみせる」

 ふと見上げると、白衣を着たイエスキリストが息子をしっかりと抱きかかえているのだった。

 女性牧師はなんともいえぬ安堵感と、神への信頼が生まれた。


 それから息子は日本語を学び、中学の時はいじめにもあったが暴力で相手に歯向かうこともせず、理数系の進学校を卒業し、大学進学の予定を神学校に変更し、もうすぐ神学校も卒業のシーズンを迎えている。

 同じ神学校の同級生の女子ーかおりーが、ピアノ奏楽をしていた。

 山陰地方出身の二十歳の女性である。

 人間というよりも、ガラスケースからでてきた人形のようなおとなしい控えめのアイドルのような女の子。

 ときどき私のカジュアルファッションを可愛いと褒めて下さることもあった。

 

 神学校の集まりのとき、かおりは証をした。

 淡々と語るかおりの証は、私にとっては想定外のショッキングなものだった。

「私は、実は少年院出身です」

 えっ、信じられない。少年院出身というとまず暴走族が目に浮かぶ。

 少々人相の悪い、生意気そうな反抗的な、それでいて話の通じない別世界の人種。将来はまあ、反社のえじきになり、風俗行きという世の闇に埋もれていくのが想像される。

 しかし、目の前のかおりには、そんな雰囲気はみじんも感じさせない。

 ただただ、ガラスケースからでてきたばかりの可愛らしい人形のようである。


 かおりは話を続けた。

「私の親は私が産まれたと同時に離婚し、母親の女手ひとつで育てられました。

 転校した小学校先で生意気そうに見えるなんて言われ、ほとんど友達もできませんでした。

 中学校になってからは不登校となり、それから気がつくと悪の道に入りました」

 少子化の現代において、ときおりあるパターンである。

 しかし、一度もいじめられたことのない人間など存在するだろうか。

 どうせいじめにあうなら、優等生で妬まれていじめにあった方が将来の救いがある。というのは、私の勝手な持論にしかすぎないが。

 

 またまたショッキングな想定外のかおりの証というよりもカミングアウトに近い告白話が続いた。

「私は勧められるがままに、覚せい剤をするようになり、いつしか暴力団組長とも知り合いになっていました。

 十九歳のとき、京都の医療少年院に入院することになりました。

 少年院の生活は、起床時間も決まっていて厳しいものでした。

 そんなときも、母親は私を見捨てることはありませんでした」

 一度、その母親と会ったことがある。

 ベーカリーで働いているおとなしそうな女性。

「私もかおりも、ペチャ顔だからね」

 確かに、親子二人とも目鼻立ちのくっきりした顔立ちではなく、おとなしめの顔立ちである。

 

 昔、非行に走るのはレディースのように、元気のいいうるさい反抗型が多かった。

 しかし、現代は貧困の影響でガリガリにやせ細り、人間というよりも人形のようなおとなしい少女が、小遣い欲しさよりも生活のために悪の手に染まるという。

 いわゆる売春行為をする前は、必ず甘言をささやかられる。

「売春という手段であれ、自分は必要とされている」という優越感を感じるらしい。

 

 授かり婚(昔は出来ちゃった婚と呼ばれた)ほど、離婚率が多いという。

 現代のウェディングドレスは、以前のようにフレアー型のほっそりしたものではなくて、妊婦用のギャザースカート型のマタニティードレスのようなものが増加してきているという。

 しかし、残念ながら授かり婚の六割が離婚して、いわゆるシングルマザーになっているという。


 話を元に戻そう。

 かおりが、キリスト教と出会うきっかけは、覚せい剤で入院していた京都医療少年院のなかである。

 元暴走族牧師 野田師がやってきて、キリスト教の話をしたのがきっかけである。

 

 実は野田師も少年院のなかでキリスト教に出会ったという。

 小学校のときから手癖が悪く、けんかっ早かった野田師は小学校六年のとき、ミニバスケットボールチームに属していた。

 他の小学校との対戦試合のとき、殴り合いの喧嘩をしたのが原因で喧嘩両成敗であり、試合に出られなくなってしまった。

 そのことが原因で白い目で見られ、人生が変わってしまったという。


 中学に入学してからは、サッカー部に入部した。

 ある日、先輩から学校販売のパンを買ってくれといわれ、小銭を渡された。

 当時手癖の悪かった野田師は、これ幸いとばかり盗んでやろうと思って、ポケット入れようとした瞬間、別の先輩が「こいつに金を渡すな。盗むに決まっている」と言った。

 ところがそのとき、話したことのない別の先輩が「いや、こいつは盗んだりしないだろう」とかばってくれたという。

 野田師はパンを買いにいった途中、盗もうとしたがその言葉が心にひっかかって

とうとう盗むことはできなかったという。

 自分を信じてくれている人を裏切るのは、とても心が痛いことであるという。

 金と信用とどっちが大事かというと、信用の方が大事であり、金は遺産や拾得物などで転がり込んでくることもあるが、信用は金では買えない。

 いや、大金を積めば積むほど、疑われる危険性が生じ、子供同志のような素朴な信用からは遠ざかっていく。


 野田師の家は一階がスナックであり、離婚した母親がスナックを経営していた。

 幼い野田師は二階でテレビを見ていたが、一階で母が男性客とデュエットする「銀座の恋の物語」の曲が、非常にせつないものに聞こえてきた。

 アイドルが歌うアニメ番組のラストソングが流れるたびに、なんともいえない虚しさに襲われるのだった。


 野田師の兄はプロボクサーを目指し、当時ボクサーだった赤井英和からも賛辞を頂くほどだったという。

 一方、野田師は勉強は苦手であり、喧嘩っ早く暴力的であった。

 小学校卒業のとき、担任だった男性教師から

「君は都会の生活には向いてない子や。牧場の肉体労働が向いてるよ」と言われたことがあるという。

 

 中学に入学した野田師は、小学校六年のミニバスケットボールの他校試合の試合中止の一件もあり、距離を置いた目で見られるようになっていった。

 勉強は皆目わからない状態だったが、中学三年のときバイク窃盗容疑で書類送検を受けて以来、いわゆる不登校状態になっていった。

 

 高校は定時制高校に入学したが、すぐに中退してしまった。

 行き場は暴走族しかなかったという。

 暴走族の世界で一番になってやろうと思い、いつしか刃物に頼るようになっていった。もちろん、刃物を使い相手を傷つけたあとは、どうしようもない罪責感と相手チームから復讐されるという恐怖感に襲われる。

 いつしか、野田師はシンナーに溺れるようになってしまった。


 野田師がリーダーとして率いる暴走族は関西で有名になり、そして野田師自身も「人斬り男、ナイフ使いの名人」という異名をとり、悪名を轟かせるようになっていった。

 ところがある日、ナイフで刺した相手がなんと、反社の組長の息子だったのである。

 当然のことながら、反社組長は怒りに燃え、組員全員に野田師の写真を見せ、草の根かきわけてでも探し出して殺せと命じたのである。

 野田師は、危険の手を逃れるために、少年院に入院することを切望した。


(参考図書「私を代わりに刑務所に入れて下さい」著 野田詠氏)























 

 


 















 

 


 

 


 

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