夢の顕現 十一

「ごめん」


 雷韋らい陸王りくおうに回復の術をかけて貰いながら、思わず謝った。


「別に謝るこっちゃねぇだろう。それだけお前は攫われてきた人間を助けたかっただけだ」

「ん。でも、陸王だって酷い格好だったぞ。ここに来たとき、夢の中と一緒で血塗ちまみれだった。酷い怪我したって聞いたけど、そんなに酷かったのか? 服、右胸のところに穴が開いてるけど、なんかが刺さったあとか?」


 陸王はそれに対して鼻で笑った。


「卓の脚に貫かれただけだ。左足も骨折して骨が肉を突き破っていたが、大したことじゃない」

「それ、充分死ぬ怪我だよ!」


 雷韋は驚いて大声を出したが、陸王は口端を僅かに上げただけだった。


「そんな怪我して、よく無事だったな。痛かったろ?」

戦場いくさばじゃ日常茶飯事の怪我だ。そういった怪我を治すために、俺は根源魔法マナティアを囓ったんだからな」

「そう言う問題じゃないよ、馬鹿陸王!」


 ねた風にして言う。


「だからって黙ってたら、俺は確実に死んでいたところだ。お前が殺される前に間に合ってよかったと思っている。第一、約束しただろう。お前を必ず護ると」

「そうだけど……、そうだけどぉ」


 まだ雷韋の臍は曲がったままで、拗ねた口調は直っていなかった。


 そんな二人の様子を見ていた紫雲しうんは、不可思議な気分になっていた。対を救うためにあそこまでやるものなのか、と。一歩間違えば陸王は死んでいた。いや、死ぬ確率の方が生き残る確率よりも比べるまでもなく高かった。今こうして生きているのが不思議なくらいだ。それに二人の話を聞いているだけでも、どうやら陸王は雷韋を護ると約束していたと紫雲にも分かる。それでも、その為にあんな危険を冒すなど、紫雲には考えられなかった。


 対とはそんなにも絶対のものなのだろうか?


 まだ対を見つけられていない紫雲には、全く理解の出来ない事だった。理解の埒外だ。


「陸王、もういいよ。腿の傷はほとんど塞がってる。あとは自分で精霊魔法をかけるから、大丈夫だ」

「だが、完全には塞がってねぇんだろうが。血が足りなくて尻餅ついたんじゃねぇのか?」


「へへ……、それもちょっとはあるかな。身体はずっと新しい血を作っていたけど、濁った血をその間にも吐き出してたし。もう普通の血に戻ってるって事は、今はゆっくりとしか血は作られてないからなぁ。だけど、陸王に術をかけて貰って、その間に俺の魔力も少しは回復した。あとは自分で治せるよ」


「本当か?」

「うん」


 答えて、雷韋は子供然とした笑顔を向けた。


 この笑顔に陸王は弱い。雷韋の言うことを聞いてやるしかなくなってしまうのだ。


 仕方なく陸王は雷韋に頷き、腿に翳した手を放した。すると、今度は雷韋が右手で左腿に、左手で右肩に手を翳す。植物の精霊魔法エレメントアだ。手を翳した直後、両掌に淡い緑の光が宿った。見ている間にも出血は治まっていき、傷口そのものも塞がっていく。


 陸王の使った根源魔法の回復の術とは、まるで治癒する速度が違った。雷韋自身が言霊封じにして持っていることもあり、治癒していく速度は速い。だが、根源魔法の回復の術を使っても、実は雷韋の方が早く回復する。そこは、魔術そのものに慣れているかどうかの違いだ。


 陸王はその早さを見遣って、


「餅は餅屋だな」


 と小さく呟いた。


「え? 何、それ」


 きょとんとして陸王を見遣るが、


「なんでもねぇ」


 陸王はそう答えて、雷韋の額を指で弾いて終わらせた。


 そうしている間にも、左腿に翳した手はほとんど時間をかけずに放した。傷が完治したのだ。


 足が治ったという事は、もう立ち上がっても大丈夫という事だ。陸王は雷韋に手を貸して立ち上がらせてくれた。


「もう歩けるんだろう?」

「うん。肩も直に治るよ」


 雷韋の言葉に小さく頷き、陸王は少し離れている紫雲の方へ歩き出した。


 紫雲の目の前まで行くと、紫雲の方から雷韋に話しかけてきた。


「雷韋君、怪我は?」

「足はもう治ってる。肩も秒で治るよ」


 と言った途端、雷韋は肩口に翳していた左手を退けた。


「ほら、治った」


 言って、肩口を回してみせる。


 痛みを我慢しているそぶりもない雷韋にほっと溜息をつき、


「それにしても、二人とも酷い格好ですね。血塗ちまみれです」


 眉根を寄せて言う。


 そこで陸王は思い出したように雷韋に問うてきた。


「雷韋、財布は持っているのか?」

「うん? 腰に括り付けられてるけど」


 ほら、と言って雷韋は陸王に腰の財布を示して見せる。


「それがどうかしたのか?」


 雷韋が問うと、陸王は雷韋の鼻を指で弾いた。


「覚えてねぇか? 俺の財布も預けただろう」

「あぁ、あの屑石の入ってる財布な。あれもちゃんと財布の中に入れてある。なくしてないよ。でも、なんで?」

「今、あの宿は瓦礫の山になってる。その中から自分の荷物を探すことは不可能だ。吉宗は俺を呼んでいたからどこにあるか分かったが。俺も自分の財布は自分で持っているが、万一のために聞いた」


 それを聞いていた紫雲が不思議そうに問うてくる。


「『吉宗』?」

「俺の得物だ。神剣と呼ばれ、俺から離れると俺を呼ぶ」


 陸王はいかにも面倒そうに答えた。だが、紫雲は陸王が怪我を治癒させてから、迷いもなく刀を探し当てたことを思い出した。


「それであのとき、瓦礫の中から刀を」

「ま、そういうことだ」

「ですが、雷韋君があの瓦礫の中にいないという事をどうやって知ったんです? 雷韋君を捜す素振りも見せませんでしたよね」

「雷韋の見た夢だ」

「夢?」


 些か不審そうに陸王を見る紫雲に説明したのは雷韋だった。見た夢の内容をつぶさに話して聞かせる。その夢の中で特徴的だったのは、森の中で倒れている雷韋を見下ろす魔族の姿だった。


 陸王はそれに被せるようにして、おそらく今回の件には魔族がかかわっていることに思い至ったと話した。


 その予想は的中だった。しかし、これは誰にも言えないことだが、あの瓦礫の中にあって雷韋の血の匂いを陸王は嗅いでいない。それも関係がないわけではなかった。


「そういうことでしたか。それであのときの陸王さんの行動が理解出来ました」

「そりゃよかったな」


 陸王が突っ慳貪に言ったあと、雷韋は陸王に声をかけた。


「なぁ、俺達これからどうする? 俺のもあんたの服も血塗れだし、何より風呂に入りたいよ」

「町に戻ったらどこかに宿を探すしかあるまい。服も新調しなけりゃならんから、すぐに町を発つことは出来んな。魔族が動き始めたとなると危険だが、仕方ねぇ」


 そこで紫雲が提案した。


「よければ二人とも、教会に来ませんか? 巡礼者用の宿舎でよければ」

「断る」


 陸王は即答した。巡礼者の宿舎と言っても、朝夕の礼拝に参加しなくてはならない。そこで神聖語リタが唱えられるのだ。そんなところに好き好んで行く魔族はいない。


 だが、雷韋は陸王の言葉に不満を漏らす。


「なんでさ。いいじゃん、教会の宿舎」

「御免だ」


 言うと、雷韋が続けようとしていた言葉を遮って歩き出していた。そうして前を向いたまま、捨て台詞のように言う。


「宿がなけりゃ、その辺で野宿してもいいんだ」

「陸王!」


 雷韋は陸王の言葉に不安を覚えて、大声で陸王を呼ばわったが、彼は振り向くこともしなかった。


 そしてひとちるように言ったのは紫雲だ。


「困りましたね。あの格好で道端で寝るなど、誰になんと思われることか」

「不審者丸出しだもんな」


 紫雲の言葉に返す。


「せめてお湯だけでも使って欲しいのですが」

「う~ん、兎に角あと追おうぜ。このままここにいたって意味ないんだから。それに陸王を放っておけないし」

「そうですね」


 頷いて雷韋と共に陸王のあとを追い始めた。

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