三人三様の当事者 四

 陸王りくおうは嘆息をついてから、二人に問うた。


「ここに来るまで、魔族には遭わなかったか?」

「いえ、ここに来るまで、誰にも出会いませんでした。やっと出会ったと思ったら、それは貴方で。驚き半分という感じですよ」


 肩を竦めながら紫雲しうんが答える。


「ま、そいつに限っては雷韋らいにもよくわからんらしいから、言ってもしゃあねぇ。だが、ほかに異常はなかったんだな」

「えぇ」

「なら、こっちの話をするか。昨日の夜、魔族三匹と出会でくわした。下等な魔族だったんで、言葉も碌に話せない奴らだったが、おそらくは俺の持っている核に引かれてやってきたんだろう」

「三匹? 全部、貴方一人で始末したんですか?」


 慌てたような口調に、陸王は笑う息を吐き出した。


「そんなもん、まさかだ。ただ、中の一匹だけ動きの鈍いのがいたから、そいつの核を壊そうとしたが、肉体を爆発させた隙に逃げられた。ほかの二匹もその時にな」

「逃げた? ほかの二匹もほぼ何もせずに逃げたんですか?」

「まぁ、そうだな」


 内心で、陸王はしまったと思った。魔族が碌々ろくろく手も出さずに逃げたのは、陸王の放つ魔気の方が強かったからだ。つまり、強い魔気に気圧されて逃げ出したのだ。陸王が人族であればあり得ないことだ。三匹もの魔族が碌々手も出さなかったお陰で、陸王は擦り傷一つ負っていない。またそれも、人族でなら妙な話だ。どんなに弱々しい魔族でも、ほかの種族に対して害する本能を持っている。結果、逃げたとしても、その前には必ずしつこい襲撃があるはずなのだ。その際、怪我を負うことが多い。


 紫雲が内心で持っただろう疑念を払拭するように、陸王は言葉を続けた。


「そこそこ暴れていったが、幸いにも怪我はしなかった」

「それは、本当に幸いなことでしたね」


 口では幸いと言うが、紫雲はどこか納得しかねている風に頷く。


 しかし、それに肯定感を表したのは雷韋だった。


「陸王はずっと前にも戦場で湧いた魔族を殺してる。全部陸王だけでってわけじゃなさそうだけど、それでも最後に一人だけ生き残ったって。それだけ陸王が強いんだよ」


 頭の後ろで手を組んで、うんうんと頷きながらの言葉。


 それを聞いて、陸王は苦笑した。


「あのときは心身共にぼろぼろになったが、なんとか生き残ったっけな。振り返れば七日七晩、魔族を殺しまくった。それでも下級の核のないものだったから、なんとかなったが、核のあるのが出てきていたら流石にどうにかされただろう。結局、全て斬り伏せたと気付いたのは、襲撃から八日目の朝だったっけな」


 昨日、陸王自身からも聞かされてはいたが、そこまで激しく戦ったのかと、その信じられない出来事に紫雲は驚きを隠せずにいた。


 その様子に、雷韋も頷いている。


「俺もその話聞いたときは信じらんなかったけど、実際、陸王は生きてこうしてるし、信じるしかないよな」

「ですが、魔族が人族の前から逃げてしまうものでしょうか」

「実際に逃げてんだから、どうしようもないだろ。核になった魔族は陸王から逃げられなかった。そこんとこは見てたよな?」


 雷韋が呆れるように紫雲に問うと、紫雲はそれに頷きを返した。実際、陸王が魔族を捕らえているのを見たし、その上で神聖魔法リタナリアいましめてから核を取り出したのだ。


 それらのことから紫雲の中で、陸王の技量がとてつもなく高く想定される。


 陸王は多少暴れたと言っていたが、それもどの程度なのか分からない。ここは襲われた場所ではないのだろうから。


 紫雲はそんな事をじっと沈思した。


 その紫雲に、不思議そうな雷韋の声がかけられた。


「紫雲? 何考えてんだ?」

「あ、いえ。陸王さんは魔族が『そこそこ暴れ回った』と言っていたのが気になって。どの程度の暴れようだったのか知りたかったな、と」

「そっかぁ。でも、陸王は怪我の一つもしちゃいないみたいだし、暴れたって言ってもたかが知れてるんじゃないか? な、陸王」


 雷韋にそう簡単に振られて、陸王は皮肉げに笑って肩を竦める。


 だが、それに憂慮を見せたのは紫雲だった。


「そうなのかも知れませんが、怪我の一つも負っていないのは」

「そんなに気にすんなよ。侍の剣技はこの世で最高だって言うだろ?」


 雷韋は気易く言って、紫雲の胸をとんとんと軽く拳で叩いた。それから陸王に顔を向ける。


「陸王はここで何してたんだ? あんたの足なら、もうちょっと先まで行ってるかなぁと思ったけど」

「お前らがあとから来ることも分かっていたし、昼間より夜の方が魔族も動くと思ってな。ここより少し先で身体を休めてた。ここまできたのはお前らの声が聞こえた気がしたからだ」

「じゃあ、結構丁度よかったんだな。あんたが休んでてくれたお陰で、合流することも出来たし」

「まぁな」

「そんじゃ、合流したって事で早速しゅっぱ~つ、……と言いたいとこだけど、少し休ましてくんね?」


 片腕を振り上げて、下ろす前に急に力なく言う。


「それは構わんが、どうした」

「ん、俺と紫雲、ほとんど休みなく走ってきたからさぁ。駆け足だったから、食うものも食わなかったんだ」

「あ? お前、いつ起きた」


 陸王が怪訝そうな声を出す。


「今日の朝。一時課いちじか(午前六時)の鐘で目が醒めたって感じ」

「宿で飯は食わなかったのか?」

「食ってねぇけど?」

「馬鹿が。折角まともな食い物が食える機会だっただろう。何してやがる」

「んなこと言ったって、あんたのこと心配だったし、実際、魔族にも襲われてたじゃん。あんたに何かあったら、俺だって困る。だから、大急ぎできたんだ。んなわけで、朝も昼も食ってない。荷物袋の中には干し肉の束が入ってたけどさ」

「あぁ、そいつは俺が入れといたんだ」


 陸王は呆れた風に髪を掻き上げて言う。


「うん。だからさ……」


 そこまで言って、雷韋はその場に座り込んだ。そして続ける。


「今、ここで食おうかと思って。休憩も取りたいし」


 ほら、あんた達も座れよ、と言いながら、雷韋は腰に提げた荷物袋の中から干し肉の束を取り出した。


 紫雲はその言葉に、肩から力を抜く。陸王と合流できた上に、雷韋が不満も言わずにいつも通り干し肉を囓り始めたのを見て、気が抜けたのかも知れない。雷韋に続いて腰を下ろした。


 まだ突っ立っているのは陸王だけだ。座った二人を呆れ顔で見ている。


 その陸王の眼差しを無視するように、


「折角のまともな飯の機会だったけど、やっぱ急いで追っかけてきてよかったと思う。夜に魔族が出たって事は、ここら辺にもなんか出るかも知んないし。昨日は弱い魔族だから助かったけど、今夜はどうなるかな?」


 雷韋は干し肉を囓りながら、真剣そうな声音で言った。


 陸王も嘆息をつきながら、その場に腰を下ろす。紫雲も早々に干し肉を囓りだしているし、陸王も荷物の中から干し肉の束を引っ張り出した。


 僅かばかりの間、場がしんとなった。それぞれが堅い干し肉を囓っているからだ。雷韋が喋らないと、やはり場が静かになる。陸王は特に話したいと思うこともないし、雷韋に話しかける用事もない。紫雲に対しては、なるべく口を開きたくない心境なのは変わらない。それどころか、紫雲とは必要最低限でいいと思っている。特段、話したいことだってない。陸王と紫雲の間で共通しているのは、妖刀だけだ。ほかには何もない。


「なぁ」


 と、突然、雷韋が声を上げた。口の中にはふやかしている最中の干し肉が入っている。


「なんだ」


 突っ慳貪に陸王が答える。


「魔剣ってさぁ、陸王の持ってる核に引かれてこっちに向かってるんだよな?」

「そのはずだ。妖刀を操る魔族は、仲間だと勘違いしているかも知れんが」

「じゃあ、魔剣を持ってるのは人間なのかな? それとも魔族なのかな? 魔剣を操る魔族がいるって言ってたろ? どっちが持ってくるのかな? それによっては戦い方も変わってくると思うし」


 その疑問に答えたのは紫雲だった。


 妖刀を所持しているのは人間だろうと、彼は言った。


 これまでずっと人間が持ち、精気を抜かれて干からびた屍が見つかっている。発端はイアークの王都にある大聖堂でミサを行っていた時だという。ミサで人々が集まっている中に、妖刀を手にした男が現れ、大勢を傷つけた。刀傷で殺された者も多かったが、傷つけられた者の中にも死に至った者達がいたのだ。精気を抜かれて干からびた状態となって。当初、使われたのがまさか妖刀だとは思わなかったらしいが、怪我を負った者達の傷口が腐っていたことや死者の中に精気を抜かれたものがいたことによって、初めて呪われた器物で襲われたのだと気付いた。妖刀と判別出来たのは、目撃者の言葉からだ。その時には既に凶刃を振るった男の姿はなくなっていたが、各地の寺院から修行モンク僧が集められて、妖刀消滅の命が下されたのだ。


「妖刀が初めてイアークの王都に現れたときから、ずっと人間の身体に持たせていましたから、今更それをやめるとは思えません」

「そっか。ミサの中に乱入したんだ」


 雷韋が小さく呟いた。この話はこれまでになかったからだ。雷韋が聞いていた範囲でも、ただ『恐ろしいことが起こった』としか聞かされていなかった。

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