魂の真相 四

「人間族は光竜こうりゅうに創られたわけではありません。天慧てんけい羅睺らごうによって、獣の眷属を真似て創られました。ですから、そこに様々なものが混じってしまったのでしょう。愛も憎しみも。それ故に、人間族は悲しい生き物と言えるでしょうね」


 シリアが突然、魂の話をしたかと思えば、人間族の『魂の定義』を話題にし、その上で悲しい生き物などと表現されたことが、紫雲しうんには揶揄されたように感じられた。まるで、色々なものが混じってしまったが故に、純粋ではない人間族は獣の眷属の劣化したもののように受け取れたのだ。


 だが、それはすぐに違うと思い知らされた。


「人間族は強い憎しみを持ちますが、だからこそ、獣の眷属よりも大きく強い愛の力を持っています。その心が『宗教』と言う形になったのでしょう。最も大きな宗派は『天主神神義教てんしゅしんしんぎきょう』ですね。人間族は、天慧と羅睺を愛し、また、愛されたいと望んでいるのです。儚く脆い種族ですが、純粋さは獣の眷属を上回る。母の愛を欲しがる赤子と同じですね」


 赤子と言ったとき、シリアは切なそうな笑みを浮かべた。


 紫雲はそれを見て、何故こんな笑みを浮かべるのだろうと思った。第一、彼女は人族ひとぞくではないとも言った。精霊なのだと。しかも、永遠のしもべ、永遠のお役目だとも言った。それもなんなのか気にかかる。


 色々気にかかることは多いが、今はどうして自分が光竜殿こうりゅうでんと呼ばれる場所にいるのか、そちらの方が大きな関心事だった。それに、記憶が唐突に途絶えているのも気にかかる。それがここにいることと何か関係があるなら知りたかった。


 服のぼたんを全て掛け直してから、紫雲は気持ちを入れ替えるようにシリアに問う。


「その、シリアさん」

「どうか呼び捨てに」


 瞬間戸惑ったが、シリアの言うとおりにしようとはらを決めた。何度も繰り返すのも馬鹿らしいと思ったのだ。


「では、シリア。何故、私はここにいるのでしょうか? 記憶が途中で寸断されていて分からないのですが、最後の記憶では魔族と戦っていたはずです。それが何故」


 それを聞いて、シリアは悲しそうな顔をした。


「身体に強い衝撃を受けて、それが精神にまで及んでしまいましたか」

「どういう意味です」

「それはわたくしから伝えるべき事ではありません。そろそろその役目の者が来るはずです。精霊は神殿中に貴方の目覚めを知らせましたから。貴方は大切な方です。どうぞ、御身をご自愛ください」


 紫雲は怪訝な心持ちになった。修行モンク僧が魔族と戦うことは、この世界では当たり前のことだ。魔族との戦いに於いて気をつけろと忠告されるなら分かるが、『御身をご自愛ください』とはどういう意味か分からなかった。


 分からないなりに考えて、紫雲は言った。


「寝台から下りても?」

「どうぞ。この部屋は貴方のものですから、ご自由に使ってください。古巣に戻ったとお考えになって」


 シリアは言って、ふわりと笑った。


 それを見て、まただと思う。何故、この女は自分をそんなに大切に扱うのか。だが、理解出来ない心をどうすることも出来ず、取り敢えずと紫雲は寝台から下りた。


 身に纏っているのは自分の服ではなかったが、寝台の傍に置いてあるのは自分の靴だった。そんな事くらいで、どうしてか妙にほっとした。


 寝台から下りてみると、それは部屋の中央奥に位置しているのに気付く。天蓋が寝台の半分を覆っているが、帳は降りてはいない。そのすぐ傍には、一対のソファと卓が置かれていた。その卓に近づいてみると、貴族でもなかなか手に入れられないだろう貝殻を割って磨いた欠片を一面に押し並べた硝子の盤上になっている。その盤面は美しく虹色に輝いていた。沿岸部に出たことのない紫雲にとって、その卓は非常に珍しい品だった。


 ほかにも、箪笥や飾り棚と思われる調度品には、花を象った彫刻が施されている。一つ一つの模様自体は単純だったが、全体を見ると、まるで萌え出でる花々がそこにあるように見える。そもそも窓がないせいで風もないし、神殿が揺れているわけでもないのに、その彫刻は生きているようだった。傍に近寄ってみると、間違いなくそれはただの彫刻だ。なのに、花に瑞々しさすら感じられた。一体どんな彫刻師がどんな技術でこれを彫り込んだものか。


 それに、光を放つ石壁。そこにも草花が彫り込まれて、光が時折、呼吸をするように瞬くようなことがあるが、その時、箪笥の彫刻と同じように風に吹かれて生きているように見えた。


 どんな絡繰りで成り立っている場所なのかと思う。


 そうしてまじまじと室内を見ていると、不意に視線を感じた。その視線を追って振り返ってみると、いつの間にか女が一人増えていた。


 女の年の頃は全く分からない。シリアは若い乙女に見えるが、もう一人はどこか得体が知れないのだ。


 長い射干玉色ぬばたまいろの髪と碧の瞳を持ち、白と青のの付いた服を隙なく身に纏っている。女の顔に、特に表情はなかった。ただ紫雲を見つめているだけだ。


 が、その口元が突然にやりと笑った。


「なるほど。お前は記憶の一部を失っているのか。あの馬鹿が、馬鹿力で蹴りなんぞ入れるからだ」

「え?」


 紫雲が寝台から下りて、部屋の中を見て回っている間も、女が口を開く前も室内はしんとしていたはずだ。確かに紫雲も真剣になって部屋を見て回っていたが、会話があれば気付くくらいの余裕はあった。しかも、記憶がないのを知っているのはシリアだけの筈だ。だからと言って、シリアが女に耳打ちをしたわけではない。彼女ら二人の間には充分な距離がある。会話があれば気付いたはずだ。


 シリアは寝台脇から動いていない。


 射干玉色の髪の女は扉から少し離れた場所にいる。二人の間には、がある。


 怪訝に思っていると、女が口を開いた。


「精霊だよ。精霊がこれまでのお前とシリアの話を伝えてくれた。それだけじゃなく、お前の様子を水盤すいばんで窺ってもいた。話す切っ掛けがあると思ってね」


 随分ずけずけと話す女だと思った。そうかと言って、その声音は上からものを言うのとも違う、きっぱりとしたものがある。


「貴方は誰ですか?」


 僅かに警戒心を持って、紫雲は問うた。


あたし龍魔たつま神代かみよが終わり、人代ひとよが始まったときから、大陸の東にある『青蛇殿せいじゃでん』で巫女をしている。妾は光竜こうりゅうの元に戻る寸前に青蛇せいじゃが産んだ、あれ青蛇の最後の子供だよ」

「人代が始まったときから?」


 またとんでもないところから話が始まった。それに『青蛇』というのも紫雲は聞き覚えがあった。紫雲は光竜にまつわる古い伝説をざっと頭に思い浮かべた。記憶違いでなければ、青蛇は四獣のおさだったはずだ。だが、それは飽くまでも伝説だ。しかし、さっきシリアは、四獣は伝説の中にだけいる神ではないと言った。龍魔の話はそれが裏付けられるものだった。


「ちょっと待ってください。ここは天地開闢かいびゃくのあとからある光竜の神殿で、シリアは精霊、貴方は青蛇の最後の子供だと言う。一体、なんの話なんですか。何故、私をここへ?」


 龍魔は笑みを浮かべたまま肩を竦めた。


「なんの話と言ってもねぇ。こんな話はさして重要じゃない。これから話すことが本題なのさ」


 龍魔の言葉に、紫雲は眉をひそめた。一体、今度はどんな話が飛び出すというのか。心中で思わず身構える。


「貴女は、龍魔さんと言いましたか。龍魔さんは人代が始まったときから、この世界で生きているんですか?」


「そう言ったはずだよ」


「青蛇は本当にいたんですか? 私は光竜の伝説でしか聞いたことがありません。確か、四獣の長だったと記憶していますが」


「青蛇はいた。そうじゃなければ、妾はここにいやしないよ。この世には、産んでくれた親がいない生き物はいない。神に新しく創造された生物でもなければね」


「では、貴女も人族ひとぞくではないんですか? 本当か嘘か知りませんが、神が生みの親なのでしょう?」


 紫雲の言いように、龍魔は苦笑を浮かべて答える。


「妾はただの人族だよ。蛇人族じゃじんぞく。人代に移り変わるとき、妾以外の青蛇が産みだした青蛇殿の巫女は滅んだけどね。そのお陰で妾の魂の半分は偽魂ぎこんだ。仮の魂を入れて成り立っている。まぁ、こんな話はどうでもいい。ただ、これだけは言っておく。対が傍にいることで出来る太極魂は偽物だ。本物は一人に宿る。光竜のようにね。光竜は完璧だ。この世界そのものと言っていい。そう言う意味では、偽魂を宿した妾もある意味、人族を超越した生物なのかも知れないね」


 紫雲は何も言わなかった。いや、言えなかった。今の話を聞いて、何を言えと? 何か言いたくとも、語る言葉を失う。

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