疲労の蓄積 三

 岩陰になっている雷韋らいのもとまで行ってみると、辺り一帯から勢いよく水が湧き出して、すでに一本の流れを作っていた。


「ここが源流だ」


 雷韋は嬉しそうに言って、泉のように少し水の溜まったそこに手を差し込む。


「この水は飲めるのか?」

「うん、飲める。だからこの流れに沿って行けば、きっと村か何かあるはずだ。飲めない水の周りに人が集まるわけないかんな」


 陸王りくおうの問いに対する雷韋の言い分は正しい。飲めない水の周りに集まる者などいない。逆に、飲める水ならば、そこを基点に村や街を作るだろうからだ。


「では、この流れに沿って下っていけば、人がいる場所に出るんですね」

「うん、そだな。どのくらい下ればいいか分かんないけど。何しろ、ここは源流だし」


 紫雲しうんの言葉に雷韋が答えた。それを半ば遮るようにして、陸王が口を開く。


「よし。なら、完全に陽が落ちる前に、行けるところまで行ってみるか」

「なんだよ。陽が暮れてからだって歩けるだろ? 根源魔法マナティアで光の球を出せばいいんだから」


 雷韋はほんのりとねた風に言った。


 だが、それを陸王が蹴る。


「いや、これまで同様、夜は下手に動かん方がいいだろう」

「なんでさ。一気に村まで行こうぜ」


 不服そうに雷韋が唇を尖らせる。


「夜は魔族の時間だ。俺達が近づいているように、向こうも近づいてくる。核から発される生体波動を感じながらな。村に辿り着いたとして、魔族を誘い込むことは出来ん」


 この、と言ったところで、陸王は懐から核を取り出した。


 その見た目は、ただの石塊いしくれだ。この辺りにならどこにでも落ちていそうな石塊。だが、これは真円だった。角などどこにもなく、ただ丸い。直径は五センチほどだ。中位から下の魔族は、体内にこの核を持っている。


「ん~、じゃあ、動くのは陽のあるうちだけか?」

「そうだ。人が活動している時間なら、例え村に魔族が現れたとしても、村の者達は逃れることが出来るだろう。今はまだ陽の光がある。今のうちなら動いても大丈夫だ」


 陸王と雷韋の会話のあとで紫雲が口を開いた。


「では、早速出発しましょう。陽があるとは言っても、そう遠くまで行くことは出来ないと思いますが」


 その紫雲の言葉を無視するように、陸王は歩き出す。


 歩き出した陸王の背中を見てから雷韋は紫雲を見た。


「なんだろうなぁ、陸王」


 その言葉に紫雲は苦笑する。


「嫌われていますから」

「嫌うことないと思うんだけどなぁ。あんた達、俺がいなかったらきっとばらばらだな」

「そうですね。……さ、行きましょう。置いて行かれてしまいます」

「うん。行こう、行こう」


 雷韋は頭の後ろで手を組み、大きく頷いた。


 流れに沿って歩き出したが、陽はあっという間に落ち、やっと川べりらしくなってきた場所で野営することになった。


 たきぎになる枝の切れ端や落ち葉を集め、それに雷韋が火の精霊を操って火を点ける。けれども、掻き集めてきた枝の切れ端や何かだけでは燃やす材料としては足りず、結局は雷韋が火影を召喚して火の中に放った。


 火の精霊がこごった武器故に、火影から火を出すことは容易い。刃は伸縮自在だから一番短くした。それでも三〇センチほどの長さになる。


 今夜は火影で灯りを得て過ごそうというのだ。


 雷韋は荷物袋の中から、最後の一枚になった干し肉を取りだした。


「俺、これが最後の干し肉だ~。陸王と紫雲はまだ保つか?」

「俺もこいつが最後だ」


 陸王は手に持った一枚をひらひらさせながら言う。


「陸王も最後かぁ。んじゃ、紫雲は?」

「あと一枚だけ残っています。明日、三等分にしましょう」


 それを聞いた瞬間、陸王は断言した。


「いや、二等分でいい。お前らが食え」

「え? じゃあ陸王はどうすんのさ」


 雷韋が困惑したように陸王に問う。


「明日一日くらいは食わなくても保つ。それに、明日は人里近辺に出るかも知れんだろう。だから心配するな」

「そんなぁ。確かに明日一日歩けば人のいるところに出るかもしんないけどさ、その間、腹は減るだろ?」


 紫雲はそんな雷韋を見遣って、小さく笑った。


「では、私も辞退して、干し肉は雷韋君に譲りましょう」

「紫雲までぇ!? なんだよ、なんだよ。なんの我慢大会だよ」

「我慢大会だなんて。そんな大げさなものじゃありませんよ。明日中に人里に出られるかも知れませんからね。いや、その可能性の方が大きいんじゃないでしょうか。それに寺院では食べられないことは普通ですから。外に出る方が食べられるんですよ、皮肉なことにね」


 そう言って、紫雲は残り一枚を荷物の中から取り出すと、それを雷韋に差し出してきた。雷韋は困惑して陸王を伺ったが、その陸王は顎を煽らせる。お前が受け取れとでも言うかのように。


 雷韋は逡巡したが、結局は受け取ることにした。


「ごめん」


 受け取るとき、小さくそう言った。


 すると紫雲は不思議そうな顔になる。


「何故、謝るんですか? 君は悪いことは何もしていないでしょう」


「いや、飯。みんなの分取っちゃうなって」


 そんな事を言う雷韋を優しい眼差しで見つめて、紫雲は言う。


「今は君が一番辛いときでしょう? 常に水脈を辿るのは難しいことだと思います。その分、疲れも溜まっているはずですし、それに元々が雷韋君は食べ盛りの年頃じゃないですか。だったら今は少しでも食べておかないと」


 言う声音も言葉も酷く優しくて、雷韋は思わず俯いた。そして、ぎゅっと干し肉を握って、小さく礼を言う。


「……ん。あんがとな」


 それから一度小さく頷くと、今度は顔を上げて陸王と紫雲とを交互に見た。


「明日はきっと、人のいるところまで行こうな。保存食とか、そういうの色々買わなきゃだし、それに何より、まともな飯が食いたいから」


 最後には、いつもの裏も表もない子供の笑顔を見せる。


「そうだな」


 陸王もその笑顔につられてか、小さく笑う。その中には苦笑も僅かに混じっていたが。


 それを受けて、


「そんじゃ、飯食ってさっさと寝ちまおうぜ」


 言うが、夜にゆっくり眠れるのは雷韋だけだ。陸王と紫雲には見張りの役割がある。そこを陸王から突っ込まれ、雷韋は「あ、そっか」と口中で呟いて、夕食になる干し肉を囓りだした。


 それに合わせるように、陸王も紫雲も最後の干し肉を囓る。


 雷韋は干し肉を少しずつ囓りながら、「明日は目一杯飯食おうな」とあれこれ料理の名前を口に出す。なかなか腹の減る話題だったが、食糧が尽きているというのに全く暗い雰囲気にはならなかった。


 雷韋の明るさに、陸王と紫雲の二人は救われた気分だった。今の状況は決して明るくはない。食糧も尽き、明日、本当に人のいる土地まで行けるかどうかも分からないのだ。行けると思い込んでいるのは、飽くまでも希望的観測だ。なんの保証もない。なのに不思議と雷韋が明るい話題を口にすると、それがそのまま希望に繋がる気がする。それは雷韋の子供としての純粋さ故だ。いつ魔族が襲ってきてもおかしくない状況下にあって、それでも雷韋は明るさを忘れない。誰よりも魔族を恐れているのは雷韋自身の筈なのにだ。それ以上に、相当の疲労を溜め込んでいる。顔色からもそれは判然としていた。雷韋にとって今の道行きは分の悪い話でしかないのに、それでも雷韋は疲れたなどと言うことはなかった。

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