第九章

新たな道行き 一

 陸王りくおうに追いつくのは簡単だった。少し先を行っていただけなので、小走りで雷韋らい紫雲しうんは追いつけた。


 帰る道々、雷韋がなんとか教会の宿舎に誘おうとしたが、陸王は頑として頷こうとはしなかった。


 最後に雷韋に、


「あんた、本当に教会とか坊主とか天慧てんけいとか嫌いなんだな」


 そう言わせしめるほどに、陸王は拒否し続けたのだ。


 町へ戻ったのは、昼をとうに過ぎた頃だった。瓦礫はほぼそのままの状態で残り、消火活動が行われているものの、火の手も上がり続けるままだった。雷韋はその惨状を目にして、咄嗟に火だけでもどうにかしようと、胸の中で声を張り上げた。


 『火よ』と。


 これは精霊使いエレメンタラーだから出来たことだ。しかも守護精霊が火の精霊でもあったからこそだ。あちらこちらを炎の舌で舐め尽くしていた火の精霊は、雷韋のもとへと一塊ひとかたまりになって集まってきた。


 頭から大量の炎を被ると、瞬時にして、その炎は消え失せていった。雷韋の身体を介して、精霊界に送還されたのだ。


 たったそれだけで町中の火の手は火は鎮火した。その代わり、炎という形に顕現していた火の精霊を身体全体で受け止めたことによって、雷韋を見る被災者達や消火活動をしていた者達の目が胡乱なものになる。獣の眷属には精霊使いは珍しくないが、人間族にとっては珍しいのだ。しかも今のように火を身体全体で受け止めることなど、人間族にとっては驚くべき事だった。何が起こったのかさえ分からない者がほとんどで、だからこそ、雷韋は胡乱な目を向けられた。


 それでも雷韋は全く構わない。人間族の常識だけが常識ではないのだから。獣の眷属にも獣の眷属としての常識がある。雷韋だとて、精霊使いとしての常識を以て火の精霊を扱ったのだ。それを、自分が理解出来ないからと言って、胡散臭く思うのはおかしな事だと思う。


 ただ、それを口で説明をせずに分かれというのも無理な相談だったが。


 雷韋の身体の中に大量の火が吸い込まれたのを目にして、陸王が特別なことなどないという風に問うた。


「全て鎮火させたのか」

「ん。火事は収まったよ」


 そんな二人の遣り取りを目にして、被災した者達だけが雷韋を驚きの目で見ていたのではない。紫雲も同様だったのだ。


「雷韋君、今のは?」


 焦りを滲ませて問うてくる紫雲に、雷韋は「まぁ、これも精霊魔法エレメントアのうちだよ」と言って肩を竦めるだけだった。


 そうして瓦礫の道を延々と歩いて行くと、負傷者や遺体は幾分か掘り起こされていた。未だ瓦礫の下で助けを求める者も、遺体になって捜されるのを待っている者もいるだろうが。


 それに空も曇ってきている。朝、竜巻が起こされる前に風が巻いていたから、天気が崩れるのだろう。


 道々、辺りは酷いものだった。全壊した建物、半壊した建物、火事に巻き込まれてすすで真っ黒になっている建物と様々あって、大勢が瓦礫の下だ。町の人間達が自警団の者達と共に瓦礫の撤去と並行して人を捜していたが、その様は遅々としていた。


 それも当然だろう。人手が足りないことはあっても、余るという事はないはずだからだ。


 それを見て、雷韋が陸王の背に声をかけた。


「なぁ、俺、ここで手伝ってもいいかな?」

「瓦礫の撤去か」

「うん、それもある。でも、瓦礫の下になってる人も大勢いる筈なんだ。一人でも多く助けたいよ」


 だが陸王はそれも拒否した。


「やめておけ。下手に手を貸しても、いつまでも終わらんぞ。俺達にはこれからすることがある」

「それは分かってるよ。でも、町を出発するまでまだ日もあるだろ? なんたって、服を新調しなきゃならないんだから。だから、その間だけでも」

「瓦礫の山はここだけじゃねぇ。生き埋めになってるのも、死んでるのも、まだほかにもいる。善人ぶっても、一つところしか助けることは出来ん。そんなものにかかずらっていたら、いつまで経っても出発できんぞ」

「それでも!」


 陸王はそこでようやく振り返った。


「よく考えろよ、雷韋。出発出来る段になって、お前は後ろ髪を引かれずに黙って立ち去れるのか」

「そ、それは……」

「だったら余計やめておくんだ。お前自身も今は消耗している。手伝おうとしたところで却って邪魔になるだけだ」


 真っ直ぐに雷韋の琥珀の瞳を見据えて言う。


 陸王の言うことは正論だった。雷韋の性格なら、出発するまで何かにつけて手助けをすれば、いざ出発する段になって絶対に後ろ髪を引かれる。それ以上に、この町にいるだけで魔族と妖刀という禍を近づけることにもなる。ここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。


 それが分かったからか、雷韋は陸王の視線から逃げた。雷韋の腹としては決して面白くはないが、どうしようもなかった。


 それを見止めて、陸王は再び歩き出す。


 意気消沈した雷韋を宥めたのは紫雲だった。


「その気持ちだけでも充分だと思いますよ。結果として何も出来ないかもしれませんが、今は妖刀を探さなければ。魔族も動いていることですし。それが私たちにとって、最優先にすることです。町にこれ以上の被害を与えないためにも」

「そんなの、分かってらい」


 不貞腐れたように返して、雷韋は陸王のあとを追った。それでも我慢出来ないのか、ちらちらと周辺に視線を送ってはいたが。


 そのまま竜巻が通った瓦礫の道を真っ直ぐに進んでいくと、やがて宿泊していた宿に辿り着いた。


 陸王は『瓦礫の山だ』と言っていたが、まさにその通り、周辺一帯の建物が崩落していたり、半壊状態だった。そして道端には、助け出された怪我人や竜巻のせいで怪我をした者が手当を受けている。発見された遺体は生者から距離を保って並べられていた。


「宿、こんな風になってたんだ……」


 言葉で言い表すことも出来ない惨状を見て、半ば呆然としたように雷韋が呟く。けれど陸王は、全壊した宿の前で止まることはなかった。


 それを見止めて、雷韋が声をかける。


「あ、陸王、どこ行くのさ」

「宿を探しに行く」

「え? じゃあ、なんでここまで戻ってきたんだ?」

「ここは大路が通っている。だからここまで戻ってきた」


 確かに、泊まっていた宿は大路に面していた。ここまで戻ってくれば、ほかの宿を探しやすくもなるだろう。


 雷韋は半ば納得して陸王のあとを追おうとしたが、紫雲の視線を感じて立ち止まった。


「ん?」


 紫雲を見上げると、彼は言った。


「雷韋君、私はここに残ります。人手はいくらあってもいいでしょうし、元々この辺りの被害を調べるために来ましたから」

「そんじゃ、一旦ここで別れることになるのか」

「そうですね。出発する日取りなど決まれば、教会に来てください。私が不在でも言伝ことづてを頼めばいいですから」

「うん、分かった。そんじゃ、俺の分も頑張ってくれな」

「えぇ」


 紫雲は優しく笑みながら頷いてみせた。


 そのあと雷韋は、紫雲に手を振りながら陸王のあとを追っていった。


 陸王に追いついて、雷韋は自分の格好を見下ろす。それから陸王の姿も眺めた。


「陸王、宿探してから服作りにいくのか?」

「そうなるだろうな」

「そっか」

「どうした。言いたいことがあるなら言え」


 雷韋はそこで言いにくそうに顔を歪めてから、なんとか言葉を口にした。


「いや、さっきから人の目が痛くってさぁ」


 それを聞いて、陸王は吐息をついた。


「こんな血みどろの格好なんだ。しゃあねぇだろう」


 雷韋は、ははっと力なく笑って、


「早く風呂に入りてぇなぁ」


 と、小さく呟いた。


 だが。


「宿で部屋を取ったら、すぐに服を新調しに行くぞ」

「えぇ!? この血みどろの格好で!?」

「風呂よりも先に、採寸して貰う。風呂はそのあとだ。そうしないと二度手間になる」

「二度手間? なんで?」

「風呂に入っても、服は血にまみれている。裸で出歩くわけにはいかんからな。だから、血塗れの服をもう一度着なけりゃならなくなる。それでまた汚れるだろう」

「あ、そか」


 ようやく納得した雷韋が頷いた。しかし、そこで再び疑問が湧く。


「採寸して貰って、そのあと風呂に入るとしても、そのあとはどうすんだ? 着るものなんてないぜ? それこそ裸ででもいるつもりかよ?」

夜着よぎを買ってくる。あれなら寸法なんざ測らずとも、すぐに買ってこられるからな」

「あぁ、そっか」


 雷韋はそこで全てを納得した。


「んじゃ、仕立屋も探さなきゃな」


 そんな事を話しながら宿を当たっていったが、この辺りの宿は被災者を受け入れているという事で、かなり手を焼かされた。


 怪我人は少しずつではあるが、教会に運ばれているようだった。


 結局、宿が取れたのは町の西側になった。竜巻が起こされた場所は、町の東側に近い南の端だった。

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