第147話 即落ち
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
地の底から響くようなうめき声。
長い黒髪の隙間から、怒りに歪んだ瞳が丈二たちを睨みつける。
その異常な姿は、明るい部屋で見ていても背筋をゾッと冷やすような不気味さを振りまいていた。
「良い感じにゃ! 怖くなってるにゃあ!」
サブレはプラスチックのメガホンを振り上げて大喜び。
ラスクの扮する幽霊姿に満足できたらしい。
サブレからお墨付きを貰ったラスクは、演技を辞めると『えへへ』と控えめに笑った。
急に雰囲気が変わるので丈二もびっくりである。
「ありがとうございます。この感じで頑張りますね」
ラスクの演技は軌道に乗り出した。
この調子なら本番のころには、一流の幽霊を演じてくれることだろう。
「ラスクの演技も良くなりましたし、肝試しの演出もしっかり練りたいところですにゃあ……」
ラスクの演技はクオリティが上がっている。
ならば、それに合わせて肝試しの演出もしっかりと練り上げたい。
しかし、そのためには犬猫族たちには『体験』が不足していた。
「その辺は映画を見ただけじゃ厳しいか?」
「やっぱり、映像と体験は違うと思うんですにゃ!」
映像と、肝試しとしてリアルに体験するのでは勝手が違う。
もちろん流用できる部分もあるだろうが、どうせならサブレたちに『体験』をしてもらう方が確実だ。
「サブレたちを遊園地なんかに連れていけたら良いんだろうけど……無理だよなぁ」
手っ取り早いのは遊園地などの『お化け屋敷』に行くことだが、まさかサブレたちモンスターを遊園地に連れて行くわけにもいかない。
当たり前だが、遊園地側もモンスターが来園することなど想定していないのだから。
丈二が首を捻っていると、ポケットのスマホが震えた。
確認するとメッセージアプリからの通知だ。
牛巻から来客を知らせるメッセージが届いている。
「おっと、もう行かないと……とりあえず、なんか良い方法がないか考えておくから」
「お願いしますにゃ!」
丈二は演技練習を続けるラスクたちの元を離れて、丈二家へと戻った。
おはぎダンジョンから出ると、居間にはスーツ姿の女性が正座していた。
キリっとした目と、スッと伸びた背筋から固い印象を抱かせる。
「お待たせしてすいません」
「いえ、こちらこそ予定よりも早くお邪魔して申し訳ありません」
女性の対面に丈二は腰を下ろす。
丈二が軽く頭を下げると、女性は丈二の倍ほども深々と頭を下げた。
予定では、今日はギルドの役人がやって来ることになっていた。
定期的に行っている犬猫族たちの経過視察だ。
丈二としては、いつもと同じ男性の役人がやって来て猫族たちの毛にまみれて帰っていくものだと思っていた。
しかし、今日はなぜか別の人である。
丈二が不思議に思っていると、それが顔に出ていたのだろうか。
女性の役人が口を開いた。
「申し訳ありません。『
「あ、そうなんですね」
稲毛はいつものやって来る役人の苗字である。
何かトラブルでもあったのだろうか。丈二家には顔を出せなくなったらしい。
いつもペット用の玩具を持ってきて楽しそうにしていた。しかも今回は猫又たちが生まれてから初めての来訪予定だった。
今ごろ血涙でも流しているかもしれない。
その後、丈二たちは自己紹介をして名刺を交換。
さっそく本題へと入る事になった。
「こちらがラスク様の探索者カードです」
役人が差し出してきたのは、免許証のようなカード。
ラスクの顔写真が張られている。
これは探索者の身分を証明するカードである。ダンジョンなどに入るときにも使用される。
もちろん丈二も所有している。
「ありがとうございます。これがあればラスクも動きやすくなります」
ラスクは見た目こそ人間に変化できるが、日本での国籍などは有していない。
職質でも受けて身分証を求められたら問題になるため、おちおち外出もできていなかった。
実際に丈二家に来る前には、警察に声をかけられて逃げたこともあったらしい。
しかし、探索者カードがあれば身分が証明できる。
日常生活を送る分には、このカードがあれば十分だろう。
「また、ラスク様についてはメールでお伝えした通りに、モンスターであることは公表をお控えください」
「あぁ、人間にモンスターが混じってる可能性があるとパニックが起こる可能性があるんでしたっけ」
それはラスクのことをギルドに報告した際に、伝えられたことだ。
なんでも、人間にモンスターが紛れている可能性が広がると、それを言い訳にした傷害事件が発生するのではないかと危惧しているらしい。
「分かりました。ラスクについては親戚の女の子で、一時的に家で預かってることにしておきます」
「はい。その方向でよろしくお願いいたします」
ラスク自身も、あまり目立ちたがるタイプではないため、動画に出ることについては消極的だ。
牛巻のアシスタントとして頑張ってもらうのが良いだろう。
話が一段落すると、役人がチラリと庭を見た。
丈二家の庭ではぜんざいが横たわり、もふもふとしたお腹を丈二たちに見せている。
「ぜんざいさんが、どうかしましたか?」
「……祖父が飼っていた老犬を思い出していました」
「あ、良かったら少し触っていきますか? ぜんざいさんなら気にしないと思います」
「……いえ、職務中ですので」
「……稲毛さんはいつも毛だらけになって帰っていきますけど」
役人の目がギロリと尖った。
どうやら、いつもの彼は職務中に問題のある行動をとっていたらしい。
帰ったらお説教かもしれない。
しかし、稲毛にはなんだかんだ世話になっている。このまま見捨てるのも可哀そうである。
彼を助けるためには、目の前にいる役人を共犯者として引きずり込むしかない。
「ちょうどお昼時ですし、休憩時間ですよね?」
「……そうですね」
「エチケットブラシもあるので、スーツの毛は落として行けると思いますよ?」
役人の目が泳ぐ。ちょっと迷っているらしい。
あと一押しだろう。
「ふわふわの毛に覆われて横になる感覚は、うちのぜんざいさんじゃないと味わえないと思いますよ?」
その言葉が決め手となって、稲毛へのお説教は回避されることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます