疲労の蓄積 二
「辛いなら、辛いと言っていいんですよ」
その言葉に、今度はぽかんとした顔になった。
「俺が辛いって言ったら、この旅が楽になるのか? なんねぇよな? だったら言う必要はないよ。そう言ってくれる気持ちは有り難いけど」
「ですが、いざというときに疲れていては出せる力も出せませんよ」
「だったら、宿でも探してきてくれよ」
紫雲は言葉に詰まった。村の気配もないこんな場所に、宿があるわけがないのだ。
困り顔の紫雲に、雷韋は言った。
「出来ねぇこと言うなよ。今は無理をしてでも先に進まなきゃなんないんだからさ」
少しむっとした顔つきになっている。
が、そこで
「だが、雷韋。食糧もそろそろ尽きるだろう。水はお前の精霊魔法でどうにか確保出来ているが。この周辺に人のいる気配はないのか?」
その言葉に雷韋は、ん~と唸りを零して目を瞑る。それから暫く雷韋は精霊の声に耳を傾けていたようだが、ある瞬間、ぱちりと一度瞬きした。
「どうだ」
陸王が問うも、雷韋は首を振った。
「この辺りに人はいないな。でも、この先に川があるから、もしかしたらその川沿いに歩いて行けば村か何かあるかも」
そう言って、雷韋は川のあるという方角を指さした。
「その川ってのは近いのか?」
「ん~、かなり遠いかな? 地下水脈を辿って調べてみただけだから、水源になってるところが分かっただけだし。でも、川の始まりだから、川は川だよ」
「そこまでどのくらいかかる」
「すんげぇかかると思う」
「何日だ」
「いや、そこまで遠くないけど、今日の夜くらいかな?」
宙を見上げて、雷韋は人差し指を顎に当てる。
「ですが、川沿いに歩けば、村か何かに当たる可能性は高いですね」
紫雲も半ば考え込みながら口にする。
その紫雲に雷韋は頷いて続けた。
「人がいる可能性は高くなると思う。その為には一所懸命歩かなきゃ。だから、紫雲」
「はい?」
「飯食っちまえよ。さっきから、干し肉一枚出してないだろ?」
紫雲はそれに苦笑した。
「あぁ、なんだか食欲がなくて」
「嘘だね。ちゃんと腹は減ってる筈なんだ。今は食欲なくても、口に入れたら絶対に食いたくなるから、だからさっさと食っちまってくれ。あんたが食べなかったら、俺も道案内しないぞ」
紫雲に人差し指を突きつけて言う。
「雷韋君」
「ほらほら、食っちまえ。じゃないと、夜までに水場にすら着けなくなる」
そこで雷韋がちらと陸王を見ると、干し肉の最後の欠片を口に放り込むところだった。
「見ろよ。陸王だっていつの間にか飯終わっちゃってるじゃんか。あとはあんただけ」
言われて、紫雲は嘆息をついた。
「分かりました。食べますから、そんなに睨まないでください」
それを聞き雷韋は笑って、
「食うんだな。よぉし」
何故か偉そうに胸を張ってみせる。そのくせ、誰よりも顔色が悪く、誰から見ても本調子でないことは明らかだった。だからと言って、それを指摘したところで状況が変わるわけでもない。それはさっき雷韋自身が言っていたとおりだ。
陸王は、そんな雷韋を早く楽にしてやる方法は一つしかないと思っていた。
魔族と妖刀の始末を素早く終わらせてやることだ。
それを思いながら、干し肉の欠片を奥歯でしっかりと噛み締めた。
**********
紫雲が干し肉の最後の一かけを口に入れるのを雷韋はじっと見ていた。紫雲はじっと見られて食べにくそうにしていたが、全てを口に入れるのを見て、雷韋はやっと満足そうに頷く。頷いて、荷物を持って立ち上がり「行こうぜ」と陸王と紫雲に軽く声をかけた。
この旅に入ってからは、雷韋が先導者だった。水場確保を優先にするため、水脈と言う水の精霊の気配を読みながら道を進まないといけなかったので自然とそうなった。これまでは陸王が先を選んでいたのを、この二週間ばかりは雷韋に譲っていたのだ。
雷韋はよく水の精霊を追っていた。道中の水不足を解消するように、飲める水場などもよく探し当てて。
その代わり、道中からは会話はほとんど消えていた。雷韋が精霊を追うのに集中していたために、ほとんど誰も口を開かないからだ。これが陸王が先頭に立った場合、雷韋が適当に話を振ったり、精霊の声を真似た鼻歌を歌っているところだが。
けれどこの二週間、雷韋は水の精霊の気配を追うのに手一杯で、昼間は鼻歌を歌うどころではなかった。水の精霊は水脈となって地下深くにある。それを見逃すわけにはいかない。しかも雨の日ともなれば、辺りは水の精霊の気配で一杯になり、地下水脈を追うことが出来なかった。そんな日は雷韋の賑やかしい他愛のない話で一杯になるか、精霊の唄を雷韋が歌うかのどちらかになる。
陸王と紫雲の会話はほとんどなかった。
雷韋はそれを、まだそれぞれの立ち位置が決まっていないからだと思っていた。
実際、そうなのかも知れなかった。出会って、一緒に旅をするようになって日が浅すぎる。互いに人となりすらよく分かっていないのだ。
だが、種族的なこともあり、陸王は紫雲を蛇蝎の如く嫌っている。そこに人となりを知るなど全く関係がなかった。何しろ、敵対する者なのだから。
陸王の、本来なら魔族特有の血を滴らせたような紅い瞳は、濃い血色のせいで黒く見える。だから今はまだ、陸王が魔族だと言うことを知る者はいない。知られたらただではすまないだろう。
特に
そんな事を考えながら、陸王は雷韋のすぐ後ろを歩いていた。雷韋も時々、地に手をついたりしながら進んでいく。その雷韋に紫雲が折を見て「どうです?」と声をかけ、雷韋もまた「時々、精霊の気配が消えたりするから困るんだよなぁ」などと返したりしていた。
そうやって雷韋が水の精霊の位置を確認しつつ森の中を歩いて行くと、やがて辺りが開けて明るくなってきた。森がいつの間にか林に変わっている。そこまできたとき、雷韋が二人を振り向いた。
「この近くに水源がある。水の精霊が沢山漂ってるよ」
嬉しそうに言って、そのまま雷韋は駆け出した。
「おい、雷韋」
「雷韋君!」
二人とも雷韋の背中に声をかけたが、少年の姿はすぐに林の中へと消えて行ってしまった。完全に姿を見失う前にと、彼らも雷韋の消えた方向へとすぐに走り出す。
だが、辛うじて残照が照らす林の中に、あの小柄な姿はない。光に触れると金糸に見える飴色の髪の輝きも見えなかった。
「雷韋、どこだ」
陸王が声をかけると、声はすぐに返ってきた。
「こっち、こっち~!」
脳天気な声だった。いや、だが、と言うことは、雷韋は水源を見つけたのかも知れない。それでほっとして、あんな脳天気な声を返してきたのかも。
その声のした方に歩いて行くと、苔むした大きな岩がごろごろ辺りに転がっている場所に出た。おそらくは、この岩のいずれかの亀裂から水が湧き出しているのだろう。
「雷韋」
陸王がもう一度少年の名を呼ぶと、ある岩の陰からひょっこり雷韋の顔が覗いた。
「陸王、紫雲! ここ~」
言う雷韋の髪は、残照に照らされて金色に輝いていた。
陸王はその様子に嘆息をついて近づいていく。紫雲もほっとしたように溜息をついていた。
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