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「あ……あ……?」
開いた口が、ふさがらなかった。
がらんどうの自転車置き場に自分のものを止め、意気揚々と昇降口にあがった俺を出迎えたのは、下駄箱をにらんでうんうんと唸る女子生徒だった。
バカな。自転車置き場にはほかに誰も自転車を止めていない。徒歩の生徒がこんなに早く登校する理由など無い。なら何故、こいつは俺より先に下駄箱に立っている。
「う~~ん……あっ」
女子生徒がこちらに気づく。と、同時に朝日の光が昇降口に入り込み始めた。まるでつまみを回して調整するかのごとく、じわじわと明るみを増していく。
薄暗いうちはよくわからなかったが、彼女の髪は少し茶色がかっている。ツインテールに結った髪の色味は自然で、おそらく地毛だろう。
唖然と彼女を見ている俺を不審に思ったのか、怪訝な顔をして口をもごもご動かした。
「あー……おはよう。早いんだね、初日から」
その声はけだるげで、実に眠そうだ。こんなヤツがどうして俺の前にいるんだ。喉から強い言葉が飛び出しそうになるのをぐっとこらえる。
「ああ……そっちこそ」
何故この人は私を親の仇を見るような目で……と言いたげな表情だ。
「わたしの下駄箱、なんだけどさ。どれなのかわかんなくって、困ってるの」
新入生だ。俺の頭に敗北の二文字が撃ち込まれた。
「昨日の今日で、もう忘れたのか?」
「いいじゃん。教えてよー」
思わず高圧的な言葉が飛び出してしまったが、彼女は萎縮も反発もしなかった。
「……生徒手帳に、出席番号が書いてある。ロッカーもその番号で割り振ってあるだろ」
「あ、なるほど~」
突きつけられた敗北で消沈する俺に気を払うこともなく、女子生徒は生徒手帳を取り出し、自分の自分の下駄箱を開いた。同じクラスではなかった。
俺も自分のロッカーに靴をしまう。中の上履きが「遅かったな」とあざ笑った気がした。
「あのさ……ありがとね。こんな早いと先生たちも来てなくて。鍵開けた先生ならいるんだけど、忙しいだろうし、説教されそうでさ。私、
「
「は?」
「それが名前なんだ。時報じゃない」
「ふ~ん……」
同時に履き物を替えた以上、自然と連れだって歩くことになる。行き先も同じ、一階の一年生教室だ。
「ねえねえ」
不意に二階堂が発した声が、誰も居ない廊下を想像以上に反響する。何も悪いことをしていないのに、思わず体がはねた。彼女はぼや~っとした目で前を向いたまま口を動かす。
「こんな早くに来てどうしたの? 何か用事? タメだよね?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。それを訊いてしまうのか。本人は世間話のつもりなのだろうが。
二階堂は答えを待つことなく口を開いた。
「ワタシはね――」
俺は素早く聞き耳を立てる。敗北は次の勝利のための礎だ。勝者からは学ばなければならない。
さあ、何が理由だ、言ってみろ。どんな作戦で俺を出し抜いたんだ!
「ゲームが趣味なんだ」
「は?」
気持ちが空振りして素っ頓狂な声が出た。何だ? もう話題が変わったのか?
「やっぱ女の子がゲームするのって変かなあ」
俺の頓狂な声の理由を微妙に勘違いして二階堂は続ける。
「けっこう夜遅くまでやるからね。中学で遅刻常習になっちゃって」
不健康なことだな。
「だから、春休みのうちに生活リズムを変えたの」
話が戻ってきた。
「それでこんな時間に?」
そんなに極端に生活スタイルを変えれるものなのか。俺は早寝早起きの原則を破ったことがないからわからない。
「うん。7時就寝、1時起床」
ん? 午前? 午後? どっちが?
俺の目に映る疑問符を気づいてか、二階堂が付け足す。
「夜の7時に寝て、朝の1時に起きるの」
なんてこった。1AMに日が昇るなんて。どこの惑星から通っているんだろう。
「んで、日が昇るまでゲームして、そのまま学校来たの」
「なんちゅう生活しとるんだ!」
思わず強い言葉が飛び出したが、ツインテールは気にもせずぴょこぴょこ揺れていた。眠そうなのは、睡眠不足じゃなくて眼精疲労か。
「いやー、これはワタシのゲームライフにモディファイされた理想の生活リズムだよ。深夜の方が鯖があったまってるしね」
急に日本語ができなくなったと思ったら最後は料理の話になった。ゲームばかりやるとバカになるのは本当かもな。
「それで、御前くんは?」
問い直され、俺の眉間はせばまる。
「学校に、一番に登校しようと思って……」
悪気はなかった。反省している。と、続きそうな告白だ。
「あっそうなの? ……もしかして、邪魔しちゃった?」
その通りだ、と言いそうになった口を慌てて結ぶ。
確かに、こいつのような特殊な生活を送っている新入生がいなければ、俺の目標は間違いなく達成できただろう。俺の努力は、二階堂のゲーム熱によって無となった……それは、認めたくない。
俺の無言をどう受け取ったか、二階堂はふーっ、と鼻を鳴らした。
「そっかー。じゃあ今日は私が一番かー……」
瞬間、ぼんやりとしていた彼女の瞳に漆黒の灯がともり、口元には魔女もかくやという冷笑が浮かんだ。
「……『ラッキー』……また勝っちゃった」
そして喜びを噛みしめるようにクツクツと喉を鳴らすのだった。
ぞわ、と寒気が走った。こいつの表情に、発言に。
俺の万全の計画が、努力が、決意が。『ラッキー』に打ち砕かれた。
がくりと足の力が抜け、廊下にひざをつきかけた。
「おお、大丈夫?」
俺の心中も知らず、茶髪は優しい声をかけてくる。敗北に塗られた俺の胸には、早いところこいつから離れたいという気持ちが染み出してきていた。
「じゃ、ワタシ二組だから」
その時が来たのはそう遅くなかった。1―2教室前で立ち止まった二階堂は腰の前で開いた手をゆるゆると振った。
「御前くん。何組?」
思い出したような声が俺の背中をたたく。訊かれたからには、答えなくてはならない。
「五組だ」
「五組の御前零次くんね……覚えとく」
覚えなくてけっこうだ。思うだけにとどめる。
……しかし俺の方も、二階堂ハルナを忘れられそうになかった。
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