始末 六

 陸王りくおう紫雲しうんが声をかけたと同時に、妖刀の刀身に真っ黒な液体がぼたぼたっと落ちた。それを見た陸王がすぐに雷韋らいの手を捉えて掌を確認する。少年の薄っぺらな掌が、真一文字に深く切り裂かれていた。その傷口から、まだ濁ったままの黒い血が溢れ出しているのだ。


「いって」


 雷韋の口から小さな、それでいて苦しそうな呻きが上がる。


「雷韋、何があった」


 陸王が雷韋の傍で片膝をついてしゃがみ込んで問うと、雷韋は両目を固く瞑って答える。


「魔剣からじゅを吸い取って大地に流そうと思ったら、いきなり痛みが走った。すげぇ痛い。呪までかけられた」


 陸王も紫雲も、雷韋を凝視した。確かに紫雲は悪意を向けてくるとは言ったが、まさか呪までかかるとはこの場の誰も思わなかったのだ。しかし、雷韋の受けた傷口は紫色に変色して腐るような臭いを発している。


「その傷は自分でなんとか出来そうか」


 陸王が問うと、


「うん。呪は大地に吸い取って貰えるし、傷もすぐに治せる。でもこれじゃあ、どうやって解呪すればいいんだよ」


 悔しそうに雷韋は片目を開けて、妖刀に視線を向けた。


「いい。俺がやる。お前は傷の手当てをしろ」

「駄目だ。俺が解呪する。今のは手を近づけすぎたのかも知れないし」


 痛みに喘ぎながら言う。


「馬鹿野郎。今は掌を切られただけだったが、下手すりゃ指を切り落とされる可能性もあるんだぞ。俺に任せておけ」

「でもそれじゃあ、あんたが魔剣に取り憑かれることになるじゃんか!」

「多分、大丈夫だ。俺は人族じゃねぇし、あの中位も制御出来ていたと言ったろう。同じ魔族が創り出したものだとしたら、俺も大丈夫だ。しかも、俺より遙かに低位の魔族が創ったものだ。なんとかなる」

「大丈夫って保証はどこにもないじゃんか!」


 陸王は、苦しそうに息を詰めるように言う雷韋を宥めるように見た。


「雷韋。吉宗が神剣なのは分かっているな」

「知ってるよ。あんたにしか使えない、あんただけのものだ。俺には鞘からだって引き抜くことは出来ないよ。それがなんだよ」

「吉宗と妖刀は対になっていると言う。吉宗に俺の気を送り込めば、例えそれが魔気であったとしても、吉宗は魔気を吸って神気を発する。対の妖刀に魔気を送り込めば、魔気を発しながらもやはり吸収しようとするだろう。そうして許容量を超えさせれば、勝手に崩壊するはずだ。俺はそう見ている」

「でも、それは憶測だろ? 取り憑かれちゃったらどうすんだよ。俺も紫雲も、魔剣に操られたあんたを止めることなんて出来ないよ。簡単に殺されっちまう」


 言い募る雷韋の頭に、陸王は手を乗せた。そうしていつものように撫で叩いてやる。


「もし俺が取り憑かれてお前らを襲うようなことがあれば、最悪、殺してもいい。神聖魔法リタナリア幾許いくばくかは俺を止められるからだ。妖刀を握っている腕を切り落としてもいい。首を断ってもいい。俺には下位魔族のように核は存在しないからな。人と急所は同じだ」

「殺すなんて嫌だ! あんたは俺を置いていくつもりかよ!? いつも俺のことは自分の生命の綱だって言うくせに!」


 掌の痛みもそっちのけで、悲愴な顔で言う。


 遺すのも遺されるのも互いに本意ではない。それでも陸王は、雷韋を手にかけるよりは最後の手段として、自分が死んだ方がましだったのだ。それは雷韋も同じだろうと思う。遺されるより、遺す方がいい。対は知らずのうちにそう考えるものだ。だから陸王もそう伝えた。当然ながら、雷韋は拒否しているが。


「雷韋、聞き分けろ。誰かが妖刀を破壊しなけりゃならん。だが、解呪は出来ねぇ。だったら、俺のやり方で破壊するしかねぇだろう。それにお前の手の怪我も治さなけりゃな。俺が妖刀を破壊している間に手当てしてろ」


 そう言って、陸王は優しげに笑う。雷韋の頭を再び撫で叩くと、今度は妖刀と向き合った。


「お前らは一応離れていろ。もし俺が取り憑かれるようなことがあれば、逃げ出す暇はないだろうからな」


 それを聞いて、紫雲が雷韋を促して立ち上がらせる。紫雲に解呪は出来なかったのだ。多種多様な言葉を選んで解呪しようとしたが無理だった。同じく、雷韋にも解呪は出来なかった。なれば、陸王に任せるしかないと紫雲は踏んだのだ。酷く悔しいことだが。それでもまだ妖刀を破壊出来なければ、ほかの方法を考えねばならない。


 雷韋は斬られた掌を上にして、手首を掴んだまま紫雲と共にその場から離れた。痛み半分、心配そうな眼差し半分で陸王を見る。


 陸王は横目に雷韋と紫雲が離れていくのを確認してから、妖刀の柄の下に手を滑り込ませる。触れただけの感触ではよく分からなかったが、柄を握った途端に酷い悪意が陸王の中に入り込んできた。完全な負の感情だ。人から受ける負の感情であればこれ以上もない馳走だが、妖刀から感じる負の感情は精神を真っ黒に塗り込められそうだった。


 陸王はそれを感じて、人は皆この感覚に精神を塗り固められ、自由意志を奪われるのだろうと思った。今感じる負の感情は、怨嗟だ。他人を呪い殺すような激しい感情の波。


 それでも陸王よりずっと下位の魔族が創ったものだ。これまで、人を散々惨たらしく死に追いやったのだろう。そのお陰、というのも妙な話だが、人から怨嗟が上がるほど惨い死に方をさせたせいか、刀に怨嗟を吸収させることは出来たようだ。けれど、それでも陸王の意思を奪うほどのものではなかった。それよりも苦しい。柄を握った手から、身体の芯より精気が吸い上げられていくのがはっきりと分かる。その感覚が苦しいのだ。しかも、精気を吸い取られているために身体から力でも抜けるかと思いきや、全くその逆だった。やけに身体に力が漲る。柄を握る手にも力が入っている。


 身体が強ばるほどに力が漲っていた。


 陸王が立ち上がると、


「陸王?」


 雷韋が痛みを堪えながらも、心配そうに声をかけてくる。陸王はその声に振り向くと、


「問題ない。精気を吸い取られている感覚が少しばかり辛いが、意識を奪われるようなことはねぇ。俺に対しては、そこまで強い力を発揮できんらしい」


 そう答えて、妖刀の刀身をじっくりと見た。すると、妖刀に向かって糸のようなものが続いているのに気付いた。呼吸をするように細くなったり太くなったりしている。その糸のようなものがどこに続いているのかと目を追わせれば、それは雷韋に繋がっていた。それも雷韋の掌へと続いているのだ。


 つまりこれは、雷韋の精気を吸っている状態という事だ。


 陸王が自分達の方を向いているのを見て、雷韋が苦痛の中から声を絞り出す。


「どうしたんだ?」

「いや、妖刀がお前の精気を吸っているのに気付いただけだ。大丈夫だ。すぐに壊す」

「俺の精気を……?」


 雷韋が心細げな声を出すが、陸王はもう一度大きく呼吸をしてから言った。


「いいか、やるぞ。雷韋、お前、腕に傷はついたままだな」

「うん。まだ魔気が抜けきってないから、傷を塞ぐことが出来ないんだ」

「ならいい。お前にはもう暫く負担をかけることになるが、これから妖刀に魔気を送り込む」

「分かった。でも、無茶すんなよ」

「誰にものを言っている」


 どこか挑発じみた吐息が漏れた。それから陸王は奥歯を噛み締めて、刀の柄を握る右手に意識を集中させる。右腕に力が集まり、それが手の方まで伝わっていった。自然と瞳が紅くなる。それを感じながら、陸王は掌から妖刀に魔気を送り始めた。


 途端に妖刀の刀身から魔気が溢れ出す。


「雷韋君! 雷韋君、しっかり」


 紫雲の声に横目で見遣ると、雷韋が目眩を起こしたように大きく蹈鞴たたらを踏んでいた。多分、魔気に襲われてだろう。それでも陸王は、妖刀に魔気を送り込むことをやめようとは思わなかった。妖刀の許容量を超えるだけの魔気を送り込まなければならないからだ。そうしないと破壊出来ない。


 妖刀は陸王の発する魔気をどんどん吸い込んでいった。それと同じように、刀身からも魔気を発してる。だが、吐き出す魔気より、吸い込む魔気の方が断然量が多い。送り込めば送り込むだけ、吸い取っていく。魔気を吸い込むにつれて、刀身が燐光のようなものに包まれて怪しく輝きだした。

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