始末 三

「お前、どうしてここにいるんだ? いや、そもそもなんで一緒に来なかったんだよ。いつの間にか消えて……」


 雷韋らいは問い続けたが、アシュラーゼはどうしてか微笑みを浮かべた。それで雷韋の言葉も途切れてしまう。逆に陸王りくおうが雷韋に問いかけてきた。


「そのガキが天使族のガキだな。名前はなんだったか」

「あ、うん。アシュラーゼだよ」


 陸王に答えてから、雷韋はアシュラーゼへと向き直った。


「お前、なんで戻ってきたんだよ。もしかして、はぐれたから俺を捜してたとか?」


 雷韋の言葉に、アシュラーゼは首を振った。それどころか、心底嬉しそうに笑むのだ。


「何笑ってんだ、お前」


 雷韋が不思議そうに問うと、アシュラーゼは言った。


「やっと魔族の足枷が外れたから、嬉しくて。これで僕も自由になれたんだ」

「どういう意味だ?」


 それに対しても、アシュラーゼはにっこりと笑みを浮かべる。


「この先に魔族のほらがあるでしょ? そこに行ってみて。きっとびっくりするから」


 雷韋は陸王を振り返り、肩を竦めた。まるで分からぬと言う風に。それに対して、陸王が問う。


「雷韋、洞ってのはどこにある」

「うん、もう少し奥に行ったところだと思った。俺は向こうから走って逃げてきたはずだから」


 そう言って、雷韋は陸王の背後を指さした。雷韋の指の向く先に陸王は目を遣り、一度振り返ってから再び先を向いた。そうして歩き出す。


 雷韋もそのあとを追った。アシュラーゼの幼い手を今度こそしっかりと引いて。


 陸王が先へと歩いて行くと、人の気配を感じた。それもかなりの大人数だ。いや、気配だけではすまなかった。ざわついているのだ。それに気付いて、何事かと先を急ぐ。


 洞に行き当たったが、それの前に女と子供の姿が大勢あったのだ。人間族もいれば、獣の眷属の姿もある。だが、男と老人の姿はない。若い女と子供だけだ。


 ここには魔族がいたはずだ。なのに、この人数は。ざっと見た感じでは、三〇人ほどいるだろうか。もしかするともっと多いかも知れない。


 陸王は思わず足を止め、背後を振り返った。雷韋もこの大人数に驚いて、すぐ傍で足を止めている。


 アシュラーゼは雷韋と繋いだ手をほどいて、女と子供達の元へと歩いて行った。彼らの前までいくと、くるりと振り返る。


「あのね、この人達はね、みんな魔族に食べられた人達なんだよ。魔族は女の人と子供しか食べなかった。いつでも連れてくるのは、女の人か子供だった」


 その言葉を聞いて、雷韋が頓狂な声を上げる。


「は……、えぇ!?」

「あまり驚かないで聞いて。みんなね、足枷をつけられて光竜こうりゅうのところに行けなかったんだ。この人達は魂だけの存在だよ。全員、魂に足枷……うぅん、もっとはっきり言うと、魔族に食べられて魂が呪われていたんだ。あの魔族はそういう能力ちからを持ってたの」


 雷韋はそれを聞いて、ぽかんとした顔を見せている。


 陸王は真剣な顔をして話に耳を傾けていた。アシュラーゼの話が本当なら、おそらくはこの子も。そう思った。何故なら、アシュラーゼ自身が足枷がどうのと言っていたし、魔族は『天使族は一匹いた』と過去形で語ったからだ。これだけ小さければ、流石に天使族といえど、魔族に対抗出来なかったに違いない。だから耳を傾けた。


 アシュラーゼは陸王の真剣な顔に対して、困ったような笑みを浮かべた。


「もう分かってるよね。僕も食べられた。ずっと、ずっと昔に。でもね、ここに攫われてきた人達に、僕の姿は見えなかった。誰一人。死んで初めて僕を認識したんだ。でも、光竜のところに行けないまま、ここで一緒に悲しむことしか出来なかった。誰か助けてって、いつも助けを呼んでた。それにね、魔族はきっと、ほかにも巣があるんだと思う。時々、姿を消してたから。ずっと帰って来ないこともあった」


 陸王はそれを聞いて頷いた。


「だろうな。奴には日ノ本に渡っていた時期もある。第一、一つところにいる割りには喰った人数が少なすぎる」

「うん。僕達はずっと助けを求めていたけど、誰も助けてくれる人はいなかったし、僕らが見える人もいなかった。魔族にも見えなかった」


 陸王は怪訝そうに片眉を跳ね上げた。


「だが、俺と雷韋には見えているぞ。それはどういうこった」

「雷韋お兄ちゃんは『赤獅』の生まれ変わりだって言ってたよね?」

「え? あ、うん。言った。そうじゃないかって」


 言う雷韋を陸王は見下ろす。しかし、雷韋の顔はアシュラーゼの方を向いたままだ。視線さえ陸王に寄越さずに。


「雷韋お兄ちゃんは光竜に近いのかも知れないね」

「どういうことだ? 光竜に近いって」

「本当に『赤獅』の生まれ変わりなら、雷韋お兄ちゃんは獣の眷属の神様だもの。だから光竜に近くて、魂の存在を感じることが出来たのかもしれない」

「ちょっと待てよ。俺、こんなに沢山の人達見るの、今が初めてだけど。魂が見えるってんなら、最初から全員見えてたんじゃないのか?」

「働きかけたのは僕だけだもの。ほかのみんなは黙って見てた。だから見えなかったんだよ。今は雷韋お兄ちゃんにお礼が言いたくて、みんな出てきた。でも、もう一人のお兄ちゃんも見えるって事は、何かあるのかな?」


 アシュラーゼは不思議そうに陸王を見る。


 雷韋はアシュラーゼの最後の言葉に、目を見開いて陸王を見た。


「俺が赤獅だから見えるってんなら、陸王はやっぱり黒狼なのか?」


 雷韋がそう言うも、陸王は何も答えず、考え込む風を見せた。


「そっちのお兄ちゃんは『黒狼』なの? 対の人って、その人のこと?」

「うん、陸王は俺の対だ。んでもって、黒狼じゃないかって言われてる」

「だったら辻褄が合うね。僕らの姿が見えて当然だよ。存在が光竜に近いから、僕らが見えるんだ。それに、助けに来てくれた」

「俺はただ捕まっただけで、魔族を殺したのは陸王だ。それに、陸王は魔族らごうに生命を狙われてたし。殺らなきゃ、殺られてたってだけだ」

「魔族の王様……」


 アシュラーゼは呟くようにその名を口にした。その呟きに反応したのは陸王だった。


「羅睺は本当に堕天したのか?」


 陸王に対して、アシュラーゼは無言で頷く。その表情は酷く悲しげだった。小さな胸を痛ませているように。


 アシュラーゼの頷きとその表情に、陸王は眉根を寄せた。雷韋が言っていたように、全ての辻褄が合っているからだ。本当に雷韋が赤獅で自分が黒狼なのだとしたら、光竜に近い存在故に魂だけの存在を認識することが出来るなど。だとしたら、紫雲しうんにも見えるのだろうか? そんな事まで頭をもたげた。


 そんな陸王の心情を知らず、アシュラーゼは言った。


「僕達、そろそろ行くね。迎えがきたから」

「迎え?」


 陸王が不可思議そうに言うと、雷韋に外套がいとうを軽く引っ張られた。


「大地の精霊がざわついてる。きっと光竜が迎えを寄越したんだ。魂は大地に、光竜のもとにかえるから」


 陸王はそう言う雷韋を見て、なるほどな、と思う。だとしたら、ほかの巣で囚われているだろう魂にも、今頃は光竜の迎えが来ているのかも知れない。


 そう思っているうちに、皆がそれぞれに陸王と雷韋へ向けて、軽く頭を下げる。それから背後を振り返り歩いて行くが、その姿が一人、二人、三人と次々消えていく。一番最後まで残ったのはアシュラーゼだった。そのアシュラーゼも頭を軽く下げる。


「枷を外してくれて有り難う」

「アッシュ……」


 雷韋が呟くと、アシュラーゼは幸せそうに笑んだ。そして、消える間際に「ばいばい」と幼い言葉が聞こえる。


 それで終わりだった。あとにはなんの気配もない。皆、大地に還ったのだ。精霊に導かれて、光竜の懐へと行くために。


「みんな、行っちゃったな」


 ぽつりと言う雷韋に陸王は何も言わず、ただ嘆息を吐き出すだけだった。それからその場に背を向けて歩き出す。雷韋も無言でそのあとに続いた。

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