疲労の蓄積 三
岩陰になっている
「ここが源流だ」
雷韋は嬉しそうに言って、泉のように少し水の溜まったそこに手を差し込む。
「この水は飲めるのか?」
「うん、飲める。だからこの流れに沿って行けば、きっと村か何かあるはずだ。飲めない水の周りに人が集まるわけないかんな」
「では、この流れに沿って下っていけば、人がいる場所に出るんですね」
「うん、そだな。どのくらい下ればいいか分かんないけど。何しろ、ここは源流だし」
「よし。なら、完全に陽が落ちる前に、行けるところまで行ってみるか」
「なんだよ。陽が暮れてからだって歩けるだろ?
雷韋はほんのりと
だが、それを陸王が蹴る。
「いや、これまで同様、夜は下手に動かん方がいいだろう」
「なんでさ。一気に村まで行こうぜ」
不服そうに雷韋が唇を尖らせる。
「夜は魔族の時間だ。俺達が近づいているように、向こうも近づいてくる。
この、と言ったところで、陸王は懐から核を取り出した。
その見た目は、ただの
「ん~、じゃあ、動くのは陽のあるうちだけか?」
「そうだ。人が活動している時間なら、例え村に魔族が現れたとしても、村の者達は逃れることが出来るだろう。今はまだ陽の光がある。今のうちなら動いても大丈夫だ」
陸王と雷韋の会話のあとで紫雲が口を開いた。
「では、早速出発しましょう。陽があるとは言っても、そう遠くまで行くことは出来ないと思いますが」
その紫雲の言葉を無視するように、陸王は歩き出す。
歩き出した陸王の背中を見てから雷韋は紫雲を見た。
「なんだろうなぁ、陸王」
その言葉に紫雲は苦笑する。
「嫌われていますから」
「嫌うことないと思うんだけどなぁ。あんた達、俺がいなかったらきっとばらばらだな」
「そうですね。……さ、行きましょう。置いて行かれてしまいます」
「うん。行こう、行こう」
雷韋は頭の後ろで手を組み、大きく頷いた。
流れに沿って歩き出したが、陽はあっという間に落ち、やっと川べりらしくなってきた場所で野営することになった。
火の精霊が
今夜は火影で灯りを得て過ごそうというのだ。
雷韋は荷物袋の中から、最後の一枚になった干し肉を取りだした。
「俺、これが最後の干し肉だ~。陸王と紫雲はまだ保つか?」
「俺もこいつが最後だ」
陸王は手に持った一枚をひらひらさせながら言う。
「陸王も最後かぁ。んじゃ、紫雲は?」
「あと一枚だけ残っています。明日、三等分にしましょう」
それを聞いた瞬間、陸王は断言した。
「いや、二等分でいい。お前らが食え」
「え? じゃあ陸王はどうすんのさ」
雷韋が困惑したように陸王に問う。
「明日一日くらいは食わなくても保つ。それに、明日は人里近辺に出るかも知れんだろう。だから心配するな」
「そんなぁ。確かに明日一日歩けば人のいるところに出るかもしんないけどさ、その間、腹は減るだろ?」
紫雲はそんな雷韋を見遣って、小さく笑った。
「では、私も辞退して、干し肉は雷韋君に譲りましょう」
「紫雲までぇ!? なんだよ、なんだよ。なんの我慢大会だよ」
「我慢大会だなんて。そんな大げさなものじゃありませんよ。明日中に人里に出られるかも知れませんからね。いや、その可能性の方が大きいんじゃないでしょうか。それに寺院では食べられないことは普通ですから。外に出る方が食べられるんですよ、皮肉なことにね」
そう言って、紫雲は残り一枚を荷物の中から取り出すと、それを雷韋に差し出してきた。雷韋は困惑して陸王を伺ったが、その陸王は顎を煽らせる。お前が受け取れとでも言うかのように。
雷韋は逡巡したが、結局は受け取ることにした。
「ごめん」
受け取るとき、小さくそう言った。
すると紫雲は不思議そうな顔になる。
「何故、謝るんですか? 君は悪いことは何もしていないでしょう」
「いや、飯。みんなの分取っちゃうなって」
そんな事を言う雷韋を優しい眼差しで見つめて、紫雲は言う。
「今は君が一番辛いときでしょう? 常に水脈を辿るのは難しいことだと思います。その分、疲れも溜まっているはずですし、それに元々が雷韋君は食べ盛りの年頃じゃないですか。だったら今は少しでも食べておかないと」
言う声音も言葉も酷く優しくて、雷韋は思わず俯いた。そして、ぎゅっと干し肉を握って、小さく礼を言う。
「……ん。あんがとな」
それから一度小さく頷くと、今度は顔を上げて陸王と紫雲とを交互に見た。
「明日はきっと、人のいるところまで行こうな。保存食とか、そういうの色々買わなきゃだし、それに何より、まともな飯が食いたいから」
最後には、いつもの裏も表もない子供の笑顔を見せる。
「そうだな」
陸王もその笑顔につられてか、小さく笑う。その中には苦笑も僅かに混じっていたが。
それを受けて、
「そんじゃ、飯食ってさっさと寝ちまおうぜ」
言うが、夜にゆっくり眠れるのは雷韋だけだ。陸王と紫雲には見張りの役割がある。そこを陸王から突っ込まれ、雷韋は「あ、そっか」と口中で呟いて、夕食になる干し肉を囓りだした。
それに合わせるように、陸王も紫雲も最後の干し肉を囓る。
雷韋は干し肉を少しずつ囓りながら、「明日は目一杯飯食おうな」とあれこれ料理の名前を口に出す。なかなか腹の減る話題だったが、食糧が尽きているというのに全く暗い雰囲気にはならなかった。
雷韋の明るさに、陸王と紫雲の二人は救われた気分だった。今の状況は決して明るくはない。食糧も尽き、明日、本当に人のいる土地まで行けるかどうかも分からないのだ。行けると思い込んでいるのは、飽くまでも希望的観測だ。なんの保証もない。なのに不思議と雷韋が明るい話題を口にすると、それがそのまま希望に繋がる気がする。それは雷韋の子供としての純粋さ故だ。いつ魔族が襲ってきてもおかしくない状況下にあって、それでも雷韋は明るさを忘れない。誰よりも魔族を恐れているのは雷韋自身の筈なのにだ。それ以上に、相当の疲労を溜め込んでいる。顔色からもそれは判然としていた。雷韋にとって今の道行きは分の悪い話でしかないのに、それでも雷韋は疲れたなどと言うことはなかった。
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