魂の真相 十

 青蛇殿せいじゃでんの巫女達は、誰一人として母の腹を割いて生まれてきた陸王りくおうに近寄りもしなかった。その為、赤子の頃からずっと龍魔たつまが世話をしてきたが、その龍魔も体調を崩すことが往々にしてあった。


 原因は陸王が発する瘴気である、魔気まきの影響だ。


 魔気は目にも見えず、匂いもない。だが長時間当たれば、間違いなく人体に悪影響をもたらす。魔族が発する瘴気はつまり『毒』なのだ。長い間、魔気に冒されていると、体調不良を起こす。それだけにとどまらず、精神に異常を来すことすらある。


 当然、龍魔も魔気に冒されて意識を失ったり、体調を崩したりという事があった。


 それでも友人に託された大切な生命だ。決して陸王から目を離すことはなかった。それどころか陸王につきっきりで、光竜殿こうりゅうでんにさえ出向くことがなくなった。


 その間のことは、全て向こうに任せっきりになったが、光竜殿から定期的に報告は来ていたのでそれで問題はなかった。


 そうして陸王を赤子の頃から育ててきて、陸王は龍魔を本当の母親のように思い、よく懐いた。そこに目をつけ、龍魔は陸王が小さな頃から、無理をさせすぎないようにではあるが、少しずつ魔気を抑えるすべを身につけさせた。物心つくより前からだ。いいも悪いもよく判断出来ない頃から、陸王は己の力を制御するよう躾けられたのだ。


 それは面倒を見る龍魔のためではない。陸王を人として生かして欲しいという、エリューズの想いを汲んでのものだった。


 だから物心つく頃には、完全に魔気を抑え込めるようになっていた。


 だが、それも短い間のことでしかなかった。


 成長するうちに力も増し、陸王の内側で渦巻いていた力が自然と発されるようになっていったのだ。精神的に落ち着いている時ならばよい。しかし、傍に龍魔がいない時や傍にいても感情が大きく揺れることがある時など、力が暴走するようになった。ほんの少し龍魔が傍から離れただけで、部屋の調度品を全て壊してしまうことも幾たびかあった。


 そんな陸王の傍には龍魔以外、誰も好き好んで近寄らない。生まれてこなければと思う巫女もいたくらいなのだ。それを口外するしないに関わらず。おそらく巫女達は皆、そう思っていたはずだ。


 それこそ、陸王が生まれた瞬間から。


 力の制御が徐々に効かなくなっていってからは、本格的に部屋には誰も近寄らなくなった。


 しかし龍魔自身、懐く陸王を酷く可愛いと思っていた。母親のエリューズが与えるはずだった愛情を、龍魔が代わりに精一杯与えて育てた。それこそ、目に入れても痛くないと言うほどに。


 とは言え、甘やかしていたわけではない。躾はきっちりした。読み書きは物心つく前から教えたし、食器の扱い方なども教えた。食べ物に至っても、好き嫌いはさせなかった。そういった教育は、全て人族ひとぞくの世界で生きていくためだ。


          **********


 陸王が生まれてから五年の月日が経った。その日は陸王が生まれた日だった。


 母、エリューズが亡くなり、その腹を引き裂いて陸王が姿を現した日だ。陸王が生まれてから、毎年その日に龍魔は陸王を連れて庭園へと行く。


 エリューズが亡くなった場所、同時に陸王が生まれた場所へ行くために。


 陸王を連れて歩いていると、途中で出会でくわす巫女達は陸王を蔑みの目、忌み嫌う目、忌まわしいものを見る目で見た。しかし、龍魔はそんな目を向けてくる巫女達を無視して堂々と廊下を歩いた。胡乱うろんな眼差しを向けてくる巫女達を咎めもしない。そこに巫女達はいるが、いない者として扱ったのだ。当然、陸王にも常日頃から言い聞かせていた。


 誰がお前を見下しても、お前は堂々としていろと。


 それでも、子供はやはり自分に向けられる好悪の感情を察してしまう。


 そのせいか、陸王は手を繋いでいる龍魔の手を強く握ってきた。その強さに、不安なのだろうと龍魔は思う。だから力付けるように、龍魔も繋ぐ手に力を入れてやった。その際、陸王の方をちらと見る。目を向けると、陸王が見つめ返してきた。周りの目を気にして、龍魔を見上げていたのだ。そんな陸王に、龍魔は優しく微笑みかけてやった。すると陸王も、うん、と小さく頷きを返してくる。それがなんとなく二人だけに通じる無言の言葉に思えて、龍魔も頷いて返した。


 そのあと庭園に出て、小さくはあるが石塔のあるところまで行った。


 これはエリューズのために建てた石塔だ。そこで毎年、龍魔はエリューズに陸王の成長を報告している。


 しかしこれは石塔であって、墓ではない。神殿内にエリューズの墓はないのだ。墓は外の世界にある。迎賓館のある村の墓所へと埋葬されたのだ。


 それは、青蛇殿はエリューズと関わりを持っていないという意味を表してのものだ。もし羅睺が欲しければ、遺体は返してやるといった意味も込めて。


 結果として、エリューズを埋葬してから程なくして、彼女の遺体は何者かに持ち去られた。羅睺の意を受けた堕天使か、魔族が持ち去ったに違いない。


 だから、墓としての体裁は村にあるものの、本当の意味での墓ではないのだ。


 龍魔は石塔に触れながら、亡き友に語りかけた。


「エリューズ、今日で陸王も五歳になった。これまで色々大変なことはあったが、楽しい日々だったよ。これからも変わらずに過ごすと思う。お前が心配していることは分かっている。力が感情に左右されることはあるが、陸王は人と変わらずに生きているよ。この子は魔族じゃない。大丈夫だ」


 穏やかに、笑みさえ含みながら報告をすると、陸王の視線を感じて顔を向けた。


「どうしたんだい?」


 問うと、陸王は眉を八の字に下げて言ってきた。


「お母さんは、ここで死んだんでしょう?」


 幼く拙い声で問うように聞く。


 龍魔は思わず笑うように息を零した。


「そうだね。お前のお母さんは、お前を生命懸けで護ってここで死んだ」


 事実を言ったが、龍魔の言葉を耳にして陸王の視線が伏せられる。


「なんだい? 何か気になることでもあったかい?」

「……僕が、殺したの?」


 酷く悲しげに口にした陸王を見て、龍魔は驚いて途端に険しい顔になった。すぐに陸王と目線を合わせ、その両肩に手を乗せる。


あたしの目をご覧。これまで妾はお前に何度も言ってきただろう? お前のお母さんは、お前を護って死んでいったと。最後までお前のことを案じていたんだと。本当ならお前は妾じゃなく、お母さんとここで幸せに暮らしていたはずさ。でも悲しいことに、お母さんには時間がなかった。お前を生んでやる力も残されていなかった。でもお前を護りきったんだ。これを聞くのは辛いことだろうが、お母さんが亡くなって、お前はお母さんのお腹を割いて自分の力で生まれてきた。だけどそれは、お前が生きるためには仕方がなかったんだ。お母さんもそれは覚悟の上だった。お前の『陸王』という名前も、お母さんがつけてくれたんだよ。もしお前が生まれてこなければ、お母さんはきっと悲しんだと思う。勿論、妾も悲しんだ。どんな生まれ方をしようと、お前がお母さんを殺したわけじゃない。分かったね?」


 龍魔は陸王の懸念を晴らすように、いつになく厳しい物言いをしたが、陸王の顔は晴れることはなかった。晴れることなく、陸王は逆に問い返してきた。


「龍魔、『いみご』って何?」

「いみご?」


『いみご』と問われ、龍魔もすぐには分からなかった。が、数瞬ののち、『忌み子』だと理解した。


 意味はそのまま。『忌まわしい子供』『忌み嫌われる子供』の意だ。


 その言葉の意味を理解した瞬間、龍魔の頭は真っ白になった。自然、陸王の両肩に置いた手にも力がこもる。


「どこでそんな言葉を……?」


 龍魔は低く、しゃがれた声を出した。


 だがその問いに、陸王は緩く頭を振るだけだった。その様子から、陸王自身も『忌み子』が悪い意味だということを、幼心にも理解しているのだろうと龍魔は思う。だから言ってやった。


「陸王、そんな言葉は忘れてしまいな。どうでもいい言葉だ。お前には関係ない」


 言って、龍魔は陸王の肩から手を放し、代わりに両手で頬を挟んで陸王と目を合わせた。


 龍魔の碧の瞳と、陸王の黒い瞳がぶつかり合う。


「例え世界中が敵になっても、妾はお前の味方だ。お前が大きくなって、今よりもっと勉強を重ねて、青蛇殿を出たくなるまでは妾の傍にいればいい。もしお前が嫌じゃなければ、ずっとここにいたっていいんだ。その資格は充分にあるんだからね」


 言い含めるように、龍魔はゆっくりと言葉を重ねた。


 とは言え、陸王はいずれ必ずここを出なければならない。セネイ島で生まれた雷韋に出会うために。雷韋のことは、光竜殿から連絡が来ている。


 それに何よりも、陸王は少なくとも長くはここにはいられないだろう。巫女達の鬱憤が溜まってきているのだ。最近では、龍魔の言うことを聞かない巫女も出始めている。神殿の通路で出会しても、龍魔を無視するのだ。それどころか、青蛇殿の責任者である龍魔に対して、最低限の礼すらとらない。おそらく陸王が青蛇殿にいる限り、巫女達は不満を募らせていくだろう。しかし、まだ陸王を外の世界に出すことは出来ない。外へ出すにはあまりにも幼すぎるのだ。


 それに今のままの陸王では、羅睺に対抗出来ない。力の制御そのものが出来ないからだ。不安定な力の上に、不用意に力が表面化すれば、どう暴走してしまうか分からない。だから、まだ結界の張られている青蛇殿で羅睺の悪意から護っている。ここにいれば、羅睺から護ってやれるからだ。

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