第16話 老いたオオカミ

 近づいたら襲われるだろうか……。

 丈二は大狼を観察する。


 大狼の目は丈二たちを見ていた。

 しかし、その眼には敵意がない。

 どんよりとした目には、諦めが漂っている。


 その姿は痛々しい。

 月並みな意見だが、とても可哀そうに見えた。

 できることなら、回復してあげたい。


 だが、近づいてもおとなしくしてくれるとは限らない。

 丈二たちを警戒して、最後の力を振り絞って襲いかかってくるかも。


 悩む丈二。

 視線がゆらゆらとさまよう。

 ふと、おはぎを見た。


「ぐるぅぅ……」


 おはぎも同じように、大狼を見ている。

 悲しそうな眼を向けている。


 丈二はごくりと唾を飲み込んだ。

 怯えと一緒に。


「助けに行きます」

「……危険ですよ?」


 半蔵が止めてくる。

 それはそうだろう。

 依頼主が危険なことをしようとしているのだ。


「おはぎも、ケガをしているところを助けてあげたんです。だけど、そのお礼として貰ったものは、大きすぎる」


 おはぎを助けたのは丈二だ。

 だが、その見返りとして貰ったものは、あまりにも大きい。


 苦しかったブラック労働から抜け出せた。

 その可愛さでささやかな幸せを与えてくれる。

 

 丈二の人生はおはぎのおかげで変わった。

 いい方向へと。

 その恩義を返せていると、丈二には思えなかった。


「ここで見捨てるのは、あの日の自分と、おはぎを裏切っているような気がするんです」


 それは嫌だった。

 裏切ってしまえば、おはぎと一緒に居る資格がないような気がした。


「ぐるぅ!!」


 『頑張ろう!』とおはぎが丈二を見上げてくる。

 その眼は強く輝いている。

 きっと丈二と同じように、大狼を助けたいと思っているのだろう。


「……分かりました。しかしこれ以上は危険だと判断したら、貴方たちの意見は無視して、担いででも逃げます。良いですね?」

「ありがとうございます。その時はお願いします」


 半蔵は納得してくれた。

 ここで見捨てないあたり、優しく責任感のある人なのだろう。


『え、近づくの!?』『危ないよ!』『でも、なんとかしてあげたいよな』『ジョージ気をつけて!』


 丈二たちはそっと大狼をに近づいていく。

 なるべく刺激しないように、ゆっくりと。


「ガルル!」


 しかし2メートルほどまで近づくと、大狼が唸り声を響かせた。

 こちらを警戒している。

 これ以上は近づけないか……。

 丈二は焦る。どうしたら警戒を解いてもらえるのか考える。


『ひぇ』『ヤバいって!』『これはムリや!!』


「ぐるぅ!」


 『任せて!』とおはぎは丈二を見上げた。

 不安が丈二の頭をよぎる。

 しかし、ここはおはぎを信じてみよう

 丈二は静かにうなずいた。


「ぐるぅ」


 おはぎは甘えたような声を上げた。

 そしてテクテクと大狼に近づいていく。

 

「ガルルルゥ!」


 大狼には唸り声を強くする。

 だが、相手が子供であるから手を出さないのだろうか。

 おはぎの手が届く距離まで近づいても、威嚇しかしていない。


「ぐるぅ。ぐるぐるぅ!」


 おはぎは大狼に向かって話しかけている。

 はたして、アレで通じるのだろうか?

 丈二は疑問に思う。


 だが、少しずつ大狼の唸り声が落ち着いてきた。


「ガウ。グルゥ?」

「ぐるるぅ!」


『喋ってる?』『これメッチャ貴重な映像なのでは?』『こうやって並んでると、おじいちゃんと孫みたいだな』


「がう!」


 大狼が吠える。

 その眼は丈二に向けられていた。

 近づいても良いのだろうか。


「そ、それじゃあ近づくぞ」


 丈二は恐る恐る大狼に近づく。

 じりじり、じりじりと。

 手が届く距離まで寄っても、大狼は威嚇もしてこない。


 これなら、回復魔法がかけられる。

 丈二は大狼のお腹。大きな裂傷に杖を向ける。

 その傷口が淡く光り出した。


 しかし治りが遅い。

 丈二の魔力が足りていないせいだろうか。

 ナメクジが這うような速度で、ゆっくりと傷口はふさがっていく。


 だが、時間はかかっても治療に問題はない。

 このままいけば大丈夫だ。

 丈二が安心した時だった。


「アオォォォォォン!!」


 森の奥から、遠吠えが響いた。

 それと共に、ざわざわと森が騒ぎ出す。

 四方八方から、荒い息遣いと草をかき分ける音が響く。


 半蔵が忍刀に手を伸ばした。


「不味いですね。囲まれています。」


 バキバキ!

 割り箸を折る音を、何倍にも大きくしたような音が響いた。

 丈二がそちらに目を向ける。


 木が迫っていた。

 無理やりにちぎられた木が、投げ槍のように丈二に迫る。


 ズドン!

 大きな音と共に、その木は横合いに吹っ飛んでいく。

 半蔵が飛び蹴りをかまして、軌道をそらした。


「特に、アイツがヤバいですよ」


 森の奥から出てきた影。

 そいつは、まるで店の暖簾でもどけるように。

 木々をなでてなぎ倒していく。

 

 一言で言えば、人狼だった。

 人のような体型をした狼だ。


 2メートルは超えるであろう巨体。

 体全体をゴワゴワとした黒い毛がおおっている。

 手先からは血を吸ったように、鋭く赤黒い爪が伸びている。


「ガルルルゥ!!」


 おはぎが、これまでにないほど警戒している。

 その眼には初めて出会ったときのような、強い警戒心が浮かんでいた。


 人狼もおはぎを見る。

 その眼は、まるで小馬鹿にするように歪んでいた。

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