夢の顕現 二

 辺りが更に騒がしくなっていった。ざわめく声や瓦礫を取り除く音が、組織的なものに変わっていく。これまでの有象無象のざわめきや物音ではない。


 誰かが組織的に人々を動かし始めたのだ。そのせいか、陸王りくおうの近くまで人がやって来た。


 瓦礫を一斉に動かす音、声のかけ方。それぞれが組織だっていて、やがて陸王の目の前にも見知らぬ男が現れた。


「おい、あんた! 大丈夫か!?」


 胸の傷を見て、男は慌てて声をかけてきた。そして次に、人を呼び始める。それに伴って、瓦礫を踏み分けてやってくる足音が複数近づいてきた。現れた男達の中に、陸王は知る顔を見つけた。


 紫雲しうんだった。


 それを見て、なるほどと思う。


 修行モンク僧なら、率先して人を動かすことに長けているだろう。それで有象無象だった人々が組織的に動き出したのだ。ほかにも自警団が動いているのだろう。


「陸王さん! この傷は……」


 流石に言葉をなくしているようだった。陸王は未だに呼気と共に血を吐き出しているのだ。片肺がこんな形で潰れているなら、普通は助かっていない。それでも生きているのは魔族だからだ。普通の人族ひとぞくとは生命力が違う。


 紫雲は周りの男達に声をかけた。


「誰か、鋸を持ってきてください。胸に突き立っているこの杭を短く切ります」

「短く切って、どうするんです? もう、この状態じゃ助からない」


 誰かがそう言う。だが紫雲は諦めるつもりはないようだった。


「出来るだけのことはしたいんです。だから、鋸を早く」


 その遣り取りを聞いていて、陸王は意見した男の言うとおりだろうと思う。普通なら、卓の脚を胸から引き抜くことが出来ても、傷を塞ぐことは出来ない。肺に大きな穴が空いているのだ。しかも、おそらくは機能していない。脚を取り除いたところで、逆に大出血を促してそれで終わりだろう。


 紫雲がいくら神聖魔法リタナリアを使えると言っても、神聖魔法には傷を癒やす術は存在しない。飽くまでも、魔族を縛める術でしかないのだ。


 だが、陸王にはそのすべがあった。根源魔法マナティアには回復の術がある。この際、精霊魔法エレメントアを使える者がいればいいのだが、雷韋らいはどこにも見えない。生と死と再生を司る大地には、大きな癒やしの力がある。また、その大地に根付く植物の精霊にも、癒やしの力が与えられていた。少なくとも植物の精霊魔法をかけて貰えれば、体力までも回復してくれるはずだった。しかし結果として、陸王も紫雲も精霊魔法を使えない。それでも、根源魔法の回復の術があれば、怪我自体は治せる。


 紫雲が鋸を求めている傍で、陸王は胸を貫いている脚を掴んだ。


 それを見て慌てたのは紫雲を含む、周りの男達だった。


「陸王さん、動いてはいけません!」

「あんた、何する気だ」

「やめろ、肋骨まで折れるぞ」

「肋骨が折れたら肺に刺さる。じっとしてろ」


 皆が口々に言うが、陸王は紫雲になど助けられたくないのだ。


 鋸で脚を短くすれば、肋骨にも肺にも無理をかけず、そのあとは無理矢理にでも自力で起き上がれるだろう。手を貸して貰えるなら、尚、助かる。


 だが、陸王はそれを拒絶した。肺を傷つけようが、肋骨が折れようが何をしようが、全て自力で始末を付ける。傷口を塞ぐのも、自力でどうとでもなるのだから。


 だから、脚を両手で掴んで、無理矢理力をかけた。途端、激痛が走る。これまでも痛み自体はあったが、それとは比較にならないくらいの激しい痛みだ。


「陸王さん、やめなさい! 死にますよ!」


 紫雲が力を込める手を押さえる。が、それでも陸王は力を込めた。肋骨に圧迫を感じ、あまりの痛みに視界がぼやけてくる。あまりの痛みに鳥肌まで立つ。力を込めれば込めるほど、気管を這い上がってくる血液は増した。


 吐血しながら脚を折ろうとする壮絶な姿に、周りの男達は言葉をなくして、僅かに後退あとじさっていた。


 と、急に卓の脚が斜めに傾いだ。その直前、鈍い音がしたのを皆が聞いている。


 肋骨が折れたのだ。


 胸からも口からも、ほぼ同時に血が吹き上がる。


 男達の中には、その場から逃げ出す者も現れた。当たり前だ。こんな異常な状況をの当たりにして、逃げ出すなと言う方が無理な話だ。


 それくらい、陸王のやっていることは常軌を逸していたのだ。


 ここまで来れば最早、陸王の上半身は血塗れだった。顔面のほとんども血で汚れきっている。陸王一人の出血のせいで、周囲は生臭くなっていた。


 陸王は斜めに傾いだ脚を、今度はゆっくりと引き抜く動きに変えていく。肋骨だけでなく、脚そのものも根元から折れたのだ。その感触は陸王にはつぶさに伝わっていた。己の身体に起こることなのだから当然だが。けれど、胸の痛みが酷すぎて、身体全体どこもかしこも痛みに襲われていた。


 陸王は大きく息をつき、呼気を吐き出すときに一緒に血も吐き出したが、胸から脚を引き抜くことに成功した。一瞬、全身から力を抜き、しかし次の瞬間には、既に動き出していた。


 右手を右胸に押し当てる。


 回復の術を行使するためだ。


 その一連の流れを見ていた紫雲が、「神よ」と小さく祈りの言葉を口にしていたが、それがなんだというのかと陸王は思った。神々は地上から退しりぞいて久しい。神に祈ったところで、何もしてやくれない。


 それどころか陸王は魔族だ。堕天して魔族に転化したわけではないが、天慧の呪いは身に受けているのだ。魔族として母の胎内に宿った瞬間から。


 そんな存在に、天慧が何をしてくれると? 己が呪った種族だ。見殺しにしても、助けてはくれまい。


 陸王は咳き込みながら、回復の術を行使し続けた。術を行使すれば、自分がどれほど酷い怪我を負っているのか分かる。力技で脚を引き抜いたため、右の肋骨はぼろぼろになっていた。肺もずたずたに穴が空いて、塞ぐのに時間がかかりそうだ。しかも、それだけではない。左足、脛の部分の骨が折れて、肉を突き破っているのまで分かってしまった。脛の骨折を治すにも、相当な胆力がいりそうだ。


 うんざりする。


 そこで紫雲が話しかけてきた。


「陸王さん、貴方をここから運び出します。教会に移って、手当を受けてください。助かるかどうかは、貴方の体力次第でしょう」


 心配するが故の厳しい顔つきになっていた。だが、陸王は小さく笑い飛ばした。


「誰が。それに今、回復の術をかけてる。このまま放っておいてもじきに治る」

「回復の術が使えるんですか?」


 紫雲は驚きの表情で問うてきた。


「でなけりゃ、あんな真似はしねぇよ」


 さっきから息も切れ切れだったが、出血は少しずつ治まってきていた。吐き出す血の量も減っている。


 それを確かめるように見て、紫雲は男達に陸王の下半身を覆っている瓦礫を退ける作業に移らせた。


 それに伴って、下半身が軽くなっていくのを感じていたが、誰かの息を飲む音が聞こえてきた。骨折している部分が露出したのだろう。


「こりゃ酷ぇ」と誰かが呟いた。

「陸王さん、足も骨折していますよ。胸に負けず劣らずの酷い怪我です」

「んな事ぁ、回復の術をかけたときから気付いてる。自分で治せる。放っておけ」

「しかし、この怪我も……」

「俺に構うな。お前らはほかに生き埋めになってる奴らでも捜してろ」


 その中に、雷韋もいるかも知れないのだ。怪我が治ったら、すぐに雷韋を捜さなければと思う。

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