三人三様の当事者 三

 翌朝、雷韋らいは珍しくも一時課いちじか(午前六時)の鐘と共に目覚めた。


 紫雲しうんが鐘の音と共に身体を起こすと、雷韋も遅れてもそもそと身体を起こす。


「雷韋君、目が醒めましたか?」


 紫雲が問うと、雷韋はまだ半ば寝惚けているようだったが、声を返してきた。


「あ~、うん。なんか目が覚めた」


 言いながら、猫が顔を洗うように雷韋も目元を擦る。


「なんか、久しぶりにゆっくり寝たような気がするなぁ」

「随分と眠っていましたからね。昨日のお昼くらいからずっとでしょう? もしかして、このまま目が醒めないんじゃないかと心配してました」

「え? 今って何時だ?」

「さっき、一時課の鐘が鳴ってましたよ。私はそれで目が醒めたんです」

「一時課の鐘か。すっごく健康的に起きたんだなぁ。いつもは陸王りくおうに引っ叩かれて起こされてたのに。ふぅん。そう言えば、鐘の音が聞こえてたかもな」


 あくび交じりに言って雷韋は頭を掻くが、さっきから陸王の声がないことに気づき、


「陸王はまだ寝てんのか? 珍しいなぁ」


 そう言って、大部屋の中をきょろきょろと見回した。


「陸王さんなら、昨日のうちに発ちましたよ」


 紫雲はどこか苦しげに言う。一人で行かせたことを後悔しているのだ。その気持ちと共に、雷韋に昨日の遣り取りを話して聞かせた。すると雷韋は、慌てて寝台から飛び降りた。そして身仕度をし始める。


「なんでそんな大事なこと言わないのさ。夜中、陸王が魔族とかち合ってたらどうするつもりだよ」


 髪に櫛を通したが、毛先の方でだまになっている髪を苛立たしげに持て余しつつ、そのまま纏め上げて急いで結い紐で結う。


 紫雲も寝台から下りて、身仕度をし始めた。


「ですが、君があまりにも辛そうだったので、仕方なく昨日は」

「俺の事なんてどうにだってなる! それよか陸王だよ、陸王」

「陸王さんは、君なら彼の居場所が分かると言っていましたが、それは本当ですか?」

「うん、本当。なんでか俺にも分かんないんだけど、陸王の気配が分かんだ。独特な気配って言うか、なんて言うか」


 服を乱暴に着ながら答え、それから顔を洗う。続けて紫雲も顔を洗った。手拭いで顔を拭いて、一応、二人ともほぼ支度は出来た。


「雷韋君、食事はどうします?」

「そんなもん食ってる場合じゃないって! 今は陸王のあとを追うのが先」


 行こうぜ、と雷韋は乱暴に言って部屋を出た。雷韋も紫雲も、部屋を出ながら外套がいとうを羽織る。そして階下へ下りて、すぐに紫雲は部屋の鍵を起きてきたばかりの店主に返し、宿をあとにした。


 宿を出てから雷韋は、辺りの匂いを嗅ぐようにして鼻をすんすんと鳴らしている。


「何をしているんです?」

「気配の匂いを探してんの」

「気配の匂いとは?」


 不思議そうな顔で問うも、当の雷韋は真剣だった。


「言葉の通りだよ。気配が匂うんだ」


 そう言われても、紫雲にはぴんとこない。言っている雷韋にだって、わけが分からないのだから、それは最早分かりようがなかった。


 兎に角、匂いがあるのだ。そうとしか言えない。


 その気配の匂いを空気中に求めて、雷韋は宙を探し回る。


 と、かなり薄くはあるが、知っている匂いがあった。匂いと言うよりも感覚といった方がいいのだが。


「紫雲。陸王のいる方角がなんとなく分かったぞ」

「本当に?」

「間違いない。これは陸王の気配の匂いだ。すんごく遠くにいるみたいだけど、なんとか追っかけるしかない」

「君に陸王さんの居場所が分かるのなら、案内してください。彼は私にはどこへ行くともなんとも言っていなかったので」

「ん。こっち」


 言って、雷韋は方角としては北東の方向へ向かったが、間に畑があるので畑を避けるようにして走って行った。


 畑が終わると、その先には林が待っている。林がいつの間にか森に変じた。


 雷韋は森に入ると、時折立ち止まっては空間の匂いを嗅ぎながら再び走り出す。


 その途中で紫雲は雷韋に尋ねた。


「本当に陸王さんはこっちに?」

「うん、間違いねぇよ。この先からずっと陸王の気配が匂ってきてる」

「その『気配が匂う』というのがよく分からないんですが」

「ん~、感覚だよ。それ以上は俺にもよく分かんね。兎に角さ、気配が匂ってるんだ」

「はぁ」


 雷韋にもよく分からないことが紫雲に分かるはずもなく、兎に角二人は走り続けた。正確には雷韋が陸王の気配を辿って進むのに、紫雲がついて行っているという感じだが。


          **********


 もう陽も暮れようかという頃だ。


 木々の合間から覗く空は真っ赤に燃えている。それに比して森の中は暗くなっていた。


 ついさっきまで休んでいた場所を振り返りながら、陸王は根源魔法マナティアの光の球をあらわす。


 陸王は昼下がり辺りからついさっきまで、浅い眠りの中にいた。魔族が動くとすれば、夜が相応しいからだ。


 別に魔族が昼間を苦手としているわけではないが、やはり月が昇っている方が身体は動きやすい。


 月は魔族を支配しているものだからだ。


 だから陸王も気を抜けば、魔族の本能を月のもとに晒してしまいそうになる。一番現れ易いのはやはり紅い瞳だろう。常には濃い血の黒い瞳だが、それが鮮血の色になりそうになる。上弦の月と満月は、その可能性を僅かながら上げてしまうものだ。ただ陸王の場合は高位故に、簡単には魔族のさがを現したりしないが。それでも夜は、昼間に比べれば動きやすくはある。こればかりは生物としての本性だからどうしようもなかった。


 そんな事をつらつらと頭に思い浮かべながら、先を急ごうとした。


 と、そこではっとする。人の声が聞こえた気がしたのだ


 暗くなって行くばかりの森の中に光は目立つ。陸王はそれを握り潰した。


 途端、声変わりもすんでいない少年の声が聞こえた気がした。雷韋か? と思うも、似た別の誰かかも知れないと緊張が走る。近くに人の住んでいそうな気配はなかったが、森を抜けたら村があるのかも知れない。


 雷韋を置いてきたあの村のように。


 と、また微かに声が聞こえてきた。その声は、どうやらこちらに近づいてきているようだった。声の聞こえた方向を見てみると、木々の合間に灯りが見える。


 その光はまだ遠くに小さいが、根源魔法の光の球のようにはっきりと明るい。少なくとも、松明の明かりでないことは確かだった。


 雷韋と紫雲が追いついてきたのかと、足を進めてみる。ただし、こちらは明かりはつけない。うっかり人違いであったら拙いからだ。こんな時に魔族と出会でくわしたりなどあれば、巻き込んでしまう。


 今のところ、互いに誰とも知れない。陸王としては、遠くから姿を確認出来ればそれでいい。それが他人であろうが、雷韋達であろうが。後者ならば、堂々と出て行けるのだし。


 その前に、相手があの二人であったなら、夜目の利く雷韋に見つかるかも知れなかった。

 それならそれでいいと思う。


 陸王は気配を殺し、木の陰から光のもとへ少しずつ近づいていった。遠目に、二人の人物が捉えられる。


 片方は随分と背丈が小さい。もう片方は陸王と同じくらいか。


 それはよくよく目をこらして見ると、雷韋と紫雲だった。


「この近くにいる筈なんだけどなぁ。陸王~?」

「雷韋君、魔族もいるかも知れません。あまり声を大きくするのはよくないですよ」

「いや、陸王が近くにいるんだよ。気配が強くなってる」

「ですが……」


 そんな会話が時に大きく、時に小さく聞こえてきて、隠れているのが馬鹿らしくなってきた。だから、こちらも光の球を顕す。


 向こうからも見えやすいように。


 それに気付いたのか、雷韋の声が大きくなる。


「あ、あの光! さっき消えたやつか? おーい、そこいるの、陸王かぁ?」


 なんとも間抜けな問いかけに、陸王は姿を現した。


 呆れ顔をしていると、雷韋の方から駆け寄ってきた。紫雲もそれに続いてくる。


「やっぱ陸王だったんだな。取り敢えずは追いつけてよかったぁ」


 心底ほっとしたように言うが、紫雲は驚き半分の顔をしていた。


「この広い森の中で、本当に陸王さんを捜し当てるなんて」

「だから分かるって散々言ったじゃんかよ。気配の匂いを追いかければ、絶対に陸王を見つけられるってさぁ」


 雷韋は、信じてなかったのかよ、と言った風に紫雲を見上げている。その琥珀の瞳にあるのは不満だった。


 陸王はそれを見て、さもあらんという具合だ。陸王だって驚いているのだ、雷韋のこの能力ちからに。だが、確かに雷韋には陸王のいる場所が分かる。陸王にも不可解なことだが、それは雷韋も同じなのだからしょうがない。事実を事実として認める以外にないのだ。

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