新たな道行き 三

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 あれから雨が二日間続き、雨が降り始めてから陸王りくおうが体調を崩した。


 雷韋らいの服から立ち上る血の匂いに酔ったのだ。


 森で雷韋が大量出血をしていたときは風があり、空気も循環していたから耐えられたが、まともな空気の循環もないままの部屋に閉じ込められれば、鬼族の血に当たって当然だった。食欲はあったが、食べると戻しそうだったので、雷韋が心配するのにもかかわらず、水しか摂取しなかった。


 その二日間、町の者や紫雲から事情を聞いた商業組織ギルドの者が見舞いにも来た。魔族狩りを陸王がしたためだ。それに、攫われた人々を救ったのは雷韋だった。その事で、見舞いと謝意を伝えにやってきたのだ。だが、陸王はほとんど起き上がれなかったし、雷韋は失礼だとは思いつつも部屋には入れずに立ったまま話を聞いて終わらせた。


 謝意は『金』という形で表されたのだが、これは金欠の雷韋にとっては運がよかった。


 そんな事がありながらも、思った通り、雨の湿気は血の匂いを更に濃く部屋に充満させていた。陸王は終始頭がくらくらして、まともに起き上がることさえ出来なかったが、ようやく雨が降り終わった今日は服が仕上がる日でもあった。


 陸王はこれ幸いにと雷韋を置いて出掛けた。ふらつく足下での外出だったため、雷韋は酷く心配したが、陸王は雷韋の制止を振り切って宿を出たのだ。外の空気を吸うと、頭のくらつきも軽減するようだった。


 だが、風に乗って、微かに匂いがした。雷韋の血の匂いだ。あとをついてきたのだということはすぐに分かった。心配してくれるのは有り難いが、余計な事を、とも思う。それでも外で匂いを嗅いだせいか、部屋の中で匂いを嗅ぐよりはずっとましだった。


 陸王は歩む足を止め、振り返る。


「こら、サルガキ」


 そう声をかけると、近くの店の前に置いてある樽の影から雷韋が顔を覗かせる。全くばつの悪い顔をしていた。


「あ~、うん。ごめん」


 何に対して謝っているのか知らないが、雷韋の口から謝罪の言葉が出た。


「何してる」


 問えば、雷韋はばつの悪い顔のままぼそりと呟く。


「あんたのこと、心配だったんだ」


 上目遣って言うのに対し、陸王は前髪を掻き上げて嘆息をついた。


「外の空気を吸ったら、随分ましになった。行き倒れになることはねぇから、心配しなくても大丈夫だ。すぐに戻る」


 そう言うだけ言って、陸王は踵を返して歩き出した。その際、足に力を入れて蹈鞴たたらを踏まないように注意する。


 突然、ぶわっと濃い血の匂いに襲われた。その匂いに足下を掬われそうになるが堪える。隣を見ると、当然のように雷韋がいた。


「やっぱ俺も一緒に行くよ。あんたも心配だし、自分の服もあるし」

「ついてこなくてもいい」


 ぶっきら棒に言うと、雷韋もどこかむきになっている風に返してきた。


「嫌だ。行く」

「ついてくるな、邪魔だ」


 近くにいると血の匂いに酔うなどとは決して言えはしないから、わざと邪険に言ったが、雷韋も引くつもりがないらしい。顔は真正面を向いていて、陸王を見ていなかった。しかし、雷韋の全身から匂いが立ちこめるため、傍にいるのは本当に勘弁して欲しいと思う。


 いい加減、雷韋の血の匂いに惹かれる自分に嫌気が差して「頼むから傍に近づくな」と口をついて出そうになった言葉を、あわやのところで飲み込んだ。


 雷韋は陸王の不調が自分にあるなどと思っていないから、どうあってもついてくるだろうと思った。こう見えて、雷韋は頑固なところが多分にある。仕方なく、今回も陸王が折れてやる形になった。


「調子が万全じゃないから、余計な事は話しかけるなよ」


 そう牽制して、会話に気を取られるあまりに足から力が抜けるのを堪えようと思ったのだ。


 意外とあっけなく了承されたことで、雷韋は一瞬ぽかんとした顔を向けてきたが、すぐに無言で頷いて、前方に顔を向けた。


 仕立屋までの道順は雷韋も覚えているだろうから、その辺りはいちいち指図しなくても大丈夫だろうと思う。


 途中、雷韋の血の匂いに惹かれて目眩がしたが、堪えた。だが、久々の外の空気そのものはいい。娑婆の空気は旨いとはこのことだと思った。


 仕立屋に向かう道すがら、雷韋は道中無言で通し、陸王について仕立屋に辿り着いた。


 店内に入って陸王が女主人に声をかけようとしたとき、先に雷韋が口を開いた。


「二日前に急ぎで服作ってって頼んだんだけど、出来てる?」


 その声はどこまでも脳天気だった。


 それに女主人が対応する。


「あぁ、お客さんの服でしたね。仕上がっていますよ。ちょっとお待ちください」


 そう言って、店の奥に入っていったが、奥にはお針子達がいるのか、何やら遣り取りがあるようだった。その間に雷韋は、辺りに積み重なっている布地を一つ一つ物珍しげに確認している。

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