魂の真相 九

 龍魔たつまが大地の精霊魔法エレメントアを発動させると、エリューズの全身を大地の黄色い光が包み込んだ。彼女の身に纏う綠青の衣装が、僅かに色変わりして見える。しかし、回復の魔術を使ってみて分かった。身体の表面だけではなく、内臓までずたずたになっているのだ。それなのに、大きく膨らんだ腹だけは無傷だった。生命懸けで子供を護ったのだろう。子宮内も正常だった。けれど、ほかのあまりにも傷が重すぎて、いくら大地の力が光竜と繋がっていると言えど、回復の術が追いつかない。それでも必死に術をかけ続けた。声がけも絶えずした。


 必死に声がけしていると、エリューズが薄く目を開けた。最初のうち、視線は定まらなかったが、やがて龍魔に焦点を合わせてきた。しっかりと碧の瞳に龍魔を映す。


「龍魔」

「エリューズ、しっかりおしよ。今、大地の精霊魔法で身体中の傷を癒やしているからね」


 龍魔の言葉に、エリューズは弱々しい笑みを浮かべた。


「ここは、青蛇殿せいじゃでんね」


 吐息で言葉を吐き出す。龍魔はそれに応えてやった。


「そうだよ」

「精霊を上手く召喚出来たんだわ」


 精霊を召喚したという事は、エリューズは召喚魔法サモンを使ったのだ。召喚魔法は根源魔法マナティアから派生している。だから、どの種族でも使えるのだ。


 エリューズの言葉に、龍魔は怪訝そうに眉根を寄せた。


「お前、何をしたんだい? 青蛇殿の結界に何かしただろう」


 それを聞いて、エリューズは口元をはっきりと笑ませる。


「大地の精霊を召喚して、青蛇殿に結界を張って貰ったの。霧の結界も巻き込んで。そうしないと私には、青蛇殿の結界は破れなかったから」

「まさか。馬鹿な」


 エリューズのやったことがあまりにも大胆にすぎて、龍魔は言葉を失った。まさか霧の結界を巻き込んで、大地の精霊一つに結界を集中させるとは。だが、それだからこそ、エリューズは結界を破って入ってこられたのだ。それも大地の精霊が霧を取り込んで、分厚く結界を張っていたからこそだ。そもそも、エリューズには迎賓館を経由するという頭がなかったらしい。それも致し方ない。堕天使に追われていたのだろうから。エリューズにはあまりにも時間がなさ過ぎたのだ。だから召喚魔法で大地の精霊を呼び出して、結界を張らせるような無茶をやらなければならなかったのだ。その結果、無理に結界を突き抜けたことにより、この怪我を負ってしまった。その傷を龍魔は懸命に癒やしていたが、どうなるか分からない。強く助けたいと思うが、傷があまりにも重すぎる。


「龍魔様!」


 巫女達が龍魔の姿を見つけて駆けてくる。


 だが、エリューズの姿を見て、皆、眉根を寄せた。それは嫌悪だけではなく、その姿の痛々しさにだ。


「怪我は、癒えそうですか?」


 そう聞いてきたのはエイザだった。隣にはリースがいる。リースはエリューズの姿に、口元に手を当てて顔を顰めていた。痛ましさに、思わず顔が歪んだのだ。


 その場に集まった皆はうっすらとではあるようだが、大地の精霊が張っている結界の原因を悟ったらしい。エリューズの姿と先ほどの神殿の状態を考え合わせれば、大体想像がつく。


「龍魔」


 エリューズが力なく龍魔を呼んだ。龍魔はエリューズの碧の瞳を覗き込む。


「龍魔、お願いがあるの。お腹の子、この子だけはあの方から護って。最後のお願いよ。お腹の子に罪はないわ」


 切れ切れに、なんとか言葉を紡ぎ出す。


「何を言ってるんだ。母親が護ってやらなくて、誰が護ってくれるってんだい。腹の子は青蛇殿で産めばいいよ。すぐに産室を用意するから。そしてここで、母子おやこ二人で暮らせばいい。羅睺なんて忘れて、ここで暮らしていけばいいんだ」


 けれどエリューズは、小さく首を振った。


「私はもう駄目。自分のことだから、分かるわ」

「エリューズ、そんな事じゃ駄目だ。傷はあたしが癒やすから、大丈夫だよ」


 強い言葉で言うが、エリューズは再び首を振る。


「お腹の子、男の子よ。名前はもう決めてあるの。『陸王りくおう』よ。この子は人間族と同じように育てて欲しいの。だから名前も共通語でつけたのよ。いずれ、人間の中で生きていって欲しい」

「それは妾の役目じゃない。お前がそうやって育てるんだよ。陸王の成長が楽しみだろう?」

「それまで生きていたいのだけど、無理だわ」


 目尻から涙を流して、弱々しく言葉を呟いていく。


「龍魔。私が死んだら、封印が解ける。八〇年の間封じていたこの子が生まれるわ。私が死ねば、すぐに。この子を恐れないで。嫌わないで。あの方の血を受け継いだ私達の子なの。大切な生命なのよ」

「あぁ、分かってるさ。羅睺あいつとお前の子供だ。だから、お前はこの子のために生きなくては。傷も随分癒えてきたよ」

「有り難う、龍魔。でも、もうね、目が見えないの。貴女の声も聞こえにくくなってる。あと少しで私は死ぬ。そうして動き出すわ、全てが」


 流石にこの段まで来て、龍魔には言葉もなかった。少しずつエリューズの生命は消えかけていっている。確実に。龍魔にとって、回復の術が全く間に合わないのは初めての経験だった。それだけ、変化させた結界が強力だったという事だ。だが、霧の結界を無効化するには、大地の精霊を使って覆うように取り込まなければならなかった。そうすることによって、霧の結界を無効化させ、新たな結界が出来たのだ。逆にそのせいで、結界に突っ込めば生命はなくなる。


 エリューズにとってはそれでよかった。腹の子が助かるのなら、自分の生命は捨てられる。それが親だ。己の生命と引き換えにしてでも子供を護りたい。親なら、誰でもそう願う。自分が駄目でも子供さえ生きていてくれたら、思い残すことはないと。


「……お願いね」


 エリューズは見えなくなった目を瞑り、微笑んだまま消え入るように言葉を零して、そのまま呼吸を止めた。


 その友の姿に、龍魔はエリューズを強く抱きしめた。集まっていた巫女達も悄然としている。


 だがその時、籠もった嫌な音が響いた。何かを裂くような音だ。


 はっとして、龍魔は友の亡骸を見下ろした。また籠もった音が聞こえる。気が付いた時には、エリューズの膨らんだ腹の部分に血の染みが広がっていくところだった。腹は唯一傷ついていない場所だったのに、そこが汚れている。龍魔はエリューズの身体を地面に横たえ、慌てて血で汚れていく腹の部分の布地を引き裂いた。するとそこには、内側から穴が開いていた。その穴を大きく引き裂くように、腕が現れる。赤子の腕だ。それが内側から少しずつ外界へ出ようとしているのだ。片方の腕が出て、もう片方の手を腹の肉に引っ掛ける。次の瞬間、肉が引き裂かれて、中から血にまみれた赤子が大きな泣き声と共に現れた。


 腹の中から這い出してきた赤子は、エリューズの血を纏って真っ赤だったが、瞳も血と同じ色をしているのに龍魔は気付いた。一番傍で見ているのだ。誰よりも、はっきりと自力で生まれてきた赤子を目にしている。


「目が紅い。やはり魔族……」


 そんな事をぽつりと呟いたのはリースだった。はっとして声の方を見ると、巫女達の顔には一様に嫌悪の表情が表れていた。誰の目にも、どろどろとした忌避感が含まれている。そんなものを目にして、龍魔はこの赤子はやはり忌むべきものなのだろうかと胸の中で反芻した。視線をもう一度、泣きじゃくっている赤ん坊に向ける。母親と同じく、その子も全身が血で真っ赤で、瞳も魔族の系譜を表すように紅い。


 けれど龍魔にとってはこの子は何かが違った。決して忌むべき者ではないと思ったのだ。この世に生を受けてより八〇年間、母親の腹の中に封じられていた。その間、父親と母親から受け継いだ力がどこにも吐き出せずに、自家中毒のように己に回ってきていただろう。母親が死んでそれでやっと封印が解け、自力で這い出してきたのだ。そうやって生まれるしかなかった。母親には生んでやれるだけの力が残っていなかったのだから。この生まれを責められるだろうか。龍魔の中では『否』だった。皆はおぞましく思っているだろうが、龍魔からしてみれば、ただただ可哀想でしかない。自分で這い出さなければ、腹の中で死んでしまったことだろう。この子は、こういう生まれ方しか出来なかったのだ。全ては不可避だ。


 龍魔は、まだ身体の半分が腹の中にある赤子を両手で抱き上げて、完全に身体を引っ張り出してやった。腹の中から引き摺り出された赤子の腹には、当然ながら臍の緒が繋がっているままだ。だから龍魔は自分の服が汚れることも気にせずに、膝の上に赤子を横たえてから臍の緒を噛み切った。だが、その様子を皆はおぞましそうに見ているばかりだった。それでも龍魔は気にしない。それどころか赤子を抱き上げて、その柔らかな頬に頬ずりをした。


「陸王。あんたの名は陸王だよ」


 言って、泣き続ける赤子を龍魔は優しく抱きしめた。


 青蛇殿で護ってやれるのは、最早自分しかいないのだと思い定めて。


 結局、巫女を罰することは立ち消えとなった。それどころではなくなったからだ。


 それに、エリューズを追ってきていた堕天使達の姿もいつの間にかなくなっていた。

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