始末 二

雷韋らい、早く行け。俺もすぐに行く!」


 陸王りくおうが雷韋を庇うように立ち塞がると、雷韋は上半身を起こして、唾を飲み込んだ。一度強く目を瞑ってからもう一度唾を飲み込むと、すぐに目を開いて決意を固めた顔で立ち上がり、そのまま駆け出す。


 その気配を背後に感じて、陸王は木偶でくと対峙する。とは言っても、こいつはどこまでいっても肉の塊なのだ。どんな攻撃を仕掛けようとも、死ぬことはない。相手をするのも馬鹿らしいが、無視するわけにもいかない。どう斬っても再生するなら、多少再生に時間がかかるように、四肢をばらばらに切断して、それぞれを遠くに放り投げるしか法はなかった。膾に斬ってもいいが、それだと広範囲にぶちまけることが出来ない。どうしても一定箇所にとどまってしまう。ならばと、瞬間の思考が回ったと同時に飛び掛かってきた男の二つの首を断った。それから腕を切り裂いて、四本の棒にしてしまう。上半身も胸から真横に切り裂いた。そのあとに腰を。最後は下半身を真っ二つに割る。


 陸王の所業は一切の迷いもなく行われ、男の周りを回りながら切り裂いた数瞬の間に終わっていた。あとは時間稼ぎに、ばらばらにした身体や頭を別方向へ放り投げるだけでいい。


 男の髪を掴み上げたときには、事を数瞬で成し遂げた陸王に対して罵詈雑言を浴びせかけてきたが、そんなものには一切耳を貸さず、二つの首を別々の方角へ遠くに放り投げてやった。


 腕も胴体も足も、全ててんでんばらばらの方向へ投げ飛ばして、陸王はすぐに雷韋の走り去った方へ駆け出した。


 雷韋の姿はとうの昔になくなっていたが、目印がつけられていた。少年の走る歩幅に合わせるように、草が等間隔に丈高く生えていたのだ。植物の精霊魔法エレメントアだろう。


 陸王はその足跡を追った。


 足跡は暫く続いて、突然、岩場に辿り着いた。


 しかしそこでは、雷韋が仰向けに倒されていて、女に擬態した魔族が馬乗りになって襲いかかっている最中だった。女の口には火影の柄が噛まされ、それを外そうと女が火影に手を預けているところだ。


 雷韋が必死に女に噛み付かれないよう、猿轡さるぐつわのように宛がったのだと分かる。けれどそのせいか、魔族の口から涎が滴っていた。雷韋は魔族の紅い目を見ないためか、それとも滴ってくる涎を避けてのことか、目を固くつむっている。理由はおそらく後者だ。涎で顔面が濡れ光っている。


 陸王は素早く近づくと、女が顔を向けるのと時同じくして、下から首を刎ねあげた。その衝撃で、首は遠くへどんっと重たい音を立てて落ちる。首の断面からは、血が噴き出して雷韋の顔を汚した。残った身体はそれでも雷韋に襲いかかろうとしていたが、陸王が蹴ってける。


 雷韋は一気に身体を起こすとすぐに立ち上がって、外套がいとうで顔を拭き始めた。口の中にも涎や血が入ったのか、唾まで吐き出している。その際、よほど嫌だったのか、雷韋の喉が獣じみて鳴った。


 それを耳にした途端、陸王は背骨に氷柱つららでも差し込まれたような悪寒を感じて、雷韋から咄嗟に飛び退いた。起き上がろうとしていた魔族の身体も四つん這いのままで、陸王と同じように飛び退く。


「小僧、今のはなんだ!? 何をした!」


 刎ね飛ばされて転がる魔族の首が口を開いた。その目は驚きに彩られている。


 それは陸王も全く同じ気分だった。陸王にとっては二度目の唸りだったが、雷韋が喉を鳴らすと悪寒が走る。強い拒絶反応にも似た感覚だ。けれど、神聖魔法リタナリアのものとは違う。あれも苦痛だが、雷韋の発する音は神経に障るのだ。


 そこで陸王は思った。もしかしたらあの音は、魔族に拒絶反応を起こさせるものではないのかと。その証拠に、雷韋が喉を鳴らした途端、陸王だけでなく魔族も飛び退いたからだ。もし魔族に対する自己防衛的手段ならば、神経に障るのも理解出来る。魔族にとって、鬼族の唸り声は嫌な音である必要があるからだ。


 雷韋は魔族から目を逸らしたまま、首だけの女の言葉に何も答えようとはしなかった。魔族が怖いのだ。


「雷韋」


 陸王が声をかけると、地面に落としていた視線を陸王へ向ける。再び黄色く変色した瞳には、心細そうな色があった。まるで、縋り付いてくるような眼差しだ。


 その眼差しから視線を逸らし、陸王は魔族の方へと向いた。


 魔族は魔族で、転がった頭は忌々しげに雷韋に向いていたが、身体は頭を拾おうとしている。しかしながら、陸王にはそれを見逃すことは出来なかった。


「話はあとだ」


 陸王は雷韋に呟いて、頭を拾い上げたばかりの魔族に突っ込んでいった。魔族もそれを目にして慌てて首を繋げようとしたが、それは陸王が許さなかった。


 陸王は魔族の腕を叩き斬り、頭を手放させる。魔族の頭が驚愕の表情を晒して地面に落ちて行く間に、胴体を横三つにばらした。


 胴体を三つに分断されて、魔族は羅睺らごうの名を呼び、悲鳴を上げる。


 陸王は、その様子を冷徹に眺め遣った。


「貴様、貴様、貴様ぁ! 陸王ぉ!」


 魔族はそのまま、陸王を口汚く罵り始めた。だがそんなのは、陸王には些細なことだ。相手にもしない。それどころか逆に、魔族に声をかけた。


「おい」

「くそ、くそ、陸王めぇ! よくもあたしの身体を斬ったな! 身体をばらばらにしおって! こうなるのは貴様だったはずなのに! あの刀があれば、貴様の五体をばらばらに出来たのに! 貴様のような薄汚れた存在など必要なかった! 羅睺様のお命を狙う卑賤者ひせんしゃが!」


 魔族は首だけになったというのに、完全に頭に血が上っている。


 そこに陸王の冷静な声が落とされた。


「おい。お前に聞きたいことがある」


 その言葉に、魔族の真っ赤な目がぎらりと光る。瞳が紅いだけではなく、眼球そのものが血走って赤くなっていた。


 しかし陸王は、その様に無感情な眼差しを落としていた。小さく嘆息を零して、改めて声をかける。


「喚くのは勝手だが、今回の件はお前主導じゃねぇだろう。お前の後ろにいるのは誰だ。天使族を捕らえるのは、魔族にとってはなまなかなことじゃねぇ。だからと言って、いきなり羅睺ってわけじゃあるまい」


 それまで好き勝手に喚いていた魔族だったが、そこでふと口を閉ざした。視線まで逸らす。そのまま少し待ってみたが、魔族は何を言うでもない。だから陸王は続けた。


「大元は羅睺だが、別にお前に指示してきた奴がいるだろう。そいつは誰だ。俺を殺せば天使族が喰えるらしいじゃねぇか。実際、ここにもいただろう。だが、お前のような中位に天使族が捕らえられるはずがねぇ。天使族を捕らえて用意しているのは誰だ。言え」


 ほとんど感情の読み取れない声音で淡々と言葉をかける。そこで陸王はもう一度、魔族の出方を待った。


 魔族の口元が自嘲に歪む。血走って真っ赤になっている目玉をぐるりと回して、陸王に改めて定めた。


「天使族は一匹いた。あれはあたしが捕まえたんだ。神聖語リタを喋っていたが、魔代語ロカで封じた。ひひ……、指示役がいるだと? いたとしても教えるわけがなかろう。どうしても知りたければ、自力で捜し出すのだな」

「なら、これくらいは教えられるだろう。その指示役は上位か? それとも高位か?」


 魔族はそれを聞いて下卑た笑いを上げた。


「知らぬ。知らぬわ! どうとでも取っておくがいい」

「そうか」


 陸王はぽつりと零して背後を振り返った。そこには魔族の身体が元の状態になって立ち上がり、長く伸びた爪を今にも陸王に振り下ろそうとしていたところだった。


 陸王はそれを見て慌てるでもなく、刃を向けると腕を刎ねあげた。同時に陸王は魔代語を呟く。


 途端、陸王の全身から風が走ったが、魔族も動いた。


 否。動いたのではなく、崩れたのだ。全身が荒い賽の目状になって。


 陸王が口にしたのは魔代魔法ロカダリアだったのだ。


 再び魔族の悲鳴が上がる。しかも今度は生命をかけた絶叫だ。


 それもそのはず。賽の目状にばらばらと崩れた身体の中から、石塊いしくれが転がり落ちたのだ。


 核だ。


 それが地面に転げ落ちると、肉体を維持出来なくなったのか、魔族の肉体は崩壊を始めた。見る間にぐずぐずに崩れていく。魔族の頭が何か声とも取れない音を口から発したが、最期の断末魔のようなものだろう。


 頭までもが溶けてなくなったあと、陸王は核を拾った。掌の中に収まるほどの核を陸王は握り潰す。握り潰した瞬間、声のようなものが聞こえた気がしたが、陸王は無関心に屑になった核を掌から零して捨てた。これであの木偶でくも溶け崩れただろう。


 思わず陸王から溜息が零れた。疲れたと思ったのだ。


「り、陸王……、大丈夫か?」


 今更の雷韋の声に、


「お前は、もうちっと気を回すことが出来んのか。身体が元に戻っていくのは全て見えていただろう」

「あの、ごめん。見てたけど、怖くて声が出なかった。だって、首だけで喋ってるなんて」


 雷韋のおどおどした言葉に、陸王は長嘆息を吐く。


「まぁ、俺も知っていて何も反応しなかったからな。それよりも、最後に魔代語を唱えたが大丈夫だったか。俺から魔気が出ただろう」

「うん。ちょっと目眩がしたけど、悪い血は流してるから平気だ」

「そうか。ならいいが。それにしてもくたびれたぜ。魔族を相手になんざするもんじゃねぇな。面倒臭ぇ」


 吐き出す息に乗せて陸王は言うと、ふと雷韋の方へ向けていた目を丸くする。だが、陸王の眼差しは雷韋に注がれてはいなかった。黒い瞳が見ていたのは雷韋の背後だった。


 その様子に気付き、雷韋も背後を振り返る。と、そこにはアシュラーゼが立っていた。


「アッシュ!」


 魔族が殺されて、琥珀に戻った瞳を大きく見開いた。ほとんどそれと同時に、雷韋は思わず声を上げる。逃げたのだとばかり思い込んでいたからだ。

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