始末 四

 戻り始めは陸王りくおう雷韋らいの間に何も会話はなかったが、ふと思いついたように雷韋が陸王に声をかけてきた。


「そう言や、魔剣はどうなったかな? 紫雲しうん、もう解呪しちゃったかな?」

「おそらくな」


 陸王は特に感情の籠もらない声音で返した。


 それに構わず、雷韋は続けて声をかけてくる。


「でさ、紫雲どこにいんだ?」

「あまりはっきりと覚えちゃいねぇが、方向くらいは大体分かる」

「紫雲、そこにいてくれるといいな」

「いるだろう。俺のこともあるしな。俺自身も用がある。妖刀がどうなったのかくらいは確かめたいからな」


 それに対して、うん、と雷韋は答える。再び無言になったが、すぐに雷韋は思いついたように陸王に問いかけてきた。


「なぁ、アシュラーゼ達のこと、紫雲があの場にいたら紫雲にも見えたかな?」

「さぁ、どうだかな」


 無感情に答えたつもりだが、やはり雷韋もその事について思いを巡らせたかと思った。だが、それも当然だろうと思う。陸王も確かにその事を考えたからだ。しかし陸王は、今は別なことを考えていた。


 雷韋のあの唸り声だ。本人に自覚はないようだが、あの音を聞くとぞっとする。生理的に受け付けないのだ。だから、聞くだけ聞いてみようと思った。


「雷韋」

「何?」

「お前の唸り声、あれはなんなんだ」

「んん?」


 雷韋はそこで首を傾げたが、すぐに思い当たったのか、陸王の方を向く。


「前に言ったじゃん。あんまり嫌なことがあると喉が勝手に鳴るって」

「意識的に出るもんじゃねぇのか?」

「ん~。そんなの、考えたこともなかったなぁ。それが何?」


 陸王は眉根を寄せて、


「無意識に出るならしゃあねぇが、なるべくならやめてくれ」


 言いながら雷韋を横目に見遣る。


 それを聞いて、雷韋はきょとんとした。


「なんで? なんか不都合なことでもあるのかよ」

「あぁ、ある」

「へ? それって何?」

「生理的に嫌な音なんだ。神経に障ってぞっとする」

「はぇ?」


 ぽかんと口を開けて陸王を見遣る。


 陸王は陸王で渋面じゅうめんを作っていた。


「当て推量だが、多分あの音は魔族から身を護るために出るもんなんだろう。これまではお前の意思と関係なく出たかも知れんが、おそらく、意識して出せるはずだ」


 雷韋はそれを聞いて、目をぱちくりさせている。


「じゃあ陸王はさ、喉鳴るたんびに嫌な思いしてたのか?」

「まぁな。俺だけの問題かとも思ったが、魔族に共通しているらしい。女に擬態していたあの中位も、お前の喉が鳴った途端、お前から距離を取ったからな」


 雷韋は驚いたように陸王を見たが、ふと視線を落とす。


「ごめん。嫌な思いさせた」

「無意識じゃしゃあねぇだろう。だが、これからは意識しろ。喉が鳴りそうなら、一言断ってくれ。じゃねぇと、下手をしたらお前の傍にいられなくなる」

「そんなに嫌なのか?」


 再び陸王を見上げる。その陸王は、まだ渋面を作っていた。


「下手すりゃ、反射的に刀を向ける。お前はもう覚えちゃいないかもしれんが、斡旋所の前でお前、男に頬ずりされて唸っただろう」

「あ~、なんかそんなこともあったっけかなぁ」

「あのとき、俺が吉宗の刃を向けたのを覚えているか」


 うんうんと雷韋は頷く。


「それでおっさんが慌てて逃げてっちゃっただろ? びっくりするよな、あんなことされたら」

「あのとき俺は、お前に刃を向けたんだ。男にじゃねぇ」

「は?」


 雷韋の両目が大きく見開かれた。紅を差した琥珀の瞳が陸王を凝視する。


「対の俺に刃を向けたのか? それって酷くね?」

「自分でも意識しないまま、あのとき刃を向けた。単に止めたかったんだと思うが」


 雷韋が上目遣いにじろりと睨む。


「対の俺に殺意抱いたか?」

「その感覚は近いな。殺すつもりはなかったが、身体が勝手に反応した」


 雷韋は上目遣いをやめ、地面に視線を落とした。しょんぼりと。


「そこまで嫌なんだ」

「だが、その唸り声が魔族から身を護るためのものなんだとしたら、それはどうしようもねぇ。それがお前の本能の一部なんだろうからな」

「うん、そうだけど、これからは気をつける。もうちょっと意識してみるよ」

「ま、無理しない程度にな」


 言って、陸王は雷韋の頭をぽんぽんと撫で叩いた。


 自分でも無理筋なのは分かっているが、本当に神経に障る音だからそれはどうしようもなかった。対極の生物である以上、色々問題も出てくる。互いに譲歩し合っていかないといけない事もあるだろう。雷韋の唸り声に関してはそれだ。ある程度は雷韋の意識下に置いて貰わないと困る。陸王も魔気を発するのを抑えているのだ。特に鬼族には覿面てきめんだが、ほかの人族にとっても魔気は毒になる。長時間浴びせるのはよくない。だから自制しているのだ。


 そのあとはまた会話はなくなった。今回は自然となくなったわけではない。雷韋が考え込んでしまったからだ。陸王はその雷韋に対して、すまないと思ったが、敢えて口にはしなかった。雷韋をこれ以上わずらわせたくない。そう思ったからだ。陸王がもし、すまない、とでも言おうものなら雷韋は自分を責める。自分のせいで陸王が苦しむと考えるだろうからだ。だから、決して口にしない。雷韋を責めたいわけでもなんでもないのだから。


 そのまま暫し歩いていると、ふと雷韋が立ち止まった。それまで足下を見るようにしていたのを上げる。


「どうした」


 陸王が声をかけると、雷韋は聞き耳を立てるように尖った耳を僅かに動かした。それから視線をあちらこちらに向ける。


「雷韋?」


 もう一度声をかけると、雷韋は陸王に目を向けてきた。


「陸王、遠くで精霊達が騒いでる」


 陸王は片眉を顰め、視線で続きを促した。


「遠すぎてまだはっきりわかんないけど、森の中で何か起こってる」

「どこで騒ぎが起こってる」

「真っ直ぐ向こうだ。このまま真っ直ぐに行けばいいと思う」


 雷韋は指をさして、場所を知らせる。


「なら、走るぞ」

「おう!」


 言葉を交わして、雷韋が示した方向へすぐに走り出した。


 足の速さ的に、先行は雷韋だ。陸王はそのあとを追う。だが、陸王は走っているうちに、徐々に息苦しさを感じ始めていた。走り疲れたわけではない。総毛立つような感覚。これは神聖魔法リタナリアの影響だ。と言うことは、この先にいるのは紫雲か? いや、間違いなく紫雲が神聖魔法を使っているという事だろう。その影響が陸王に現れたのだ。


「陸王、分かった! 強い力同士が反発し合ってるんだ。それに精霊達が巻き込まれてる」


 雷韋のその言葉に、紫雲が妖刀を破壊しようとしていることに気付いた。まだ妖刀は破壊されていないのだ。半ば、あいつは今まで一体何をやっていたんだ、と言う思いと、反面、自分で妖刀を壊せるという希望も見出していた。


 どうなるにせよ、今は急がなくては。そう考えて、雷韋と共に駆け続けた。


 それでも徐々に詠唱の効果が強くなり、陸王は途中から吐き気を堪えるのが大変だった。立ち止まって戻せていたら身体的しんたいてきには楽になれただろうが、それを万が一、紫雲に知られでもしたら腹が煮える。だから、身体の不調と戦いながら走り続けた。

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