疲労の蓄積 四

 雷韋らいはいいだけ喋ったあと、急にその場にこてんと横になった。まだ干し肉は口に咥えている。


「な~んか、怠い~」

「本当にお前は行儀がなってねぇな。飯食いながら横になるんじゃねぇよ」


 陸王りくおうが注意するが、雷韋は起き上がる気配を見せなかった。それどころか、目を瞑ってしまう始末だ。


「ん~、なんか眠い。川が見つかってほっとしちゃったかなぁ」

「それはあるかも知れませんね。ですが、眠るなら食事をきちんと済ませてからの方がいいと思いますよ」


 紫雲しうんにも言われたが、雷韋は「ん~」と鼻を鳴らしただけでそのまま眠りに落ちてしまったようだった。干し肉はあと一欠片ほどだというのにだ。そこまで食べておいて、眠ってしまった。


 それを見た陸王が雷韋の傍に近寄って、


「ったく、しょうがねぇ奴だな」


 そう愚痴をこぼすように言って、最後の一欠片を雷韋の口の中に押し込んでやった。すると、身体の反射なのだろうが、雷韋は干し肉をもぐもぐと咀嚼し始める。


 それを見た紫雲が、苦笑気味に言った。


「今日は随分と疲れたんでしょうね」


 紫雲の言葉を聞きながらも、陸王はそれに対して反応を示さなかった。なんの反応も示さずに、雷韋の外套がいとうを使って、上手く少年の身体を包んでやっている。ヤブ蚊除けのために。


 雷韋の身体を包んでやったあとは元の位置に戻って、残りの干し肉の欠片を再び口に運ぶ。黙々と。紫雲とは視線すら合わせようとしなかった。


 その態度に苦笑を漏らしたのは紫雲だった。


「そんなに私と話したくないですか?」


 それにも陸王は無言を貫いた。


「この三週間ほど、ずっとこんな感じですね。雷韋君を介してしか会話をしていない。それほど私が嫌いですか」


 その言葉に、


「煩ぇぞ。飯を食ったならさっさと寝ろ。今夜は俺が先に歩哨に立つ」


 そう言って、陸王は口が穢れたとでも言うように水袋を呷った。


「そんなに嫌われるようなことを私がしたでしょうか。下衆な詮索ももうしませんし、雷韋君を取ったりもしませんよ。雷韋君にも怒られましたしね。だから、普通に会話くらいは出来ないでしょうか。嫌いは嫌いなりに。お互い、いい大人なんですから」

「煩ぇと言っている」


 陸王は不機嫌に答えて、この会話自体を終わりにするつもりだった。心底、紫雲とは言葉を交わしたくない。


 そんな陸王に紫雲は嘆息をつき、


「はい、分かりました。これ以上、貴方を煩わせません。では、先に休ませて貰います」


 そう言って、外套を身体に巻き付けて横になる。


 紫雲が横になったのをちらと見て、陸王は内心でほっとしていた。面白くもない顔を突きつけ合っているのは苦痛でしかない。起きているのが雷韋ならなんとも思わないが、嫌っている紫雲ともなればさっさと寝入って欲しかった。


 それから暫く時間が経った頃、紫雲からも規則正しい寝息が聞こえてきた。その時になって、やっと陸王の緊張は解けた。刀の手入れでもと思える余裕も出てきた。


 野営を張っているだけに、分解まではしないが、刀身の手入れだけでもしたかったのだ。


 肩にもたせていた刀の刃を引き抜くと、火影の熾す炎を浴びて暖色の光を反射した。それを見るだけで、陸王の中には心地よい緊張が走る。やはり刀の手入れは好きだと思った。刀身を眺めているだけでも気分が落ち着いていく感じだ。


 特に『吉宗』は格別だ。


 神剣であり、意思を持っている。その力は神を屠るとも言われているが、一体どの神を相手にすればいいと言うのか。神を屠るとは少々どころか、不可能だろう。


 この世界を創り上げた原初神である光竜こうりゅうは大地と一体となって、今は眠りについている。この世界に光と闇、昼と夜をもたらした、兄弟神である光神こうじん天慧てんけい闇神あんじん羅睺らごうは天にいると言われている。天と言っても、この世とは次元の違う天上世界だ。この世界を創り上げ、整えた神々は、大昔に地上を人族ひとぞくに譲っている。三柱の神々が地上にいた頃を神代かみよ、地上から姿を消してからは人代ひとよだ。次元も何もかも違う神々相手に吉宗を振るうことはないだろう。そもそも何故、吉宗にそんな謂れがあるのか陸王は知らなかった。ただ、日ノ本を出る際に守り刀として持たされたのだ。


 これまで雇われ侍として、陸王は傭兵のように戦場を渡り歩いてきた。その際、吉宗は陸王が次にどんな動きをしたいのか知っているように、刃を走らせた。これまでにそれで何度も命を救われていることも事実だ。反対に、吉宗が陸王を護るために刃を走らせることもある。全ては吉宗の神意だ。


 神剣だけあって、吉宗の刃はこぼれることはない。刀身に錆が浮くこともなければ、曇ることもない。


 それでも陸王は毎晩のように吉宗の手入れをしてきた。できるだけ毎晩。こんな野営の時でも、刀身くらいはと。


 一通り吉宗の手入れをすると、陸王は刀身を鞘に収めて吐息をついた。それは胸の内で心地よく張っていた緊張感を切った合図だ。そうしてやっと心が満たされるのを陸王は感じた。それから辺りに広げた手入れの道具を荷物の中にしまい始める。


 と、そこで雷韋がむくりと起き上がった。


「雷韋」


 思わず陸王が呟くと、雷韋は寝惚け眼で辺りをきょろきょろと見回した。


「どうした。朝まで随分と間があるぞ」

「ん~、なんとなく目が醒めた」

「疲れすぎて却って目が冴えたか?」

「分かんね。……紫雲、寝てるのか?」

「あぁ」

「じゃあ、陸王が見張り?」

「そうだ」


 静かに答えると、雷韋はこくりと頷いた。


「分かったら、寝ろ。朝になったら起こしてやる」


 それを聞いて、雷韋はころりと横になった。


「また殴るんだろ」


 まだどこかぼうっとした調子で、それでも悪態をつく。


「嫌だったら自力で起きるんだな」

「無茶言うなよ~。疲れてんだ」

「疲れていようがいまいが、朝に自力で起きたことねぇだろう」


 苦笑して言う。


「ちゃんとした宿で寝たいなぁ」


 相手が陸王だからか、雷韋は本音をぼそぼそと漏らす。それに陸王が返した。


「もう少しの辛抱だ」


 そう言ってから、陸王はすまなそうに眉根を寄せて続けた。


「すまんな。俺のせいで」

「なんで陸王が謝んだ?」

「俺が魔族に狙わなければ、こんな無茶な旅をすることもなかった」

「それは魔族の都合で、あんたのせいじゃないよ。でも、なんで狙われてんだろ」


 雷韋が不思議そうに言う。陸王はそれに対して、分からないという風に無言で首を振った。そんな陸王を見て、雷韋は言う。


「兎に角、さ。明日も頑張ろうぜ」


 また眠気が兆してきたのか、雷韋の呂律は少し怪しかった。


 それに気付いて、陸王は言う。


「寝ろ。明日も早いぞ」

「うん」


 大人しく頷いて、雷韋は目を閉じた。すると、すぐに雷韋から小さな寝息が上がり始める。暖色の明かりに照らされているのに、顔色が酷く悪い。目の下には隈ができている。


 雷韋の衰弱ぶりに、陸王は思わず溜息をついた。それと同時に、明日はなんとか人のいる場所まで出たいと思う。魔族のことがあるため宿泊することは出来ないが、雷韋には何か普通のものを食べさせてやりたかった。栄養が偏っているから、疲れも溜まりやすくなるのだ。特に雷韋には常に精霊を探らせて、無理をさせているから余計だ。これまでの間、精霊を探りやすいところもあれば、探りにくいところもあっただろう。だから本当に、少し休ませてやりたいと思った。


 その夜も紫雲と交代するまでに怪しい気配はなく、紫雲と歩哨を代わったあとも何事も起こらなかった。


 朝がきて、雷韋を無理矢理に起こすと、ほぼすぐに出発した。


 雷韋が紫雲から受け取った干し肉は、歩きながら囓ることになった。この際、行儀が悪いだとかなんとか、そんなくだらないことはなしだ。一刻も早く、人のいる場所に辿り着きたかった。

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