第119話 いらない

 丈二家の近くを流れる川。

 その土手沿いでは黒い革ジャンを着た男が、タバコから白い煙を上げていた。

 隣には真っ白な豹に似たモンスター。

 モンスターレース参加者である升田とアイスだ。


 レースが開催されるまで、まだ時間がある。

 朝のウォーミングアップを終えて、二人は軽い休憩をとっていた。


「あのひよこ野郎……短期間であそこまで早くなるのか……!!」


 升田は苦々し気に水面を睨む。

 タバコを握る手に力が入り、くしゃりと根元から折れる。


 思い浮かべるのは、先ほど見たきなこの走り。

 少し前に見た時とは段違いにキレが出ていた。

 あれならば優勝も夢ではない。


 升田は焦燥感に駆られていた。

 頭に浮かぶのは『敗北』の二文字。


 ライバルである兎束とダイナに負ける。

 それはまだいい。

 今までだって勝ったり負けたりを繰り返しているのだ。

 通算で言えば負け越しているが、彼女たちは対等なライバルだ。


 負けられないのは、きなこと丈二。

 生まれたばかりらしいひよこのモンスターと、つい最近になってモンスターの飼育を始めた男。

 卵の殻も取れていないような二人に負けるのは受け入れられない。


「アイスのポテンシャルは十分なはずだ。それで勝てねぇってことは……俺の育て方が悪いってことだ」


 怖いのだ。新人の二人に負けるのが。

 まるで、これまで積み上げてきた努力と経験を否定されるようで。

 才能の有無を見せつけられるようで。


「ここで負けたら、俺にはアイスと一緒に居る資格がねぇ……」


 虚空を睨む升田。

 それをアイスは心配そうに見上げているのだが、余裕のない升田は気が付けない。

 ただ目の前の勝負に焦りを感じていた。


「それでしたら、良いお話があるのですがいかがでしょうか?」

「あぁ?」


 升田が振り向くと、そこに居たのはスーツ姿の男だった。

 片手にはビジネスバッグを握っている。

 見た限りでは営業中のセールスマン。

 なにか商品でも売りに来たのだろうが、升田にはそんな話を聞いている余裕はない。


「失せろ。こっちは立て込んでんだ」

「よろしいのですか? 勝てますよ?」

「……なんだと?」


 升田が興味を示すと、男はカバンに手を入れた。

 取り出したのは小さな瓶。

 中には透明な液体と、底にはつぶつぶとした透明な球体が沈んでいる。

 まるで何かの卵のようにも見えた。


 升田はそれを見てイラついたように嘲笑した。

 なにかの冗談かと。


「なんだそりゃ、透明なタピオカミルクティーか?」


 一昔前に透明なドリンクが流行ったことがある。

 そのミルクティーとタピオカでも組み合わせたのだろうか。

 なんにしても、悪い冗談だ。

 そんな物でレースに勝てるとは思えない。


 目の前の男はてきとうな事を言って、商品を売りつけたいだけ。

 升田はそう判断しようとしたが、目の前の男は意味深に笑った。


「これは人やモンスターの力を引き出す薬です。貴方のモンスターに飲ませれば、レースで軽く優勝できるほどの力が手に入りますよ?」


 レースで優勝。

 それは甘美な響きだ。

 兎束にも、ひよこにも勝てる。目の前の男の手を取れば簡単に。

 男が透明な液体を差し出してくる。升田はそれに手を伸ばして――。


「……いらねぇ」


 払いのけた。

 瓶はからりと地面に落ちる。蓋が取れると、中の液体が地面に流れ出た。


「簡単に手に入る力なんて、大抵はろくでもないもんだ。そんな得体のしれない物を相棒に飲ませられるかよ」


 升田は男の傍を通り過ぎる。

 勝負をする前から、負けることを意識するなどらしくなかった。

 たとえ、ひよこに負けたとしても受け入れるしかない。


 なぜだか、男の言葉には妙に惹かれたが、一時的な気の迷いだ。

 升田はレースへの熱を燃やして、丈二家へと向かった。


 そうして土手沿いに残されたのはスーツの男。

 カバンの中から液体の入った瓶を取り出すと、カポッと蓋を開いた。

 まるで缶コーヒーでも飲むように、中身に口を付ける。

 近くで匂いを嗅げば、それがただの甘い液体だと分かるだろう。


「甘いですね。ですが……モンスターの方はどうでしょうか?」


 男の瞳に写っていたのは、升田の隣を歩くアイス。

 アイスは心配そうに男を見上げている。

 きっと、負けて主人を傷つけることを恐れているのだろう。


「くだらない仕事ですが、言われたことは遂行するのがサラリーマンです」


 男は瓶の中身を飲み干した。

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