激突 三
「今すぐそいつから距離を取れ。じゃねぇと怪我程度じゃすまなくなるぞ」
「そ、それは一体……っ」
「今すぐそいつを突き飛ばして距離を取れ。距離を取らんと突きが二度来る」
が、紫雲の手も妖刀を握っていた男の右手首を放してしまった。男の倒れ込む勢いで、自然に放してしまったのだ。
「距離を取れ!」
陸王が叫ぶも、何もかもが遅かった。
男は自由になった右腕で妖刀を操り、紫雲に突きを入れてくる。それも陸王が言ったように二度の突きだ。
その突きは深くはなかったが、紫雲の胸と腹に立て続けに傷をつけた。途端、紫雲から苦鳴が上がった。傷自体は浅いが、そこから発される痛みが尋常ではなかったからだ。紫雲がこれまでに感じたこともない激痛。あまりの痛みに、一瞬で汗が滲んでくる。
「馬鹿が」
陸王は呟いて、二人のもとへ駆けた。そして、起き上がろうとしている男の顔面を蹴りつけて地面に縫い付ける。
「
次々に起こる異変を前に呆然としていた雷韋だったが、陸王に言われてやっと動き出した。まずは今以て妖刀を陸王に振るおうとする右腕を、地面から蔦を現して強引に地面に縫い付けた。縫い付けられた腕はまた信じられない馬鹿力を発揮したが、さっきとは違って蔦の太さも太ければ、量も多い。その首にも身体にも、残った左腕も両足もほぼ全体が緑色に染まるほどに蔦を巻き付ける。
これだけ蔦で雁字搦めに地面に貼り付ければ逃げられないはずだ。妖刀があっても、手首さえ動かせない今は男がどんなに頑張っても蔦を切れないという事だ。
男は陸王に顔面を蹴られた衝撃で、鼻血を流していた。両方から血が流れ出しているために、苦しげな息遣いになっている。
その間にも紫雲はその場にしゃがみ込んで、苦しげに呻きを上げていた。
「紫雲!」
雷韋が叫んで、紫雲のもとまで行く。それを陸王は横目に見ているだけだ。
身体を押さえて痛みに耐えている紫雲に駆け寄った雷韋は、傷口を確かめようとした。と、その時、腐臭が漂ってきて雷韋は驚いて紫雲の手を退かせる。手が傷口から離れたことで、むっとするような腐敗臭がはっきりとした。
「傷……、傷口ってもしかして呪われて腐ってるのか? さっきの蔦みたいに。ミサで怪我した人みたいに」
雷韋は紫雲に問うが、紫雲にはそれに答えるだけの余裕はなかった。激痛に襲われて、顔に脂汗を浮かべるだけだ。
「紫雲、自分で
痛みに顔を歪めていた紫雲が、薄く瞼を開けて小さく頷いた。自分で神聖魔法をかけることを了承したのだろう。先に二つの精霊を同時に使役できないと雷韋が言っていたからだ。こうなれば、紫雲は自分で自分に術をかけるほか手はない。
紫雲は大きく息を吐き出し、深く吸い込んだ。その際、痛みに呼吸が震えるのは致し方ないことだった。片手を己のみぞおち辺りに翳し、片手で印契を作って
途端、陸王の身体が強ばったが、紫雲は詠唱を途切れさせないように集中していたし、雷韋は紫雲の肩を支えてやっているので陸王を見ていなかったのは幸いだった。今のは陸王にしてみれば、あからさまな変化だったのだ。自分でもそんなに大きく反応するとは思っていなかった。解呪の術だからか、攻撃的な感覚は一切ない。それでも身体が自然と強ばる。ぞっとして粟肌が立ち、冷や汗も浮いた。やはり神聖語は魔族にとって呪いの言葉だ。
紫雲は震える声で詠唱を続け、最後にはっきりと神聖語を発音した。次の瞬間、背中から黒い靄が吹き出す。
「わっ」
雷韋がそれに気付いて声を上げた。
陸王も驚いた顔で見ていたが、それよりも、紫雲が詠唱を終わらせたとき、心臓を鷲掴みにされるような物理的な胸の痛みを覚えていた。
「今の黒い靄、なんだ?」
雷韋が驚きのまま言葉にすると、そこでようやく呼吸を整えた紫雲が答える。
「呪いが可視化されたんでしょう。今、祓いましたから。あれは呪いと言うより、穢れでした」
「穢れ?」
雷韋が不思議そうに問う。
「おそらく、
「そっか。そう言えば、腐ったような臭いもなくなってるな。あれもやっぱし呪いのせいか?」
「そうです。傷つけられた瞬間、呪われました。それで傷口が腐り始めたんです」
「じゃあ、傷は? 塞がったわけじゃないんだろ?」
「えぇ、浅いながら傷はあります。神聖魔法には回復の術がありませんから」
「そか。じゃあ、俺が植物の精霊魔法で癒してやるよ。今行使してるのも植物の精霊だかんな」
と、そこに陸王の乱暴な声が響く。
「そんな悠長なこと言ってていいのか? お前らはこの男を助けたかったんじゃなかったのか。どうでもいいなら、妖刀を奪うために殺すが?」
「ちょっと待てよ、陸王!」
雷韋が大声を上げた。
「勝手に殺すな! 助かる可能性は充分にあるんだ」
「なら、さっさとしろ」
雷韋は陸王を睨み付けたが、陸王はどこ吹く風だった。呆れたように雷韋を見つめ返している。それに、紫雲も楽観的な雰囲気ではない。
陸王と雷韋のお陰で男は捕らえることが出来た。しかし、本題はこれからだ。男を呪いで縛り付け、操っているのは妖刀だ。ようやく目に出来た。今は己の小さな怪我よりも、妖刀をなんとかするのが先だった。
紫雲は男に向き直って、地面に囚われている姿を目にする。未だに暴れる気配のある男の脇に膝をついてしゃがみ込むと、妖刀を握っている手に掌を翳そうとしたが、それは突然のことだった。
どこからか何かが伸びてきた。それが何者かの手だと認識したときには、男の手から妖刀はなくなっていた。
三人の視線が上向くと、遠目の木の上に男と女がいるのに気付く。彼らは人の姿をしているが、人ではない。人であったなら、離れた場所から手を伸ばして妖刀を手に出来るわけがないのだ。
それ以上に、魔族の気配がひしひしとする。それを陸王と紫雲は感じていた。
妖刀を持っているのは女だったが、すぐに男に渡す。その二人の頭髪の色は薄茶だったが、瞳は血を滴らせたように紅い。
魔族だ。
「残念だが、これは俺達が貰い受ける」
「貰い受ける」
男が言うと、その言葉尻を女が楽しげに復唱した。
「手前ぇら、魔族か」
陸王が詰問調に言うと、二人はくすくすと笑い合った。
「生体波動を感じてきてみれば、あいつがいなくてお前ら三人がいた。おい、
「どこだい?」
さっきと同じように女が復唱する。
その言葉に、陸王は懐から
「あの胸くその悪い魔族なら、これだ」
「核か。へぇ、あいつを核にして、俺達を呼び寄せたのか」
「だったらなんだ。お前らだろう、妖刀を操ってるってな魔族は。妖刀を手にして意識を奪われることもないのがその証左だ」
それを聞いて、男は目も口も弓のように撓らせて邪悪に嗤った。
「この刀、どこで作ったか知りたくないか? いや、もう知ってるよな、お前は」
その言葉に、陸王は苦しげに顔を歪ませる。
「陸王さん、何か知っているんですか」
今度は紫雲が陸王に詰問調になった。が、陸王は答えない。代わりとでも言うかのように、男が言う。
「一部の魔族はお前を狙って琉球から北上していった。そのほかは雑魚の寄せ集めだった。ただ人が存分に喰らえると煽ってやったら、日ノ本に渡っていった。なぁ、お前だろう? 陸王って奴は。手に持ってるその石塊のそいつは何を喋った? どうせ碌々説明も出来なかっただろうなぁ。馬鹿だから。雑魚だから。だからそんな姿になった。まぁ、俺達もそいつの生命波動を辿ってここまでやってきたわけだが。何せ、陸王が見つかったって連絡だったからなぁ」
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