始末 五

 そのまま暫し走り続けて、


「紫雲だ!」


 雷韋が森の中に紫雲の姿を見つけて、大声を出す。


 その紫雲の様子は、両手両膝を地面について俯いている状態だった。肩が激しく上下していることからも、彼が随分と疲弊していることが知れる。


「おーい、紫雲!」


 雷韋が大声で紫雲の名を呼ぶと、紫雲は汗だくの顔を上げて、そのまま無理矢理といった風情で立ち上がった。胴着の袖で喉輪の汗を拭いながら、けれど雷韋を見るその顔は安堵したものだった。


「雷韋君……、無事でよかった」


 陸王の耳にもその声が届く。


 雷韋は早速立ち上がった紫雲に向かって駆ける足を止めずに目の前まで行くと、その両腕を掴んだ。


「陸王が助けに来てくれたから助かったんだ。そんで、魔剣はもう壊したのか? なんか強い力同士がぶつかり合ってたみたいだけど、それって神聖魔法リタナリアと魔剣の力だろ?」


 雷韋の問いに、紫雲は顔を曇らせる。


「妖刀はまだ解呪出来ていません。どんな言葉を使っても、妖刀のじゅが解けないんです。ほら、ご覧の通りですよ」


 と、紫雲は草むらの中に沈んでいる妖刀に視線をやった。


 そこには相変わらずの姿で妖刀が取り残されている。そこへ陸王もやってきて、妖刀を見つめると眉根を寄せた。


「随分と力のある詠唱をしていたようだな。遠くにいても感じたぞ」


 陸王が言うと、紫雲は少し意地悪げな笑みを見せた。


「それはそれは。貴方にとっては随分と辛かったことでしょう。強力な言葉を繋ぎ合わせていましたからね」

「その割にゃ、妖刀が解呪されなくて残念だったな」


 嫌味を嫌味で以て返す。


 陸王と紫雲の間にいる雷韋は、二人の顔を交互に見遣って顔を強ばらせていた。


「えぇ、解呪出来ないのは残念でしたが、詠唱の効果で貴方の青白い顔が見られてよかったですよ。随分と具合が悪そうじゃありませんか」


 紫雲の指摘通り、陸王の体調は最悪だ。まだ喉の奥に吐き気が残っている。が、それはないことのようにして陸王は返す。


「別になんて事ぁねぇ。それよりも、面白いものを見ちまってな。少々、驚いている」

「面白いもの?」


 紫雲が訝しげに鸚鵡返すと、それには雷韋が答えた。魔族の巣くっていたほらの前での出来事だ。


「もしかしたら、紫雲にも見えたかも知んない。俺達は四獣しじゅうなんだろ? 守護四天帝しゅごしてんてい。存在が光竜こうりゅうに近いから見えたんじゃないかってさ」

「そのアシュラーゼという子がそう言ったんですね?」


 その言葉に、雷韋はこくりと頷く。


「四獣だから見えた、ですか」


 紫雲は思案する様子を見せる。どこか戸惑っている風にも感じられた。


「紫雲の話に混ぜてみても辻褄が合うだろ」

「そうですね。どこにも矛盾は見られない。四獣は確かに光竜側の神ですから」


 二人の会話を聞いていた陸王だったが、その時、ふと気付いた。紫雲の言葉尻に自信がないことにだ。だから思わず言葉が出た。


「この話を持ってきたのは手前ぇだぞ。今更、自信がありませんじゃ通る話も通らねぇ」

「どういう意味です?」


 紫雲は睨み付けるように陸王を見た。


「どうにもお前の言葉尻に自信がないような気がしてな。妖刀を解呪出来ないことで自信をなくしたか?」


 言われて、紫雲は無言で陸王を睨み続ける。陸王もそれを正面から見据えた。が、紫雲は、つと視線を逸らす。


「そうですね。貴方達のように、次々証拠が出てくるわけではありませんから」


 些か力をなくした声で言い遣った。


 それを聞いて慌てたのは雷韋だ。


「ちょっと待てよ。紫雲はきっと白虎だ。あの人、なんて言ったっけ? 龍魔たつまとか言ってたか? 紫雲が陸王にぼこぼこにされたとき、あんたを迎えに来たじゃんか。そんで、あの人から話を聞いたんだろ? 誰よりも先にさ。それに怪我を治したのは、紫雲に死んで貰っちゃ困るからだろ? だったら、俺と陸王とあんたは仲間だ。きっと白虎なんだよ。だから、一番立証しにくい紫雲に話を持って行ったんだ。そうじゃなきゃ、なんで紫雲を助けたりするもんか。紫雲がただの人間族なら、四獣の話だって出ないだろうし、そもそも初めっから助けたりしないよ。龍魔って人が来たときのこと、俺覚えてる。すっげぇ真剣な顔で紫雲の怪我の具合確かめてたんだぜ」

「そう……、なんですか?」

「うん。最初は俺が看てて、そうしたら、いきなりあの人が現れてさ、俺、突き飛ばされたもん! 邪魔だ、って」

「確かに、危険な状態ではあったらしいですが」


 紫雲が呟くように言うと、雷韋が紫雲の両腕を再び掴んで真正面から見上げた。


 あのとき、雷韋が看ていた限りでも酷い状態だったのだ。もし植物の精霊魔法エレメントアを使って傷を癒やしていたとしても、果たして間に合ったかどうか。あのとき使うべき魔術は、大地の精霊魔法だった。しかし、雷韋は大地の力を使うには詠唱と印契いんげいが必要になってくる。術が発動するまでに時間がかかるのだ。それでは救えるものも救えない。紫雲と再会して、魔族と出会でくわす直前に紫雲から大地の精霊魔法で癒やされたと聞いた時、雷韋は心底からほっとしたのだ。そこまでして助けたのは、やはり紫雲が特別だったからだ。雷韋はそう思っている。


 それを話してやると、


「そんな事が……」


 そう言って考え込む風情になる。


 その紫雲の腕を、雷韋は片方だけ叩いた。


「俺達が四獣だって言ったときの自信、どこやったんだよ?」

「なんというか、あのときはあちこちから様々なことを突きつけられて、半分以上は諦めていたんです。白虎だと信じたら楽になれるのかもと」


 紫雲の顔に自嘲が浮かぶ。雷韋はその顔を不貞腐れたように見て、ねた声を出した。


「時間が経ったら自信なくしちゃった?」


「自信がなくなったというか、熱に浮かされていたのが元に戻ったというか。冷静になったら馬鹿らしく思えて。私が白虎の筈があるわけがないと思えてきたんです。君達が四獣だということは信じられる気がするんですけどね。あり得ない対ですから。それだけを見ても、普通じゃない。ですが、それが神であるなら納得がいきます」


「も~、自分のこともちゃんと普通じゃないって考えろよ。紫雲がただの人だったら助けられてないし、四獣の話もされなかったんだ。それだけでも証拠が立つじゃんか。大体、紫雲に嘘吹き込んで誰が得するってんだよ。そんなら、俺達まで騙されたって事だぜ」


 ねから呆れに取って代わった雷韋の言葉に、紫雲は困ったような笑みを浮かべた。そんな紫雲に雷韋は雷韋で溜息をつき、陸王を振り返る。何とか言ってくれとでも言いたげに。


「放っておけ。好きにさせりゃいい」


 そう言われて、雷韋は信じられないものでも見るように陸王を見た。けれど陸王の目は雷韋ではなく、紫雲に向けられている。


「で、結局、妖刀はどうするつもりだ。このまま放っておくのか」

「そんな事、出来るわけがないでしょう。何か方法を考えます」


 突然、憤慨したように陸王を睨み付ける。


 陸王はその言葉に、ふと視線を雷韋に向けた。


 紫雲では駄目かも知れないと判じたのだ。かなり強力な言葉を使っていたのは陸王にも分かった。それでも結果として、成果を上げていない。だから雷韋に目を向けた。


「雷韋、お前がやるか? 俺がやるか?」

「へ?」


 唐突な言葉に、雷韋は大きな目を更に大きくした。


「俺は大地の精霊魔法で解呪出来るかも知んないけど、陸王はどうするつもりだよ。あんたがやるったって、魔術はそんなに得意じゃないだろ?」

「俺には俺なりのやり方がある。何も、解呪するだけが妖物ようぶつを滅する方法じゃねぇ」

「じゃあ、ほかに何があるんだよ」

「目には目をってな、負のものには負の力を送り込む。妖刀はあの魔族が創り上げたもんだろう。そこには必ず創りだしたものの力に相応しいだけの許容量ってもんがある。この妖刀の許容量を超えるだけの魔気を送り込む。それで崩壊するはずだ」

「それ、ちょっと待てよ!」


 雷韋は振り向いて、大声を張り上げた。唇が僅かに震えている。


「それ、今のするとしたら、魔剣を握らないとならないんじゃないのか?」

「まぁな」


 陸王はあっさりと答えた。拍子抜けするほどに。それがどうかしたのか、とでも言いたげな風情だった。そこには気負いも何もない。


「ばっか! そんな事させられるわけねぇじゃん! 俺がやる! あんたは黙って見てろよ!」


 憤りをぶつけるように怒鳴った。それに紫雲も言葉を被せてきた。


「いくらなんでも危険です。妖刀を手にするなんて」

「魔族は妖刀の力を制御出来ていた。男の腕を叩き斬ったあと、本体の女が男の腕を再生させるために、妖刀で自分の腕を切って再生させていたが、傷口は腐敗しなかった。奴らに出来て、俺に出来んことはないだろう」


 それを聞いて、雷韋は怒りを露わにする。


「そんなの、絶対駄目だ! 呪われてるんだから、何が起こるか分かんないんだぞ。だから、俺がやる! 解呪する!」


 雷韋は言って妖刀の前に跪き、刀身の上に手を翳した。もう片方の手は印契を象って地面に着く。それから精霊語エレメンスを唱えだした。歌のような音階を。


 その音階は、綺麗な旋律だった。雷韋が鼻歌で歌う精霊の唄とは違って、調子っぱずれではないのだ。精霊達の声が旋律のように聞こえるため、精霊語で詠唱するときには歌のような音階で詠唱する。精霊語は人族が歌いやすいように、綺麗な旋律として整えられているのだ。時に音高く、音低く。


 その様子を陸王は腕を組んで見ていたが、紫雲は雷韋に声をかけた。


「雷韋君、気をつけてください。妖刀に干渉しようとすれば、その刀は悪意を向けてきますよ。私は散々反発されました」


 紫雲の言葉に、雷韋は詠唱の旋律を口にしながら頷いて返した。視線は妖刀に注がれたままだ。と、その時、雷韋から呻き声が上がって詠唱が止む。


「どうした」

「雷韋君?」

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