新たな道行き 二

 ようやく部屋を取ることが出来たので、出掛ける前に乱暴にではあるが、顔と頭を洗ってから仕立屋を探しに出ることにした。


 井戸は町中にあるが、場所がよかったのか、この宿の裏に丁度あったので、そこである程度血糊を洗い流す事が出来たのだ。


 宿の主人に尋ねたところ、宿からそれほど離れていない場所に腕のいい仕立て人がいるという事で、そこを訪ねたが、道々でも宿でもそうだったが、仕立屋の女主人は二人の血みどろの姿に酷く驚いていた。


 陸王りくおうはいちいち面倒だからと説明する気はなかったが、おしゃべりが好きな雷韋らいが寸法を測って貰っている間にほとんど全てを話してしまっていた。


 女主人は「魔族だなんて、なんて恐ろしい」などと怯えを見せていたが、陸王はそれに続く言葉を覚えていなかった。ただ、服を仕立てるのに急ぎであることを伝えて、生地の分も含めて銅貨十五枚を払った。雷韋の分も一緒だ。そのほかに夜着よぎ二着と、外套も二着買って店を出る。更に陸王は行くところがあると言って、宿にはすぐに戻らなかった。


 陸王の足が向いたのは斡旋所だった。本来なら明日、商人の護衛がある。けれど、そんな事をしている場合ではなくなった。だからその仕事の契約解除に来たのだ。


 斡旋所に血みどろの二人が入ってきたことで、店内は騒然となった。だが、それを無視するように陸王は、請け負っていた仕事の契約解除に来たと告げた。陸王の対応をしていた男が理由を尋ねてきたが、それには「魔族狩りだ」と端的に答え、また「今も竜巻を使って人間を攫っていった魔族を狩ってきたところだ」と告げたことで、周りで聞いていた者達の目付きが変わった。町で竜巻が起こったことは知られているだろうし、その上で、いきなり血みどろで入店してきた二人を胡散臭げに見ていたのだが、『魔族狩りをしてきた』その一言で畏敬の眼差しにがらりと変わったのだ。対応していた男も、それ以上詳しく話を聞くことはしなかった。土壇場で契約解除をしたのに、違約金を取られることもなく、無事、契約解除という事になった。


 それから宿に戻るとすぐに湯を頼んで、陸王と雷韋は風呂に入った。しかし、多めに頼んで使ったお湯は、血でどろどろになってしまった。特に陸王はある程度髪を洗ってはいたものの、乾いてへばりついている血の塊がいくつも髪に付着していたので余計だ。それでも風呂に入って、汚れを落とせたことですっきり出来た。


 雷韋は相変わらず火の精霊の力を借りて全身を乾かしていた。今回は陸王もそれを頼んだ。それもこれも、洗濯があるからだった。着ていた服を元通りに出来るわけではないが、血を吸ったままでは乾いても着られるものではない。夜着は飽くまで中継ぎ用だ。外套を纏っていたとしても、宿の中でならまだしも、このままでは外出も出来ない。服が仕上がる予定日に仕立屋へ行くには、どうしても今の服が必要だ。その為に洗濯をするつもりだった。


 陸王は雷韋に「洗濯に行くぞ」と声をかけて、血でぐっしょりになった服を片手に部屋を出て行こうとする。その様に慌てて雷韋があとを追った。部屋に鍵をかけて、階下に下りる。


 井戸は宿の裏にるので、そこで洗濯をするためのたらいを借りた。早速洗濯をしてみたが、雷韋の服は真っ黒な血液がなかなか落ちずに苦戦し、陸王の方は血ですぐに水が濁ってしまうため、何度もたらいの水を替えなければならなかった。洗濯が終わった頃には二人とも、うっすらと汗ばむほどだった。酷く汚れた衣服の洗濯は、思っていたよりも重労働だったのだ。服の次は靴も洗わなければならなかったが、靴は服ほど丹念には洗わなかった。ざぶざぶと乱暴に洗って、靴をたらいに入れても水が綺麗な状態になるまでやっただけだ。持ち上げて、つま先からうっすらと血色の水が滴っても、陸王はそれは気にせずに終わらせた。雷韋はしっかりと洗っていたようだが。


 洗濯を済ませたあと、服と靴を雷韋の精霊魔法エレメントアで乾かして終了だ。二人は宿にたらいを返して部屋に戻った。


 部屋に戻って寝台に横になり、雷韋はやっと人心地ついた気分になっていた。今日は朝から忙しなかったからだ。朝一で紫雲に会い、そのあと部屋で休んでいるところを竜巻に襲われて、そのまま魔族の相手だ。そのあと陸王と紫雲が魔族を捕らえて核を取り出し、町まで戻ってきた。戻ってきてすぐ休めるかと思えば、宿を探したりなどあちこちを回って息をつく暇もない。外回りを終わらせたあとに、やっと風呂に入ってゆっくり出来るかと思えば、洗濯をしなければならなかった。肉体的にも精神的にも、かなりきつかった。けれど、今はこうして寝台に横になってゆっくり出来る。やることは全てやったという心境だった。


 雷韋は隣の寝台に腰をかけている陸王を眺め、なんとも言えない顔をした。その視線に気付いて、陸王が「なんだ」と問うと、雷韋は言った。


「あんたって、夜着が心底似合わないんだなぁ」


 しみじみと言った風な声音だった。


 陸王はその言葉に渋面じゅうめんを作って、


「大きなお世話だ」


 嫌そうに返す。


「あんたの夜着姿を見慣れてないからかなぁ?」

「知るか」


 そこで雷韋は急に話を変えた。


「パンツ履いてないからすかすかして落ち着かないな。そう思わねぇ?」

「んな事どうだっていい。気になるなら履け。乾かしただろう」

「あ、そっか」


 言われて思いだし、雷韋は乾かした服の中から下着を取りだして身に着ける。


 陸王はその間、上着の内懐から取り出しておいた魔族の核を眺めていた。こうして見ているだけでも、不気味で嫌な感覚がする。今は直接手に持っているから、余計おぞましい感触がした。あの魔族を手に乗せているような感じだ。もし自分の中にも核があったら、こんな小物の核よりも更に強く嫌な感じがするのだろうと、自然と思っていた。


 実際には、高位の魔族である陸王には核など存在しないのだが。


 それでもそんな風に思ってしまう。自分ほどの魔族なら、どれほどおぞましい感じがするのかを想像してしまうのだ。知らず、奥歯を噛み締めていた。


 と、


「陸王……?」


 不意に不安そうな声が聞こえてきた。当然その声の主は雷韋だ。


 視線を上げ、陸王は雷韋に目を遣った。


「なんだ」

「あ、いや……」


 歯切れの悪い言葉。雷韋にしては珍しい。


「何かあったか?」


 特に意識はしていなかったが、陸王は普段と何も変わらず雷韋に声をかけたつもりだった。ただ、急に雷韋に現実へ引き戻された感覚があったので、陸王も少し調子が狂っていたかも知れない。


 雷韋は陸王を僅かばかりじっと見つめていたが、緩く首を振った。


「なんでもない。それよかさ、腹減らね?」


 いつものように笑みを見せながら、腹に片手を当てる。


「そう言や、もうすっかり昼は過ぎていたんだったな」

「それにさ、買い物もしてこなきゃ駄目なんじゃね? 荷物、全部埋もれちゃったんだから。陸王だって、吉宗の手入れする道具が必要だろ?」

「そういう買い物はあとでいい。服が仕上がったらだ」

「ん~、そっか。んじゃあ、飯食ってこねぇ? 財布は無事だったんだし」


 雷韋がにっこり笑って陸王を誘うも、陸王は首を振った。


「いや、俺はあとでいい。一人で行ってこい」

「えぇ~? 折角、二人でいるのにぃ?」

「俺はさほど腹は減ってねぇんだ」

「そっかぁ」


 残念そうに言う雷韋だったが、陸王も今日は大変だったのだと思うと、無理に誘うことは出来なかったのだろう。仕方なしに、一人で行ってくると言い置いて、部屋をあとにした。


 陸王は急に静かになった部屋の中で、すんと空気の匂いを嗅いだ。ずっと血の甘い匂いがしていたのだ。


 それも、森で雷韋を見つける前から匂っていた。風が運んできたからだ。


 その匂いが今もこの部屋にしている。雷韋の洗った服からだった。洗っても完全に血が落ちたわけではない。だから窓を開けていないこの部屋の中に匂いが籠もっている。


 陸王はその匂いに惹かれる自分に嘆息をついて、窓を開けた。


 雷韋の流す血に魅了されるわけにはいかないのだ。


 窓を開けると、いつの間にか雲が重く垂れ込めていた。その空から、雨滴が一粒、二粒と落ちてくる。


 それに気付いて、参ったと思う。


 窓を閉めなければならないからだ。しかも、雨の湿気が匂いを強くするだろう。


 陸王は思わず渋面を作り、長嘆息していた。

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