暴露~奪われ 六

 暫くは轟きが背後から追ってきたが、やがてそれも少しずつ小さくなっていく。すると雷韋らいの声が聞こえてきた。だがそれは、陸王りくおうへ向けたものではなかった。


「なぁ、紫雲しうん。身体、本当にもう平気なのか?」

「大丈夫ですよ。龍魔さんが大地の精霊魔法エレメントアで癒やしてくれたましたから。もうどこもなんともありません」

「ならよかったけどさ。あんたが連れて行かれちまったから心配してたんだぜ、ずっと」

「有り難う、雷韋君。ところで、あの妖刀を持っていた男性はどうしましたか」

「ちゃんと正気取り戻して、動けるようになったよ。俺の荷物渡したから、上手くいけばそろそろ村に着くかも知んない」


 そんな会話が、陸王の背後から伝わってくる。滝の音が遠くなって、普通の声量でも会話が出来るようになったからだろう。


 それを聞きながら、やれやれと思っていると、突然、違和感を感じた。魔代語ロカに祝福されている感覚だ。


「随分といい匂いをさせてるじゃないか」


 声は背後からでも前方からでもなく、全く違う方向から響いてくる。男の声だったが、陸王には聞き覚えのある声だった。


 それは男の姿に擬態した魔族の声だ。


 三人の足が同時にぴたりと止まる。だが、声がしたのがどの方向か、三人が三人とも分からなかった。その場に立ち尽くし、辺りに目を馳せる。


「この匂いをさせているのはそこの小僧か? お前から旨そうな匂いがしてくるぞ」


 旨そうと言われた瞬間、雷韋は元々あった傷とは別に、新たに腕に傷を作った。火影を召喚して、咄嗟に斬ったのだ。


 その直後、腕の傷からは真っ黒な血が溢れ出した。同時に雷韋は、目眩を起こしたかのように蹈鞴たたらを踏む。


「雷韋君!」


 すぐに紫雲がその雷韋を支えたが、雷韋は頭を二度三度と振って、「大丈夫だ」と答える。


 陸王は吉宗の柄に手をやって辺りに気を馳せ、紫雲は雷韋を庇うようにして腰の鉤爪を右手に嵌めた。雷韋も魔気に冒された瞬間は目眩を起こしたが、悪い血が流れ出したことですぐに回復する。


 だが、陸王と紫雲が身構える中、雷韋は火影を召喚しているにもかかわらず、一人だけ腰が引けていた。やはり魔族が出たと思うと、恐ろしさに負けてしまうのだ。


 その雷韋の気配を敏感に感じ取り、陸王は声をかけた。


「雷韋、俺から離れるな」

「う、うん」


 そう答えるだけだったのに、雷韋の声は既に震えていた。まだ魔族の姿も見えていないのに。深い琥珀の瞳は警戒に変色して、毒々しい黄色の光を宿す。


 雷韋は陸王と背中合わせのようにして立ち、辺りを窺っていた。


 紫雲も二人に背を向けるようにして立つ。


 彼らの傍らには水色を薄くしたり濃くしたりする川が流れ、もう片側は森だ。おそらく魔族は森の中だろうと思われるが、たった一言、二言では居場所がはっきりとしない。


 と、今度は女の声が響いた。


「本当、旨そうな匂いだ」


 その声音は、はっきりと舌舐めずりをしている。


 だがその声に、陸王は感覚的に顔を宙へ向けた。すると、背の高い木々の葉の裏に二箇所、計四つの紅い色が灯っているのを発見した。並びならぶ別々の木の上部に魔族が潜んでいたのだ。木肌に逆さまに張り付いて。上空から響く声だったから、声の出所が分からなかったのだ。


 陸王の口から、「野郎」と呻くように声が出た。


 その変化に、雷韋と紫雲も気付いて宙を見上げる。


 雷韋は二箇所に灯る紅い色に、完全に震え上がった。喉の奥から、引き攣ったような奇妙な呻き声が上がる。


 陸王は鞘から吉宗の刀身を引き抜くと、左腕で雷韋を完全に背後に庇った。そうすると、どうしても紫雲と肩を並べる形になるが、この場合、雷韋を護るのが最優先だ。くだらないことに拘っているわけにはいかない。同時に、雷韋の怯えが陸王の心に染み込んでくる。背後という零距離から、魂の共鳴が起こるのだ。そのせいで、ひしひしと雷韋の感覚が流れ込んでくる。それで陸王まで怯えることはないものの、正直、鬱陶しい感覚だった。精神に纏わり付いてくるとでも言おうか。その反面、その感覚を美味とも感じていた。


 魔族に対して雷韋が覚える怯えや恐怖の感覚は、彼等にとっては精神への馳走と言える。魔族はそんな負の感情も糧にする生き物だからだ。だからこそ、陸王はそれを鬱陶しい、忌まわしいと感じてしまう。


 己のどこを押しても『魔族』という生き物だと痛感させられるからだ。


 だと言うのに、雷韋から感じられる恐怖や怯えは殊の外旨かった。忌まわしい感覚だと分かっている。自覚している。無視しようと努めるが、それでも精神が勝手に負の感情を喰らって高揚してしまうのだ。


 おそらく、木々の上にいる二匹の魔族も喰らっているだろう。こんなに純粋に恐怖を向けられるとは、全く魔族にとっては堪らない。


 陸王は自分も雷韋の負の感情を喰らっているのに、それを掻き消そうと少年の左手を強く握った。


「大丈夫だ。連中には何もさせん。だが、お前が怖がれば怖がるほど奴らは喜ぶ。気をしっかり持て」


 そう声をかけられて、雷韋は陸王の背中に縋り付いた。


 雷韋が陸王の背に額を預けてくると、そこから不安や恐怖心が流れ込んできたが、それと同じくらい、安堵を感じているのが陸王には分かった。


 それが好機だった。陸王は力の加減もなく、宙に刃を振るった。途端、魔族達がそれぞれにいる木々が斜めに傾ぎ始める。当然、魔族は別の木へ飛び移ったが、その木も同じように傾いでいった。


 陸王が魔族の飛び移る木々を斬撃で起こる鎌鼬で倒していったからだ。


 だが、斬撃で木を倒すのはあまりにも大雑把すぎた。全く関係のない樹木まで斬撃を受けて共に倒れていくからだ。


 いや、しかしそれでよかったのかも知れない。辺りの木々を薙ぎ倒していけば、魔族はそのまま木の上に登っていることも出来なくなり、いずれ地面に下りるだろうからだ。そうなれば、こちらからも手は出しやすくなる。それを考慮に入れて陸王は木々を次々と切り倒していったが、いい加減になったところで紫雲が止めに入った。


「もう、やめなさい。いたずらに森を破壊してどうするというのです」

「近場に立木がなくなりゃ、空中からの襲撃はなくなるだろう」


 言ったかと思うと、また斬撃を放って木が倒されていった。最早、辺りは倒木だらけで、至る所に山が出来ている。


 そのあとも散々切り倒して、魔族の居場所を奪い去った。


 遠く離れた場所から魔族が睨み付けていたようだったが 、陸王は「さぁ、どうする」とでも言うかのように二匹の魔族を眺めやる。


 その挑発に乗ったのか、魔族は背の高い木からそれぞれ飛び降りた。二匹は酷く機嫌を悪くしているようだった。けれどその様が、陸王には胸が空くように楽しい。


 男女に擬態した魔族は、男を先にして倒木を身軽に乗り越えやってくる。無論、男の手には妖刀が握られていた。奴らが 簡単に妖刀を手放すわけがない。あやしの力を持つ得物があれば、それを使うのは当然だ。第一、妖刀がなければ、中位程度には陸王に手出し出来ないのだから。


 魔族は、刀の本来の持ち主の太刀筋に頼るしかなかった。それでやっと五分。いや、それでも陸王の方に分があるか。日ノ本への魔族襲撃当時と今現在の陸王の力には、歴然とした差がある。当時の源一郎の太刀筋は、落ち着いて見れば陸王には簡単に見切れる。妖刀としての機能が付加されているとは言え、基本は元の持ち主の太刀筋が反映されるのだ。ならば、陸王にはいくらでも戦いようはあった。

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