第9話 退職束をあなたに

「やばい! 遅刻する!」


 丈二は街中を走る。


 昨日の夜。

 おはぎのビーム練習に興奮して、なかなか寝付けなかった。

 結果として、いつもより遅い時間に起床。


 しかし、ギリギリ間に合う時間だ。

 丈二は大慌てで家を飛び出して、会社へと向かった。


「はぁはぁ、せ、せーふ」


 丈二は、はぁはぁと息を切らしながらオフィスに入る。


「え、なんだ、遅刻してないよな?」


 丈二がドアを開けると、オフィスは静まり返っていた。

 開ける前までは、むしろ騒がしかったはずなのに。


 オフィスの真ん中には、社長がいた。

 社長はずんずんと丈二に近づく。


「お前がドラゴンを飼っていることは事実なんだな?」


 ああ、なるほど。

 丈二は理解した。

 オフィス中の視線が丈二に集まっている。

 これは社長が言いふらしたことが原因だろう。


「え、ええ。そうですけど」

「ふむ」


 社長は考え込むように、あごに手を当てた。

 数秒ほどたつと、ニヤリと笑った。

 なにか面倒なことを思いついたのだろう。


「よし、そのドラゴンを我が社に渡せ」

「はぁ!?」


 社長から出てきたのは思いがけない提案、いや命令だった。


「金なら出す。400万ほどでいいか?」

「……」

「どうした、お前の年収よりも上だぞ。喜べ」


 良いわけがないだろう。

 

 丈二がおはぎと出会ってから、まだ数日だ。

 それでも大切な家族だと思っている。

 おはぎだって同じ思いだと信じている。


 たとえ、どれだけの金額を詰まれようとも、家族を売り渡すつもりなんてない。


「無理です」


 すっぱりと丈二は言い切った。

 

 それが気に入らないのだろう。

 社長のこめかみがぴくぴくと震えている。


 社長が肩に手を乗せてきた。

 グッと力が入っている。

 丈二を押しつぶそうとするように。


「牧瀬、よく考えろよ。あのドラゴンが居れば、我が社の業績はグッと伸びる。そうなれば皆が得をするんだ」


 社長は大仰に手を広げた。

 オフィスにいる社員を見せつけるように。


「お前は大金を手に入れて、今後の会社の待遇も良くなり、社員たちも楽になる。皆が幸せになるんだよ」


 この社長が社員の幸せなんて考えるはずがない。

 同調圧力で押し切るために、社員を味方に付けようとしているのだろう。


 だが誰に何を言われようとも、丈二に引き下がるつもりはない。

 丈二はお腹に力をこめる。

 もう一度、断固とした拒否を示そうとした。


 だが、その必要はなかった。


 丈二の上司が近づいてくる。

 役職的には部長だ。

 七三分けにして、四角い眼鏡をかけている。


「社長。少しお話があります」

「あ? 後にしろよ」

「大事な話なので」


 社長が機嫌悪そうに言い捨てたが、部長は引き下がらなかった。


「社長、これを」


 部長が何かを手渡した。それは、


「た、たいしょくとどけぇ!?」


 社長の間抜けな声が、オフィスに響いた。


「それは私の分です。それとこちらも」


 部長はさらに何枚もの退職届を取り出す。


「他にも複数の社員から預かっています」

「ふぁ!? な、なんで、お前らどうして!?」

「複数の社員から提出されていたのを、私の方で止めていました。もちろん本人の了承のうえで」


 あの人数に出ていかれたら、残った従業員への負担はすごいことになるだろう。

 乗るしかない。

 このビッグウェーブに!


「あの、私も出しときます」


 丈二は机の中から退職届を取り出すと、社長に渡した。


「あ、俺も」「わ、私も」


 次々と社長の手には退職届が溜まっていく。

 卒業式に人気の先生が貰う花束みたいな状態だ。 

 意味合いとしては、まったくの逆だが。


「昨日の夜のうちに書いといて良かったー」


 牛巻もその上に、退職届を乗っけた。

 その紙きれ一枚の重さに耐えきれなくなったように。

 ドサリと社長が倒れた。


「あ、あれ。わたし何かやっちゃいました?」


 そっと牛巻は社長から離れた。

 殺人現場から逃げるように。


「な、なんで、どうして――」


 社長は天井を見つめたまま、ぶつぶつと呟いている。

 あれはもう駄目だろう。


 そんな社長を無視して、皆は自分の机へと戻っていく。

 退職するにも準備が必要だ。


 最低限のことをやったら、あとは有休を消化すればいい。

 幸いなことに有給は大量に残っている。

 使わせて貰えなかったから。


「あの、部長。どうして急に」


 丈二は部長に声をかけた。

 どうして急に退職届を出したのか、それが気になった。


「実は、新しい会社を立ち上げることが決まっていてな。退職届を出した社員たちにも話してある」

「そ、そうだったんですか」


 部長は肩をぽんぽんと叩く。


「牧瀬はおはぎちゃんと頑張るんだろう? なにか困ったことがあれば、いつでも相談してくれ。逆にウチから依頼することもあるかもしれんがな」

「はい。ありがとうございます」


 最後に、部長は耳打ちするように話しかけてきた。


「それと、そのうち飲みに行こう。負けたままは悔しいからな。俺のビーフジャーキーを分けてやるよ」

「は?」


 部長はそう言い残すと、自分の席に帰っていった。


 ビーフジャーキーと聞いて思い浮かぶのは、昨日のおはぎのことだが……。

 丈二は首をひねるが、どういう意味か分からなかった。

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