第十六章

被食者 一

 女は洞窟の奥にある、さして広くない牢獄の扉を開けると、その牢獄に雷韋らいを放り投げるようにして入れた。適当に放り込んだせいで、雷韋は身体のあちこちを打ち付けたが、意識がないので小さく呻き声を上げるのみだ。それを確認して、女は錠に魔代語ロカで封を施す。


 女は牢の前にしゃがみ込んで、大きく息を吸い込んだ。


「お前の血は本当にいい匂いがする。旨そうな匂いだ。あとで喰らってやるから、今のうちに幸せな夢でも見ておれ。目が醒めた頃には楽しい地獄が待っているからな」


 ほくそ笑んで、女はその場から立ち去った。


 女がいなくなっても、雷韋の意識が戻ることはなかった。魔族に囚われた恐怖で意識を手放したままだ。


 女から魔気を受けたからか、雷韋自らが傷つけた腕の傷からは後から後から黒い血が流れ出していた。


          **********


 陸王りくおうは森の中を走りに走って、唐突に現れた不自然な坂にぶち当たった。その辺りは崖が聳えていたが、いきなり途中から坂になっていたのだ。その周辺に立つ樹木は、ほかから見ると若い木々ばかりで、坂の途中には埋もれたのか、木の根が幾箇所からか覗いている。坂道にはまばらに草が伸びているが、おそらく何かの原因で崖が崩れた跡なのだろうと推測出来た。陸王はその場所に、獣道のような痕跡を発見した。ほかに比べると、草が踏み分けられているように見えるのだ。しかも時間はあまり経ってない。つい今し方踏みつけたように見える。


 あの魔族はこの先にいると確信した。


 陸王はそこを早足で登っていった。崖が崩れた跡だからかなり歩きにくいし、坂道の果て、崖の上までも距離がある。それでもこの先に雷韋が連れて行かれたことを思うと、心では走り登っていきたいと思った。だが、足場があまりにも悪すぎる。草の中に小石がごろごろと転がっていて、ともすると足下が掬われそうになるのだ。そんな道を陸王は焦らず、しかし足下に注意しながら足早に登っていった。


 崖の坂道を登り切った頃には陸王はうっすらと汗を掻いていたが、呼吸はほとんど乱れていない。


 登り切って、辺りを用心深く眺める。だが、おかしな事も気配もない。崖の上も森になっていて見通しは悪いが、魔族特有の気配がないならこのまま進んでいくべきだと思った。今この瞬間にも、雷韋に危害が加えられるかも知れないからだ。こんなところで時間を浪費するわけにいかない。すぐに森の中へと真っ直ぐ入っていった。出来たばかりの獣道がまだ続いていたからだ。草を踏みつけただけの、道とも言えない道だが。しかしこの跡は、雷韋を連れて魔族がここを通った証だ。少年の重さ分も加味して、魔族の歩いて行った場所と覚しき道は、ほかから見るとはっきりしている。陸王がそこをゆくのは必然だった。


 それから少しの間、獣道を駆けて行ったが、辺りに変化は見られない。相変わらず獣道だけが続いている。


 こうしている間にも、雷韋が魔族に喰らわれているのではないかと陸王は落ち着かなかった。あり得ない話ではない。鬼族は魔族にとって、最高の獲物だ。


 それでも雷韋が生きていることを信じ、道ならぬ道を真っ直ぐに突き進む。全速力で駆けていると、森の向こうに終わりが見えた。それと同時に、魔代語ロカの気配。


 中位がいると肌で感じ取った陸王は、鞘に収めていた吉宗の刃を引き抜き、その場で構えた。


 と、木立の間から何者かが突進してきた。瞬間目にしただけだったが、その人物が手にしているのは妖刀だと知れる。咄嗟に陸王は、襲いかかってくる妖刀に向かって行った。


 刃と刃がぶつかり合って、甲高い音が響く。陸王は妖刀を持つ人物にその時になってやっとまともに目を遣ったが、それはなんと肉片にまでした男だった。


 陸王は頭の中で、またこいつをのかと思う。妖刀を奪わなければならないが、この肉だけで作られた男を始末するには、女に擬態している魔族の方を倒さなければならない。おそらく女の方は、この様子をどこからか見ているはずだ。


「貴様ら、羅睺に命じられて俺を狙ったのか!」


 陸王が声を張り上げると、どこからか、ひひっと嗤う声が聞こえた。その笑い方に、肯定の意思を感じる。くそっと陸王は腹の中で毒づいた。


「羅睺はどこにいる!?」


 陸王は叫ぶが、答えは返ってこなかった。


 その間、妖刀と互いにぶつかり合った刃はぎりぎりと耳障り悪い音を立てて、鍔迫り合いの様相を展開していた。


 じわじわと妖刀に押されても、陸王は負ける気がしなかった。何故なら、この太刀筋一つとっても源一郎の攻め方と同じだからだ。


 源一郎と手合わせするときには、ある程度の確率で最初に鍔迫り合いになった。その時には、今と同じように押してくるのだ。それでも陸王がそれに耐えていると、源一郎は一度身を引き、下段から素早く斬り掛かってくることが多かった。あるいは突っ込みながら、真横に薙いでくるか、そのどちらかだ。刀の記憶をそのまま再現するなら、きっと男も同じようにしてどちらかの型で斬り掛かってくるだろう。だから陸王は押されても耐えた。更に今は妖刀の力も加味されて、眼前まで押し込まれる。それでも耐え、逆に押し返そうとしたとき、男は一旦その場から後ろに飛んで離れ、下段から斬り掛かってきた。やはり思ったとおりの動きをする。落ち着いて対処すれば、陸王にはそれを躱すのになんら苦はない。刀の一つ一つの動きを陸王は知っているからだ。


 互いに木刀であれば、陸王は横に回り込んで小手を入れる。刃引はびきをした刀なら、同じように横に回り込んで背中に軽く一撃を入れて終わりだ。


 それが手合わせならば。


 だが今は違う。実戦だ。下段から斬り掛かってきたのを刃で軽く弾き返して男が空振った瞬間を狙って、上段になっている男の両手首を断ち切った。ごろりと草むらの中へ刀を手にした手首が転げ落ちる。驚いて陸王を見る男の横に素早く移動して、その横っ腹に蹴りを入れた。容赦なく蹴ったため、男が吹っ飛んで近場の木にぶち当たる鈍い音がした。骨もない肉の塊だからだろうか。鈍い音の中に湿っぽい音が混じっていた。まさしく『肉』を木へとぶつけたかのように。


 男は衝撃のあまり身を丸くして痛みを堪えているようだった。


 陸王はその間に、草むらの中に落ちた妖刀を素早く探し始める。下草の丈はそれほどでもない。刀が落ちたとおりにその場所は草が折れてへこんでいた。妖刀を発見し、一瞬考える。妖刀を直に触っても大丈夫か。いや、中位が平気なら陸王も平気だと思った。妖刀に取り憑かれた男を目にしているが、同じ魔族が手に出来るのならやはり大丈夫だと思う。しかも自分よりも下位だ。中位は妖刀に取り憑かれるでもなく、己の意思で妖刀を操っていた。動きは、ほとんどが刀の中に記憶されたものと同種だったが。


 その時、不意になまちろいものが伸びてきた。それが腕だと理解したときには、既に妖刀を奪われたあとだった。


 はっとして伸びた腕のあとを追うように見上げると、少し離れた木の上に女がいる。


「この刀には強い癖がある。それに流されると手を失ってしまうんだ」


 その言葉は陸王に向けられたのではなく、男に向けられたものだった。男もそれが分かっているのか、立ち上がって手首を切り落とした陸王を苦々しい表情で睨め付けている。その男の手首の付け根からは、血がだらだらと垂れていた。だが、その断面に骨は見えない。やはりこの男は、肉だけで出来た木偶でくなのだ。女とは意識がばらばらに分かれているようだが、矢面に立つのは男の方らしい。と、切断面にしゅるりと女の手が伸びた。その腕が、男の両手を纏め上げて蛇のように絡みつく。そこに妖刀を持った腕が伸びてきて、あろうことか、女は男の両手首に巻き付けていた自分の腕を妖刀で断ち切ったのだ。それなのに、何故か傷口が腐らない。操られていた男が蔦を切ったときも、紫雲しうんに突きを入れたときも、草木や紫雲の身体についた傷口は腐って腐臭を発した。なのに、女の腕は腐らない。創った者だからだろうか。魔族の手の中では、妖刀は完全に制御されていた。


 陸王はそこではっと思い出した。核にした魔族は『妖刀を操れる魔族』と言っていたのだ。それは、完全に制御出来るという意味だったのだろう。


 腹の中で再び、くそっと毒づく。

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