廊下を少し小走りに、揺れる黒髪に追いつく。


「なあ、どこ行くんだ」


 パタパタパタと、足音が閑散とした校舎の中を跳ね回る。黒髪は振り向きもしないで答える。


「四階よ」


 いや、そんな具体的な位置を訊いているんじゃなくてな……。

 問い直したかったが、こいつの歩行スピードは会話に適していない。有無を言わさぬその態度に面倒くさくなったので、黙ってついていくことにする。ドラマで見た院長回診みたいだ。

 階段を一気に三階もあがったので少し体が熱い。三上なんかはひいひい言っているが、後ろ姿を見せつけ続ける少女の息は整っていた。

 四階の光景に俺は少し涼しさを覚える。


 この学校の校舎は一見すると三階建てなのだが、実は三階西端の上に少し空間がある。他の階層の三分の一もないが、そこを四階としているとのことだ。入学式での校長の与太話にそうあったのを覚えている。入学一日目の俺たちはもちろんだが、きっとほとんどの生徒にとって立ち入る機会のない場所だろう。校長も言っていたが、俺はその意味を真に理解する。

 廊下を埋め尽くす机と椅子たち。それらはどれも一様に埃をかぶっている。そして、そいつらに隠れるようにベニヤ板や、色とりどりの布。塗料のような臭いもする。文化祭で使ったものだろうか。

 ここは、学校の不要品置き場になっているのだ。


 どこか哀れな無機物たちを、人混みを避けるようにすりぬける黒髪。俺たちは時々足をぶつけてガタンッと音を立てながら、追いすがる。


「ここよ」


 ある教室の前で黒髪は止まる。さすがに戸の前にものは置かれておらず、三人は横に並ぶ。


「何する教室だ、ここは」


 ドアの上の札かけには何もかかっていない。もちろん授業なんか行われていないのだろう。


「使われていない教室よ」


「見ればわかる」


 俺たちはここに来て何をするのかを聞きたいんだ。

 問う前に教室に入ってしまう。話を聞かないやつだ。


「うう…………」


 三上が肩を寄せて怯えてしまっている。よっしゃ、かっこいいとこ見せましょ。


「大丈夫。入ろう」


「……うん!」


 可愛いやつだ。

 さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。俺はダンジョンに臨む勇者の気持ちで教室に踏み込んだ。


「いらっしゃ~い。御前くん」


 蛇が出た。


「何してんだ、二階堂」


 教室ではすでに茶髪ツインテールが、椅子に足を組んで座っていた。


「やっぱり御前くんも来たねえ。私もお呼ばれしたよ」


 二階堂はえらく楽しそうに言う。


「三上がおまえを見なかったのは、こういうわけか」


「三上?」


 背中に隠れていた三上がおずおずと横へ出る。


「……三上由良です」


「二階堂ハルナ。よろしく。由良ちゃんって呼ばせてもらうね」


「い、いいですけど……」


「自己紹介は済んだ?」


 鋭い声がぴりりと場を引き締めた。

 何故か教卓を前に立つ黒髪がパンと柏手を打つ。しかし、この教室には教壇がない。けして低くはないものの身長の足りない黒髪はまるで胸像がしゃべっているようで気味が悪い。


「では改めまして。私は一年一組、一ノいちのせ若葉わかばよ」


 改めましてもなにも、俺と三上は今、初めて名前を聞いたんだが。


「二階堂ハルナさん。御前零次くん。三上由良さん」


 黒髪こと一ノ瀬はない胸を張り、告げた。


「あなたたちを我が部へ歓迎するわ」


 俺は無言で挙手。「どうぞ」と一ノ瀬が発言を促した。


「何部ですか」


「まだ名前は決めてないけど……『テーブルゲーム部』、とでも銘打っておきましょうか」


「学校の許可は取っていますか」


「ええ。昨日。まあ正式な申請書には部員四名の名前がいるから、設立はまだね」


「テーブルゲーム部とは?」


「そのままよ。この教室で、ゲームをしつつ協調性、論理的思考、精神性を高めましょう」


「……帰っていいですか」


「まあまあまあまあ、御前くん」


 踵を返しかけた俺を二階堂が肩をつかんで止めた。そのまま腕を回して肩を組んでくる。


「離せ、二階堂。俺はサイコロ遊びなんか興味ない」


「わたしだってそんなにないよ」


「じゃあ一緒に逃げようぜぇ……ほかにいくらでも部員になる奴はいるだろ」


「いないんだなあ、それが」


 ニタリ、と例の笑みを浮かべ、二階堂は教卓へ向き直る。


「若葉ちゃん、御前くんがワタシたちを入部させる理由、聞きたいってさー」


「そう」


 言いつつ自分でも格好がつかないことに気づいたのか、教卓の前に出てくる。


「あなたたち三人は初回授業の今日において、始業時刻より一時間も早く教室に着いていた」


「先着順で選んだっていうのかよ」


 あきれる。そんな勧誘で部員が居着くはずがない。しかし一ノ瀬は首を振って続けた。


「初日から早朝登校をするなんて、遅刻や無断欠席とは縁の無い、品行方正な生徒に違いないじゃない。私の部の人間には、そういう人こそふさわしいわ!」


「…………」


 想像を超えた短絡思考に呆れを通り越して哀れさすら感じてしまう。


「わたしぃ、ヒンコーホーセイなのぉ」


 二階堂の笑みの理由がわかった。よしバラそう。すぐに。


「一ノ瀬さんとやら。残念ながら二階堂は品行方正とはほど遠い、ただのゲーム馬鹿だ」


「そーなのぉ、ワタシ、ゲーム馬鹿なのぉ」


 二階堂の顔から笑みが剥がれない。まさか、こいつ。


「知ってるわ。それこそ我がテーブルゲーム部にはもってこいの人材じゃない」


 一ノ瀬がそう言ったことで、俺は罠を踏んだことを知る。


「二階堂、おまえ、仕込んだな!」


「何のことやら。わたしは普通に自己紹介しただけですよー」


 一ノ瀬は知らないのだ。こいつが嗜むのはテーブルゲームではなく電子ゲームだと。


「というか二階堂。その口ぶりだとおまえは入部するみたいだが、いいのか? 家でゲームする時間が無くなるぞ?」


 んー? とツインテールを揺らして考えるふりをしやがる。


「そーねぇ、でもたまにはアナログなゲームもいいかなって。この年で疲れ目っていうのも嫌だしね。それにワタシ、家まで5分なので。最終下校時刻は18時10分。さっきも言ったけど、寝るのは19時だから問題なし」


「ゲームする時間が減ってねえから、疲れ目は解消されないじゃないか」


「この部に誘われなかったら直帰でゲームするつもりだったけど?」


「ぐぬぬ、あー言えばこー言う奴だ。だが俺は、入部は断固拒否する!」


「えー、きっといいことあると思うよぉ」


「駄目だ駄目だ」


 俺は高校生になったら、アルバイトをして少しでも家族の負担を減らしてやりたいと思っていたのだ。部活なんぞしている暇はない。

 ふと後ろに引かれる感触が。三上がついついとルアーを引くような動作で学ランの裾を引っ張っていた。その表情は少し興奮気味だ。


「ねえねえ、一ノ瀬さんってひょっとして……」


「ん?」


 ひょっとしなくても、俺にはまったく心当たりがない。


「あら~さすが由良ちゃんはもう気づいたみたいだね」


 二階堂が割り込んでくる。


「この辺で一ノ瀬って言ったら、あの一ノ瀬だよねえ」


「……?」


「ありゃりゃ、鈍いね。イチノセグループって聞いたことないかなあ」


「え? ……いやまさか」


 イチノセグループ。この地域を中心に展開する企業グループだ。この辺に住んでいれば名前だけなら聞くし、きっと多くの人間がそこで働き、世話になっている。


「まさか、その社長の――」


 いや、そんな漫画みたいな……第一、もっといい学校に通わせてもらえるだろう。ここ公立だぞ。


「そ、社長さんの、姪っ子さん」


 ガクッ。


「ま、でもそのお父さんだって一ノ瀬グループの役員らしいし? お金持ちなのは、事実だよ」


「詳しいなおまえ」


「本人に聞いたからね」


 企業秘密すら漏れ出しそうだな。


「ラッキーだよねえ、そんなお嬢さんとお近づきになれるなんてさ」


 俺の二の腕を指でぐりぐりしてくる。やめろ、気持ち悪い。


「おまえ……そんなこと考えて入部するのかよ」


 やけに顔を寄せて話すと思ったら……一ノ瀬に聞かれたくないわけか。


「いいじゃんいいじゃん。遊んで、仲良くなって、そんで時々奢ってもらったりさあ。お小遣いもらったりさあ」


 悪魔か、こいつ。


「でも入部者が四人いないと申請が通らない。全部パァになっちゃうわけ。だから御前くんにも入ってもらわないと困るなあ……ワタシが」


「…………」


 俺は無言を貫くことにする。この蛇女の話に取りあっていたら、いつの間にか飲み込まれていそうだ。


「ねえ、由良ちゃんも入るよね」


 まずい、外堀を埋めに来たか。


「えっわたし、その……どうしよう、もう少し考えさせてくれたら……」


「若葉ちゃーん、由良ちゃんが入部イヤだってー」


 二階堂は仲間を呼んだ! 一ノ瀬が現れた!


「ええ! それは困るわ!」


 なんでそんな困った顔ができるのかわからない。本来なら一人だって入部しないぞ。


「お願い三上さん!」


「由良ちゃん、おねが~い」


 二人がかりで三上を丸め込もうって寸法か!


「うう……わたし、わたし……っ!」


 追い詰められた三上がぐいぃと俺の背を押し出した。


「ご……御前くんが入るなら入ります!」


「なああ!?」


 よしきたとばかりに二階堂が手をわきわきさせて俺に迫る。


「へぇ、隅に置けないねえ、御前くん。さっ、おとなしくして。じゃないと由良ちゃんに何しちゃおうかなー」


 えっ、部活の勧誘だったよな? 何されるの、これ!?


「さ、若葉ちゃんも何か言ってやって」


 一ノ瀬の前に押し出される。当の一ノ瀬は何を? という顔をしている。


「……? ああ、活動時間のこと? 一応、業後を予定してるけど、お望みなら今日みたいに朝練もしましょうか」


「なんで入部するの前提みたいになってんだ!? 俺は入部しない! 従って三上もしない! あと二人、好きに見つけてくれ! 以上、解散!」


「あのねえ御前くん、私は、楽そうだとかすぐ帰れそうだとか考えて入ってくるような部員なんていらないの。全校に募集なんてしたら、あっという間に堕落者の巣窟になるわ。私はこの四人以外の部員は求めてないの」


「酔狂は一人でやれ! 金持ちだがなんだか知らんが、庶民を巻き込まないでくれるか! どうせリムジンで送り迎えとかしてもらって……」


 ふと気づく。リムジン。


「あ、あれ! おまえのリムジンか!」


「確かに、今朝は送ってもらったけど。どうしたの? 血相変えて」


「どうしたもこうしたもない!」


 俺は道中、一ノ瀬のリムジンが原因で転んだこと、ケガしたこと、おまけに三上に世話になったことまでまくし立てた。


「まあそれは……お気の毒です」


「なんで他人事なんだよ!」


「え? ああ、車に傷がついたか気にしてるの。安心して、私はそんなことで弁護士を呼んだりしないわ。せまい路地に駐めた運転手が悪いんだから……もう、すぐ帰っていいって言ったのに」


「ちげーよ!」


 ああ腹立つうぅぅ!


 ――待てよ? 俺はある事実に思い当たる。


「一ノ瀬、あの時リムジンには乗ってなかったのか?」


「え? ……ええ、私ちゃんと昇降口の前で降ろしてもらったもの。あなたの言うように、道で駐まってたなら、私が戻ってこないか待機していたのね。過保護で困るわ」


「ってことは、おまえ、二階堂とはいつ会った?」


「二組のドアが開く音がしたから、すぐ部のことを話しに行ったわ」


 つまり二階堂と教室に向かっていたとき、すでに一組には一ノ瀬がいて……じゃあ学校一番乗りは二階堂じゃなくて――。


「おまえかよぉぉ!」


「ちょ、ちょっと何なの!」


 俺は思わず一ノ瀬の肩を掴んでいた。


「あー、そういえばそうなんだよね。アンラッキー」


 俺の怨恨だけで察した二階堂がぼそりと呟く。そしてその頭上に「ピコーン!」と電球が灯ったような顔をした。


「若葉ちゃん、ちょっと耳かーしてっ」


 俺の手を一ノ瀬から引きはがすと、例の悪しき笑みを浮かべた口元を黒髪の横へ持って行く。一ノ瀬はふんふんと相づちを打っているが、なんでこいつはこの笑顔を警戒しないんだ? 「敵城の井戸に毒を入れておきました」とか吹き出しつけてもなんの違和感もないんだぞ?


「……わかったわ」


 うわ、笑顔が感染した。いったい何を吹き込まれたんだ。


「御前くん。ここはひとつ、勝負で決めない?」


「勝負?」


 あてつけか、と二階堂をにらみつける。


「ええ。ここにトランプカードが一組あるわ」


 一ノ瀬の取り出したるは、やけに装丁の凝ったトランプケース。まだ封の切られていない新品だ。


「私と……『大富豪』で勝負しましょう」


「俺と、勝負?」


「ええ」


「勝てば入部しなくてもいい?」


「そうよ」


「だが断る」


「何故!?」


 考えればわかることと、考えなくてもわかることがひとつずつ。

 まず考えればわかる。テーブルゲーム部なんてものを創ろうとしている人間が、ゲームに精通していないわけがない。そもそもが俺に不利な戦いだ。

 そして考えなくてもわかる。俺がそんな賭けに乗る理由がない。前提として入部が当然となっている一ノ瀬の回路がおかしいのであって、俺は何か弱みを握られているわけでも、人質も――まあ、三上がそれかもしれないが、とにかく、ない。

 要はこいつ、一ノ瀬は二階堂仕込みの口八丁で俺をたぶらかそうという魂胆なのだ。

 そんな手に乗るものか。どうせなら、そう、俺が勝ったら十万円ポンとくれるとかなら考えなくもない。


「じゃあこれならどう? ここに私の入学祝い十万円があるわ」


 鼻水吹いた。


「検めてもらってもけっこうよ」


 二階堂が「ウッヒャア!」と奇声をあげて飛びつく。三上は熱を出したかのように手の甲を額に当ててクラクラしている。高校生の目には毒でしかない金額だ。


「ひいふうみいよー……ごーろくななはちくーじゅっ! 確かに!」


 慣れた手つきで札束を数えた二階堂はそれを教卓の上へ。そして黒板に何か書く。教卓に向けて下矢印→を描き、その上に『賞金! ¥1000000!』。ゼロが一個多い。


「もう決まりだね、御前くん。若葉ちゃんがここまでの覚悟を見せたからには、もう後には引けないよ」


「バ、バカ! 金をそんなふうに使うんじゃ、あ、ありませんよ!」


 口ではそう言ったが無意識に喉が鳴り、動く喉仏に二階堂の視線が刺さった。まるでウキが沈んだのを見た釣り師だ。

 いかん、いかんぞ、これは違法だ。学舎の一室で新入生が賭博なんて冗談でも笑えない。ダイアー・ストレイツの名曲を思い出せ! あぶく銭なんて額面がいくらあっても、何の足しにもならないのだ!


「トランプなんざ、おまえらで勝手にやってろ。俺は、教室に戻る」


「ええ……わたしもはいってるの……?」


 三上が悲痛に鳴く。すまん。


「待ちなさい、御前くん!」


 一ノ瀬が呼ぶが、俺の足は止まらない。


「逃げるというの? 男が女に勝負を挑まれて」


 ピタと足が止まる。


「情けないわね。確かに、賭け事じみたものになったのは謝るわ。でもそれは、勝ち負けの外にある付属品に過ぎないわ。大切なのは、勝者と敗者を分ける闘い。そこにあるんじゃなくて?」


 ピク、と耳に寒気が走る。耳の穴が広がっている気さえする。


「それに聞けば、あなた、今日一番に学校に着くか『勝負』していたらしいわね。そして、勝者は私。敗者はあなた。その雪辱のチャンスを私自ら差し出してあげたのに、そこから逃げるなんて……もういいわ。帰りなさい。あなたみたいな勝負に臆病な男、この部にはふさわしくないもの。さ、もっと気骨のある人を探そうかしら」


「おい……!」


 喉から、煮えたぎるような声が出た。


「勝てば十万。負ければ入部。撤回しないな」


 一ノ瀬の薄い唇から、ふふっと不敵な笑い。


「男にも女にも、二言はないわ」


「上等だ。やってやる。ルールを説明しろ」


 視界の端で二階堂が口が裂けるほど口角をつり上げ、三上が涙目でへたり込んでいたが、そんなことはどうでもいい。


 勝ってやる。負かしてやる。打ち破ってやる。踏み越えてやる。登り詰めてやる。

 闘争心が腹の中で渦を巻き、原子炉のように熱を生み出す。

 次こそ俺の勝利だ。勝ち取ってみせる!


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