疲労の蓄積 四
「な~んか、怠い~」
「本当にお前は行儀がなってねぇな。飯食いながら横になるんじゃねぇよ」
「ん~、なんか眠い。川が見つかってほっとしちゃったかなぁ」
「それはあるかも知れませんね。ですが、眠るなら食事をきちんと済ませてからの方がいいと思いますよ」
それを見た陸王が雷韋の傍に近寄って、
「ったく、しょうがねぇ奴だな」
そう愚痴をこぼすように言って、最後の一欠片を雷韋の口の中に押し込んでやった。すると、身体の反射なのだろうが、雷韋は干し肉をもぐもぐと咀嚼し始める。
それを見た紫雲が、苦笑気味に言った。
「今日は随分と疲れたんでしょうね」
紫雲の言葉を聞きながらも、陸王はそれに対して反応を示さなかった。なんの反応も示さずに、雷韋の
雷韋の身体を包んでやったあとは元の位置に戻って、残りの干し肉の欠片を再び口に運ぶ。黙々と。紫雲とは視線すら合わせようとしなかった。
その態度に苦笑を漏らしたのは紫雲だった。
「そんなに私と話したくないですか?」
それにも陸王は無言を貫いた。
「この三週間ほど、ずっとこんな感じですね。雷韋君を介してしか会話をしていない。それほど私が嫌いですか」
その言葉に、
「煩ぇぞ。飯を食ったならさっさと寝ろ。今夜は俺が先に歩哨に立つ」
そう言って、陸王は口が穢れたとでも言うように水袋を呷った。
「そんなに嫌われるようなことを私がしたでしょうか。下衆な詮索ももうしませんし、雷韋君を取ったりもしませんよ。雷韋君にも怒られましたしね。だから、普通に会話くらいは出来ないでしょうか。嫌いは嫌いなりに。お互い、いい大人なんですから」
「煩ぇと言っている」
陸王は不機嫌に答えて、この会話自体を終わりにするつもりだった。心底、紫雲とは言葉を交わしたくない。
そんな陸王に紫雲は嘆息をつき、
「はい、分かりました。これ以上、貴方を煩わせません。では、先に休ませて貰います」
そう言って、外套を身体に巻き付けて横になる。
紫雲が横になったのをちらと見て、陸王は内心でほっとしていた。面白くもない顔を突きつけ合っているのは苦痛でしかない。起きているのが雷韋ならなんとも思わないが、嫌っている紫雲ともなればさっさと寝入って欲しかった。
それから暫く時間が経った頃、紫雲からも規則正しい寝息が聞こえてきた。その時になって、やっと陸王の緊張は解けた。刀の手入れでもと思える余裕も出てきた。
野営を張っているだけに、分解まではしないが、刀身の手入れだけでもしたかったのだ。
肩に
特に『吉宗』は格別だ。
神剣であり、意思を持っている。その力は神を屠るとも言われているが、一体どの神を相手にすればいいと言うのか。神を屠るとは少々どころか、不可能だろう。
この世界を創り上げた原初神である
これまで雇われ侍として、陸王は傭兵のように戦場を渡り歩いてきた。その際、吉宗は陸王が次にどんな動きをしたいのか知っているように、刃を走らせた。これまでにそれで何度も命を救われていることも事実だ。反対に、吉宗が陸王を護るために刃を走らせることもある。全ては吉宗の神意だ。
神剣だけあって、吉宗の刃は
それでも陸王は毎晩のように吉宗の手入れをしてきた。できるだけ毎晩。こんな野営の時でも、刀身くらいはと。
一通り吉宗の手入れをすると、陸王は刀身を鞘に収めて吐息をついた。それは胸の内で心地よく張っていた緊張感を切った合図だ。そうしてやっと心が満たされるのを陸王は感じた。それから辺りに広げた手入れの道具を荷物の中にしまい始める。
と、そこで雷韋がむくりと起き上がった。
「雷韋」
思わず陸王が呟くと、雷韋は寝惚け眼で辺りをきょろきょろと見回した。
「どうした。朝まで随分と間があるぞ」
「ん~、なんとなく目が醒めた」
「疲れすぎて却って目が冴えたか?」
「分かんね。……紫雲、寝てるのか?」
「あぁ」
「じゃあ、陸王が見張り?」
「そうだ」
静かに答えると、雷韋はこくりと頷いた。
「分かったら、寝ろ。朝になったら起こしてやる」
それを聞いて、雷韋はころりと横になった。
「また殴るんだろ」
まだどこかぼうっとした調子で、それでも悪態をつく。
「嫌だったら自力で起きるんだな」
「無茶言うなよ~。疲れてんだ」
「疲れていようがいまいが、朝に自力で起きたことねぇだろう」
苦笑して言う。
「ちゃんとした宿で寝たいなぁ」
相手が陸王だからか、雷韋は本音をぼそぼそと漏らす。それに陸王が返した。
「もう少しの辛抱だ」
そう言ってから、陸王はすまなそうに眉根を寄せて続けた。
「すまんな。俺のせいで」
「なんで陸王が謝んだ?」
「俺が魔族に狙わなければ、こんな無茶な旅をすることもなかった」
「それは魔族の都合で、あんたのせいじゃないよ。でも、なんで狙われてんだろ」
雷韋が不思議そうに言う。陸王はそれに対して、分からないという風に無言で首を振った。そんな陸王を見て、雷韋は言う。
「兎に角、さ。明日も頑張ろうぜ」
また眠気が兆してきたのか、雷韋の呂律は少し怪しかった。
それに気付いて、陸王は言う。
「寝ろ。明日も早いぞ」
「うん」
大人しく頷いて、雷韋は目を閉じた。すると、すぐに雷韋から小さな寝息が上がり始める。暖色の明かりに照らされているのに、顔色が酷く悪い。目の下には隈ができている。
雷韋の衰弱ぶりに、陸王は思わず溜息をついた。それと同時に、明日はなんとか人のいる場所まで出たいと思う。魔族のことがあるため宿泊することは出来ないが、雷韋には何か普通のものを食べさせてやりたかった。栄養が偏っているから、疲れも溜まりやすくなるのだ。特に雷韋には常に精霊を探らせて、無理をさせているから余計だ。これまでの間、精霊を探りやすいところもあれば、探りにくいところもあっただろう。だから本当に、少し休ませてやりたいと思った。
その夜も紫雲と交代するまでに怪しい気配はなく、紫雲と歩哨を代わったあとも何事も起こらなかった。
朝がきて、雷韋を無理矢理に起こすと、ほぼすぐに出発した。
雷韋が紫雲から受け取った干し肉は、歩きながら囓ることになった。この際、行儀が悪いだとかなんとか、そんなくだらないことはなしだ。一刻も早く、人のいる場所に辿り着きたかった。
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