凪 六

 食事を摂ったあと時間が随分と余ってしまったが、三時課さんじか(午前九時)近くになってから東門へと向かった。


 門前には何台もの荷馬車が止めてあり、それを囲むようにして傭兵や、町を出る巡礼者で溢れ返っていた。


 雷韋らいはその中をちょろちょろと行き来し、陸王りくおうを辟易とさせる。雷韋のあとをついていくだけで、必ず他人とぶつかるのだから嫌になるのも当然だ。雷韋は小猿然として、全く誰にもぶつからずに歩いているが。


 陸王は、僅かの間ではあったが、これ以上人にぶつかって文句を言われたり、邪険な目で見られたりすることに嫌気が差して、途中で雷韋の首根っこを捕まえた。


「どこに向かってる」

紫雲しうんを捜してんだよ」

「あいつを捜すならこんな広場のど真ん中じゃなく、端だ、端。もしここにいるなら、これから入ってくる連中を待ってるんだろうからな。全体が見渡せる場所にいるはずだ」

「あ、そっか」


 今気付いたばかりという風に雷韋が声を上げる。


 その雷韋を引っ張って、門前広場から抜け出した。紫雲がここにいるとして、広場の左右どちらにいるかは分からないが、取り敢えず陸王は左に移動してみることにした。


 広場の端を歩き、城門が見える場所まで移動する。と、陸王の目が一点に突き刺さった。


 紫雲がいたのだ。建物に背を預けるようにしてもたれ掛かっている。


 陸王は反射的に殺気を放っていた。


 その違和感に気付いたのか、紫雲がすぐにこちらを振り向き、陸王の姿を見つけると剣呑な目で見返してきた。が、すぐに視線が外される。陸王の隣で、紫雲に向かって手を振る雷韋に気付いたからだろう。


 その時の紫雲の目は、陸王を捉えたときとは全く別の色を呈していた。


 もの柔らかで、優しい暗褐色の瞳。


 それに迎えられて、雷韋は小走りに走って行った。そのあとに陸王も続く。


「紫雲!」


 早朝よりはずっと元気な声で紫雲の名を呼ぶ。


「お早うございます、雷韋君。来ていたんですね」

「うん、そうなんだけどさ……」

「どうかしましたか?」


 雷韋が急にしゅんとしてしまったので、紫雲は不可思議そうな顔つきになる。


「俺、さ。もう、魔剣のこと、調べらんなくなった。ちょっと、色々あって」

「あぁ、それでそんな顔を」


 紫雲はにこりと笑って、先を続けた。


「これは元々、私の仕事です。今まで気にかけてくれて、有り難うございました」

「いや、そんなのいいけど。それでも一応な、東の町には行ってきた。でも道中も、東の町も、どっちにも変なことはなかったから、それだけは伝えたくて」

「有り難う。その情報だけで充分ですよ」

「でも途中、分かれ道が沢山あった。だから、そっちから来る人で、何か知ってる人がいるかも知んねぇ」

「そうですね。当たってみますよ」


 そこには落胆の色など欠片もなく、相変わらず穏やかな笑みを浮かべて紫雲は答える。


 そんな紫雲の顔を見て、雷韋は思いきったように言葉をかけた。


「俺達、まだまだこの町にいるから、もし……」


 そこで陸王の言葉が邪魔をした。


「雷韋、もういいだろう。伝えるべき事は伝えたはずだ」


 その言葉に、雷韋は半分困ったような、半分残念そうな表情を浮かべて陸王を見遣る。同じように、紫雲も陸王を見遣った。


 そこに浮かんでいる表情はどこか胡散臭げな表情だった。垂れ目気味の目元も鋭い。紫雲の目は、陸王を射殺すようだった。


 しかし、それを陸王は真正面から見据えた。特段の感情もなく、ただ見据えるのみだ。そして、雷韋に声をかける。


「戻るぞ」


 そう言われて、雷韋には大人しく戻るしか手はなかった。紫雲に、町中で見掛けたら声をかけて欲しいと最後まで言えずに。


 雷韋は背を向けて歩いて行く陸王のあとを追った。肩越しに、幾度か紫雲を振り返りつつ。そうして紫雲を振り返る琥珀の瞳は、なんとも言えず悲しげだった。


 それでも陸王に追いつき、軽く文句を言ってくる。


「あんた、なんか知んねぇけど、俺と紫雲が話してるのだけでも面白くなさそうだ」


 その声音はねていた。


「あんなのと話して、何の益がある」

「魔剣のこと、話してただけじゃんか。利益とか関係ないよ。そんでももし利益っていうんなら、陸王が安全かどうか、それが重要なだけだよ」

「そいつは約束したはずだ。もう分かってるだろうが」

「だから紫雲に、もう手伝えないって言いに来たんじゃんか」


 そんな雷韋の頭に陸王は手を乗せた。


「今はまず、お前の身の安全確保だ。お前が見たのが予知夢ってんなら、そいつを変えてやらんとな」

「うん」


 幾分か真剣な声で返す。


「あんなのが本当になったら嫌だ。絶対」

「そうならん為にも、今日は宿で大人しくしてろ。明日は明日で、また気を付けにゃならんがな。もしかすると、今夜見る夢でまた何か分かることもあるかもしれん」

「夢、もう見たくない」


 雷韋は駄々をこねるように口にする。


 陸王はそれに対して、そうだな、と返して雷韋を連れて宿に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る