暴露~奪われ 五

 紫雲しうんの本来の目的が妖刀にあることを改めて聞いた雷韋らいは、一度視線を下げたがそのあとすぐに陸王りくおうの横顔を見上げた。だが、陸王の表情には特に何の色もない。幼友達の刀だという事で表に現れた苦しげな表情も綺麗に消えている。何故かそれが、全てを諦めているように見えたのは雷韋の気のせいだろうか。


 紫雲はそれを知ってか知らずか、毒を吐いた。


「それにしても、幼馴染みの刀に動揺するとは、魔族にも人並みの感情があるという事ですか。驚きですね」

「喧嘩売ってんのか、手前ぇ」


 陸王が肩越しに振り返って睨め付ける。それをどこ吹く風と言った風に、紫雲はただ肩を竦めてみせるだけだった。その様子に、陸王は腹の中で「くそ野郎が」と吐き出した。


 だが紫雲は、ただ毒を吐いたわけではない。半ば本気で蔑んでいたが、龍魔の言うように、陸王に人と同じ感情があるのか確かめたかったのだ。今の陸王の反応からして、随分と素直に感情を表に出したと思う。それとも、害意を覚えやすい魔族だからなのかなどとも考えられたが、正確には判じられない。陸王は本当に高位の魔族以上、魔神以下なのか。まだまだ紫雲には分からないことだらけだった。けれども、まだ陸王の正体が知れなかった頃、その時に見た陸王の姿は人となんら変わらなかったように思う。あの頃から紫雲を嫌っていたのは確かだが、雷韋の世話はきちんと見ていた。旅立ってからまだ間もなかった頃、随分ぞんざいに雷韋を扱うと思ったりもしたが、肝心なところは決して外さない面倒見のよい面が見て取れた。


 しかしそれは、雷韋が対だからなのかも知れない。対以外のほかの者に対してはどうなのか分からなかった。それを知る要素も少なかったからだ。雷韋には一度だけ手を上げたと聞いたが、ほかの者に対してはどうなのだろうか。雷韋の前ではしないだろうが、人の目のないところでは人狩りをしている可能性だってある。所詮、魔族は人を殺し、喰らう者だからだ。


 そうこうしているに渓谷まで三人は戻った。相変わらず轟きが凄まじい。膨大な量の水が空から降ってくるようだ。それが水面にぶち当たって、轟きを立てている。大量の水飛沫で、滝壺は完全に隠されていた。傍に近づくだけで、全身が濡れそぼってしまいそうだった。滝からは離れた場所にいるはずなのに、空気中に水分が重く含まれている。


 改めて、その存在に圧された。


 だと言うのに、雷韋は一人だけ酷く楽しげな様子だった。うっとりとした目で滝の全容を眺めている。唇にはうっすらとした笑みを浮かべて。


 しかし、その雷韋の頭を陸王は引っ叩いた。


「いってー!」


 雷韋の怒鳴り声が、滝の轟音によって掻き消される。その雷韋に、陸王は言葉を発さずに右手の親指で別方向を示した。


 陸王が示したのは、川下の方だ。もう少し下へ戻ろうというのだろう。流石にここまで水が暴れていては、魔族であっても水を飲みに来るとは思えなかったのだ。もっと下流へ移れば、ここよりかは簡単に水を飲める場所に出るだろうと。実際、そんな川べりを眺めながら、この上流までやってきたのだから。


 陸王は雷韋にだけ合図を送って、紫雲はいない者として扱った。ちらとも目を向けない。要するに、完全無視を決め込んだのだ。


 妖刀が、死んだ九鬼くき源一郎げんいちろうのものであったという事実が、陸王を動かしている。あの刀は自分だけが破壊することが許されていると。懐かしくも悲しい、八卦はっかが施された鍔。


 源一郎は帝から下賜されたその刀を大切そうにはしていたが、下賜されたこと自体にはさほど興味がないという顔をしていた。けれどそれは、表向きの顔だ。雇われ侍がつどう道場生まれの源一郎は、一応の基礎として刀の扱いには慣らされていた。だが、陰陽術の方に強く興味を持ち、剣術はもっぱら暇なときくらいにしか鍛錬することはなかった。それでも源一郎の腕前は大したものだった。普段は市井の陰陽師として術の研究をしていたが、道場が戦で雇われると戦にも出向いた。その時は陰陽師として出向いたが、戦では必ずと言っていいほど手柄を立てた。つまり、武将の首を取ったのだ。戦での陰陽師の役割とは本来、伝令係のようなものだ。符術で式をあちこちの隊に飛ばして情報集めをし、本陣での決定をまた式に乗せて飛ばすのだ。それが本来の役目だが、腕も立つという事で前線に送られることもまた多かった。そして、前線に出れば名のある武将の首を取ってくる。少年の頃からそんな事が度々あり、いつ頃からか、武術に秀でた陰陽師として朝廷でも噂が絶えなくなった。


 朝廷から使者がやってきて、陰陽寮に入るか、滝口の武士として帝に仕えぬかと打診が幾度もあった。けれど源一郎はそれらをことごとく蹴った。そんな事があり、帝の気持ちとして一振りの刀を下賜されたのだ。それがあの妖刀の前身だ。それまで朝廷をないがしろにするようなことをうそぶいていたこともあり、源一郎は下賜された刀を粗末にはしないが、帝のお声がけは完全に無視していた。内心は飛び上がるほど嬉しかったに違いないのに。


 ある日、朝廷から使いがやって来て、帝が源一郎のために一振りの刀を作らせ、それを下賜してくださるとの話が飛び込んできた。源一郎は朝廷へ伺候しこうする前日、興奮で眠れないと夜中こっそりと陸王のもとへ酒を持ち込んで、一晩中付き合わせた。酒が入ると、やはり帝の御前へ参るのが恐れ多いし、反面、嬉しくてならないと唇が綻びた。その翌日の早朝に出発し、三日後に戻ってきた。朝廷を辞してきたあとのまた夜中、源一郎は再び陸王のもとへとやってきた。その夜は酒はなしだったが、源一郎はすっかり浮かれていた。それは幼馴染みの陸王にしか見せない姿だ。都から戻ってきたあとはいつも通り斜に構えていた源一郎だったが、連続で陸王のもとへやってきたのだ。その頃、陸王より一つ下のまだ十六だった源一郎だが、いつもは大人びているのに、先日の晩とその晩は年相応の少年の表情を見せた。都や宮中がどれほど素晴らしかったか、帝の竜顔を拝することが出来た喜びなど、様々を語った。語る間中、下賜された刀を膝の上に載せて、大切そうに撫でていたのが印象深い。何より帝が源一郎を喜ばせたのは、鍔に施された八卦の意匠だろう。あの晩、源一郎は、帝に武術も陰陽術も双方共によくよく修めよと言われた気がしたと興奮気味に語っていた。刀を下賜された日から、源一郎はその刀を必ず腰に差して出歩いていたが、それを周りから賑やかしくつつき回されても、源一郎は普段と変わらぬ態度で「帝から賜ったものだからな。粗末には出来んさ。だからこうして腰に差しているんだ」などと言っているのを陸王が見掛けたのは、一度や二度ではない。それこそ、数え切れないくらい何度もあった。それを見るたびに陸王は、素直じゃない、と微笑ましく思ったものだ。


 だが、源一郎の誉れは地に堕ちた。悪意を持って人を斬りまくり、妖刀にされてしまったのだから。それどころか、陸王には源一郎自身さえも助けられなかった。


 友を助けられなかった悔恨が陸王の胸を塞ぐ。だからせめて、罪滅ぼしがしたかった。その為には、妖刀にされてしまったあの刀をこの手で破壊する。それしか出来ない。ならば、そうすべきだと強く思う。妖刀を滅するのは赤の他人の紫雲ではない。幼馴染みであり、悪友であり、親友であった陸王自分だ。あの妖刀が亡き友の刀なのだとしたら、誰になんと言われようとこの役目は譲れない。


 陸王は胸が塞がれるような、それでいて、ここで初めて道が開かれたような気持ちで下流へと向かって歩いた。


 滝の轟きは大きく、暫くついて回られた。その間も、川の面には碧綠へきりょくまだらがあちこちに散らばっている。水の流れも速かった。


 それを横目に、三人は下流へとただ向かって歩いて行った。

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