第73話 契約とスーツと猫の毛

「――ポーションの作り方は以上だよ」


 どことなく、学校の家庭科室を思わせるような場所。

 あるいは、レストランなどのキッチンにも似ている。

 もっとも、塗装も最低限。現代にしては古臭い雰囲気の場所だが。


 そこは『おはぎダンジョン』に建てられた施設。

 おはぎを始めとするモンスターたち、そのご飯を作るため場所だ。

 その場所を利用して、河津先生による授業を行っていた。


 生徒は猫族とコボルトたち。

 彼ら用に調整されたテーブルにノートを広げ、河津先生の隣にある真新しいホワイトボードに書かれた内容を書き写している。

 授業の内容は動画にも撮ってある。あとで見直せるように。

 だが、彼らなりにノートにまとめたほうが、理解が深まるだろう。


 丈二は河津先生に近づくと、軽く頭を下げた。


「河津先生、今日はありがとうございました」

「いやいや、気にしないで。ついでだからね」


 河津先生は、おはぎたちモンスターを診てくれる獣医だ。

 今回も”とある用事”のついでに、モンスターたちの検診をしてくれた。

 さらに、そのついでとして『ポーションの作り方』を教えてもらった。


 おはぎダンジョンでは、マタンゴたちのおかげで薬草が採れるようになった。

 これで薬草からポーションを作れるようになる。

 しかし、誰もポーションの作り方は知らない。しかも、ポーションの作り方なんてネットで簡単に出てくるような情報でもない。


 そこで丈二が思い出したのが河津先生だ。獣医である彼ならば、ポーションの作り方を知っているだろう。教えてもらえるかは分からないが。

 だが、物は試しにとお願いしてみたら、思いのほかあっさりと教えてもらえることになった。


「それよりも……そろそろ時間じゃないかな?」


 河津先生はチラリと腕時計を確認した。

 丈二もつられてスマホを見る。


「確かにそうですね。外に出ましょうか」


 河津先生が丈二家にやって来たのは、他にメインの用事があるからだ。

 そろそろ、待ち合わせている相手が顔を出す時間のはず。

 丈二と河津はおはぎダンジョンから外に出た。


「あ、先輩! ちょうどお客様を通したところですよ」


 ダンジョンから出たところで、牛巻と鉢合わせた。

 どうやら、丈二たちを呼びに行こうとしたところだったらしい。

 

 ダンジョンから出た所からは、丈二家の居間が見える。

 そこにはすでに、黒いスーツの男性が座っていた。


「すいません。お待たせしました」

「いえいえ、まったく待っていませんよ。今日はよろしくお願いします」


 丈二、河津先生、スーツの男性は、お互いに挨拶をしながら名刺を渡しあう。

 スーツの男性はギルドから来た役人だ。

 まだ若いが、そこそこ偉い地位の人である。

 そんな人が、わざわざ丈二家に足を運んだ理由は。


「それでは、以前からお話を進めている通り、お二人にはモンスターの研究をお願いしたいのです」


 三人が着席すると、さっそく本題に入ることになった。

 丈二と河津先生はギルドからとある提案をされていた。

 それが、モンスターの研究。


「こちらが契約書になります。最後の確認として、口頭で内容を説明させていただきます」


 役人が契約書に書かれた内容を話し始める。


 モンスターの研究と、丈二が管理しているモンスターの研究のことだ。

 だが研究と言っても、なにをするわけでもない。

 なにか怪しい薬品を投与されたり、特殊な状況にモンスターたちを追い込んだり。なんてことはしない。

 丈二たちは、これまで通り過ごせばいい。


 仕事が増えるのは河津先生のほうだ。

 モンスターたちの検診をした後。健康状態などのデータをまとめてギルドに報告することになる。

 その情報の代わりに、丈二は『モンスターの管理に関する特権』と『いくらかの報酬』を。

 河津先生にも少なくない報酬が支払われるらしい。


 丈二は初め、この話を引き受けるか悩んだ。

 問題になるのがおはぎの存在だ。ハッキリ言って、おはぎに関しては秘密にしておきたいことが多すぎる。

 おはぎがダンジョンを生んだことを報告したら、とてつもなく面倒なことになるだろう。なにせ、土地を生み出しているのだ。場合によっては莫大な資産を生み出すことになる。


 だが、話を聞いてくと役所が知りたがっているのは、おはぎの情報ではないらしい。なんだったら、おはぎの情報はいらないとまで言われた。

 彼らが目を付けているのは、猫族とコボルト。

 人手不足や少子高齢化が叫ばれる昨今。国としては猫の手も借りたい状況だ。かといって、移民などは反対意見も強い。

 そこに現れたのが頭の良い犬猫たち。

 現在はその全てを丈二が管理しているが、追加で現れる可能性も高い。

 彼らを使えば、人材不足が一発逆転できるのではないか。なんてことをドコかのお偉いさんが考えているらしい。


 だが実際のところ、犬猫たちが現代社会で生きていけるかは不明。

 頭の良さ。出来る労働内容。現代社会で生活した結果の健康状態。その他もろもろ。

 いろいろなことが気になっているらしい。詳しいデータが無ければ行動することも難しいのだろう。

 そこで、おはぎダンジョンに住んでいる猫族やコボルトたちのデータを欲しがっているわけだ。


 丈二としてはお偉いさんたちの思惑なんて知ったことではない。

 しかし、丈二たちにとっては得な話。

 犬猫たちの健康データを秘密にする理由もない。

 むしろ国が医療費を出してくれるので、モンスターたちの健康を管理しやすくなる。

 丈二はモンスターの管理に関する特権を貰えるので、面倒な手続きもすっ飛ばせる。


 さらに犬猫探索隊を探索者として登録させてくれるらしい。これのおかげで、丈二が居なくても彼らだけでダンジョンに行けるようになる。

 ……どうやらこれに関しては犬猫たちが社会に馴染めるかの実験的な側面も期待されているようだが。


 丈二にとってはいいことづくめ。もちろん快諾した。

 河津先生も『引き受けても良いよ』と承諾したらしい。


 そして本日は事前の打ち合わせを終えて、ただハンコを押すためだけに集まったのだった。


「――説明は以上になります。なにかご質問などは?」

「大丈夫です」

「僕もないね」

「それでは、こちらにサインとハンコをお願いします」


 丈二たちがサインとハンコを済ませると、役人が神妙な顔つきに変わった。


「丈二さん。これは個人的なお願いなんですが――」

「……なんですか?」


 そのキリっとした顔つきに、なにか大切な話なのかと丈二は身構えたのだが。

 役人はスーツの内ポケットから、猫じゃらしのおもちゃを取り出した。


「少しだけ、猫族たちと遊んだりってできますか?」

「……」


 役人はスーツを毛だらけにして帰って行った。

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