第十二章

激突 一

 陸王りくおうは雷韋を休ませ、紫雲しうんと交代で朝を迎えた。そしていつもと変わらず、陸王は雷韋らいの頭を引っ叩いて無理矢理起こす。


「もう陽が昇ってるぞ。起きろ」

「ん~。昨日、夜遅かったのにぃ~」


 小さな子供がむずがるように、雷韋は寝っ転がったまま文句を口にした。


「文句言ってねぇで、さっさと起きて飯を食え」

「ちぇっ。やっぱ陸王は陸王だな」

「なんのことだ」

「ん~? 紫雲とは違うって事」


 雷韋の口から突然でた自分の名に、紫雲は驚いた顔を見せる。


「私がなんです? 特別何かありましたか?」

「だって、昨日は陸王がいなくて紫雲だけだったからさ、思いっきり寝かしてくれたじゃん。俺の目が醒めるまで」

「あれは別に……。それに君はわざわざ起こさなくとも、一時課いちじか(午前六時)の鐘で目を醒ましていたじゃありませんか」

「ゆっくり眠れたからだよ。ただ、まぁ、陸王が傍にいなかったからってのもあるけどさ」

「あぁ、対が傍にいるとゆっくり眠れるというあれですね?」

「うん、それもあるけどさぁ。でも、やっぱゆっくり眠ったからってのは大きいと思うんだ、俺は」


 それを聞いて、陸王は冷めた目で雷韋を見た。


「なら、ここで寝ているか? 置いていってもいいならそうするが?」

「そんなのあんまりだ~!」

「煩ぇサルだな」

「もう! いいよ、もう起きちゃったから」


 不貞腐れたように言って起き上がる。そして、荷物袋の中から干し肉を取り出すと、それに食らい付いた。


「結局、置いて行かれるのは嫌なんだろうが。だったら文句に労力割いてねぇで、始めから言うことを聞け」


 陸王も陸王で、毒づくのを忘れない。


 紫雲はそんな二人を見て、やれやれと言った風に首を振っていた。


 そんな騒がしい朝だったが、それでもなんとか出発という段取りになる。


「陸王、今日もこのまま東に向かうのか?」


 木々の合間から差してくる陽の光に手を翳しながら雷韋が問う。


「いや、少し北に行ってみようと思ってる」

「そう言えば、あの村から見て、こちらは北東に位置しますよね。夜はどう道を辿ったか分かりませんが」


 紫雲が言うと、


「道をたがえていなけりゃ、夜は東に向かったつもりだったがな」


 陸王はそう曖昧に答えた。


 普通、夜では位地の関係はほとんど分からない。手がかりは月だけだ。星の海は夜ごとに姿を変える。しかし魔族には、月の加減が分かる。だから紫雲には『向かったつもりだった』と曖昧に答えるにとどめた。だが、昼間なら太陽の位置で方角は分かる。森の中とは言え、はっきりと影が出来るからだ。


 その影と肌感覚での時間、その時間の太陽がある位地から陸王は北を割り出して、食事のあと進んでいった。


 水はこのまま黙って進んでいっても、誰の水袋を見ても三日ほどは保つだろう。足りなくなりそうな気配があれば、また雷韋に水脈を探させることにはなるが。


 陸王は今回の道行きで、なんとか魔族か妖刀を持った人間に出会でくわすことになればいいがと考えていた。日数的にも、いい加減、遭遇してもおかしくない日が経っているのだ。向こうだって動いている。それも陸王達が闇雲に歩いているのと違って、核の生体波動を頼りに正確にこちらに向かってきているのだ。本当に、そろそろ出会してもおかしくない。


 北へ向かって歩き続け、その間、雷韋は精霊の唄を歌っていた。例の鼻歌だ。だが、それは昼を過ぎたところから止んでいる。昼休憩を取らぬまま歩きながら食事を摂ったが、陸王は雷韋が何かを嗅ぎつけていると信じて、ある地点で少年に問うた。


「雷韋、精霊の状態はどうなんだ?」

「落ち着かない。暫くずっと落ち着いてない」

「どんな風に」

「なんだろう。嫌な感じがする」

「ってことは、魔族か妖刀か。お前の『嫌な感じ』ってのは当たるからな」

「俺だって当たって欲しくて言ってるわけじゃないよ」


 ぷいっとそっぽを向いて呟く。


 が、陸王はそんな雷韋を肩越しに見遣って言う。


「誰が責めた。お前の直感を信じてるだけだ」


 そこまで言って、ふと陸王は足を止めた。そして、やや斜め後ろにいる雷韋の前に腕を翳して制止させる。


「何? どうしたんだ?」


 僅かな驚きを交えて雷韋が問う。


 陸王が何かに気付いたのと同じように、紫雲は辺りの気配を探っていた。その右手に、腰に携えていた鉤爪は既に嵌め終わっている。いつでも攻撃、迎撃が出来るようになっていた。


「雷韋、腕を傷つけておけ。万が一にも魔気まきを食らったら一発だぞ」


 陸王が吉宗の柄に手を乗せながら促した。


 それを聞いて、慌てて火影を召喚すると雷韋は両の二の腕を切り裂いた。


 途端、陸王は軽い目眩を覚えた。鬼族特有の血の匂いに酔いそうになったのだ。とは言え、外だからまだましだった。宿で嗅いでいたときには酔いすぎて体調を崩したが、外であることで空気の対流もある。あのときと比べたらなんと言う事もない。


 それより今は辺りの様子に注意した方がいいと、即座に周囲に気を馳せた。


 と、草擦れの音がした。この辺りは下生えの高さはないが、藪が多い。その音は丁度、一定間隔で鳴っているように聞こえた。藪を何かで叩いているような音にも聞こえる。


 それが遠くから近づいてきた。


 やがて遠目に姿を現したのは、一人の男だった。目が虚ろで妙に痩せた男だ。片手には抜き身の刀を持っている。その男が藪を刀で斬り付けて近づいてくるのだ。


 まるで、藪に覆われた自分の目の前に道でも作るかのように。


 男がどこからどのようにここまでやってきたかは知らないが、唇は乾燥して皮が剥けてぼろぼろになっている。それに、元々が痩せていたわけではないのか、身に着けている革鎧もその下に着ている布の服も、奇妙なほどぶかぶかになっていた。


 手に持つ刀──おそらくそれが妖刀──の仕業だろう。


 男は元々、立派な体躯をしていたのだろう。上背もそこそこある。それが妖刀に精気を吸い取られてか、身体についていたはずの筋肉は見事なまでにしぼんでしまっていた。頬もけて、目など落ちくぼんでしまっている。


 男は目の前の藪全てを切り払って、三人の方を向いたまま仁王立ちになった。


「魔族よりも先に、まずは妖刀か」


 陸王が呟いて、一歩前に出る。吉宗の刃はとうに抜き払っていた。だが、その陸王を雷韋が止めた。


「待てよ。あんた、何する気だ。斬り合いなんていらないんだぞ」

「本当にそう思うか?」


 陸王は男の虚ろな眼差しを受けながら言う。


 男の眼差しにはなんの感情も見られなかったが、不意に陸王に焦点を合わせた。合わせたかと思えば、いきなり突っ込んできたのだ。


 それを陸王が迎え撃つ。


「陸……っ!」

「待って、雷韋君!」


 陸王をとどめようとした雷韋を、逆に紫雲がとどめる。


「紫雲! なんでだよ」

「少し様子を見てみましょう。雷韋君が精霊魔法エレメントアで捕らえられる動きをするかどうかを」


 雷韋はその言葉に眉根を寄せた。


「人の動きなんて、大概決まってるよ。どんなに激しく動いたとしてもさ。俺はその動きの先を予測して術をかけるだけだ。なんにも難しいことはないよ」

「相手は妖刀を持っているんです。妖刀があの人にどんな動きをさせるか」


 二人が言葉を交わしている先で、陸王は既に男とぶつかっていた。


 陸王と男は鍔迫り合いを演じている。男の方が僅かに背も低く、妖刀に精気を吸われているせいで筋肉が萎んで腕も細い。陸王は、間違っても押されるわけがないと思っていた。


 ところがだ、間近で見た男は異様な熱気に包まれている。酷く興奮して落ちくぼんだ目も血走り、息遣いも荒い。そして、鍔迫り合いになっている陸王の方が押され気味だった。それはおそらく妖刀の与える力のせいだろう。本当なら今の男の力では押すどころか、逆に押されて地面に組み伏せられているはずなのだ。ところが、そうなっていない。

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