卓上遊戯部

植野陽炎

GAME 1


 何でも一番というのは気持ちの良いものだ。たとえそれがどんなに小さく、つまらないものであっても、一番は一番だ。努力し、思考し、出し抜き、勝ち取るものだ。競争心は己を強くすると、俺は信じてやまない。


 早朝6時30分。時間の静止したような風景の中を、俺のこぐ自転車だけがすり抜けていく。

 パリッパリで汚れひとつない学ランが向かい風を受けてバサバサと羽ばたく。新調した自転車はなめらかにチェーンを回して俺を前へ、前へと運ぶ。

 すでに気分は最高潮だった。朝日が体に力を注いでくるのがわかる。

 だが、こんなところで満足してはいられない。


 早くも昨日のこととなった入学式。校長の長話や在校生祝辞をBGMに思いついた、あるひとつのチャレンジ。


「目標は――一番乗りだ!」


 速度を落とさずに交差点を曲がり、己を奮起する言葉を発する。

 そう、俺の目標。それは授業開始日の今日、新入生の誰よりも早く校門をくぐること。

 みんなはくだらないことと思うかも知れないが、俺は違う。目標を立て、達成する。その繰り返しこそが人生だ。その結果に何の得があるかなんて、どうでもいい。


 計画も準備も万全だ。

 入学式に続いて執り行われた始業式の帰りに最短ルートを開拓し、道順を頭にたたき込んだ。九時に眠り、五時に起床。母さんが弁当を作りがてらこしらえてくれた朝食を、英気を養うためたっぷり30分はかけて味わった。体の成長を見越して大きめに作った制服に、粛々とした気持ちでそでを通して、家を出たのは六時半。指定通学路をして20分の通学時間は、最短ルートを使えば15分に短縮できるはずだ。登校時間が八時だから、普通の生徒が門につくのに一時間近い差をつけて教室に入ることになる。


「圧勝だな……!」


 残るはこの身を学校へと運んで行くのみ。不測の事態、イレギュラーに警戒してな。たとえば交通事故のような――。


「ぬおおおおおっ!」


 悠々角を曲がった俺の目前に、黒塗りの自動車が立ちふさがった。

 反射的にブレーキを引いたが勢いを殺せない。俺は全身を使って、暴れる四足動物を引き倒すように自転車の進路をねじ曲げた。


「ふんぐぁっ!」


 急ハンドルを切られた自転車は俺の体を乗せたまま横転し、アスファルトを滑っていく。視界がぐるぐる回って、三回目に朝日が見えたとき、ようやく自転車は力尽きた。


 カラカラカラカラというタイヤが空回りする音が途絶えるころ、体に感覚が戻った。


「……いてえ」


 だが痛いだけだ。自分に言い聞かせて、頭をあげる。


「こんなところに路駐しやがって、危ねえ……な……」


 俺は、恐怖に痛みを忘れる。思わず息をのんだ。


 すんでのところで激突を回避したのは、漆黒のリムジンだった。リムジン。ほとんどの人間が、存在は知っているのに見たことはない、少なくとも俺の周りでは。そんな伝説的乗用車。それが目の前に。

 サァッと血の気が引いた。こんな車に傷をつけた時には、家族で首をくくらなきゃならないところだった。間一髪だ。


「そ、想像してたより、ずっと長えんだな」


 てきとうな感想とともに、空気と感情を吐き出す。

 しかしこんな田舎にリムジンが駐まってるとは、何事だろうか。しかもこんな何ともない公立高校の前で……。


「高校!」


 俺は自転車の重みをものともせず立ち上がる。

 そうだ、もうこの道は学校の敷地沿いだ。後は校門に向かうだけではないか。

 幸い体も自転車もまだ動く。スラックスは毛羽立ってるし、自転車も前カゴがゆがんでしまっているが。


 はじき飛ばされた鞄を回収し、自転車を引き起こす。目標を目前にして、とんだ災難だ。忌々しいリムジンめ、どこの金持ちか知らんが見通しの悪い角に路駐など非常識だと思わないのか。

 だがロスはせいぜい2分。たかが一回転んだくらいで、学校一番乗りになんら支障は無い。

 支障は無い……なかったのだが。


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