凪 三

 その夜、雷韋らいは寝台に腰掛けて足をばたつかせていた。雷韋曰く、まだ眠くないのだそうだ。いつもなら夕食後、さほど時間をおかずに眠ってしまうが、そろそろ晩堂課ばんどうか(午後九時の鐘)も鳴る頃だというのに、眠くないと言ってさっきから足を暇そうにばたつかせている。しかも裸足で。


 陸王りくおうはそれを傍目にして、吉宗の刀身に見入っていた。手入れはとうにすんでいるが、今夜に限って、卓についてランプの明かりに当てていたのだ。


「眠くねぇと思うから、眠くならねぇんじゃねぇのか? 床についたら、案外、さっさと眠っちまえるかも知れんぞ」


 陸王は自分でもかなりいい加減なことを言っているなと思ったが、なんだかんだ言っても雷韋の寝付きはいい。横になったら、本当に眠ってしまうかも知れなかった。だからこその言葉でもあった。


「そうかな? 眠れなくって、ただ横になってるのって結構辛いぜ」

「そんな経験がお前にあるのか」

「そりゃ、俺にだってそんくらいのことあるよ~」


 その雷韋に、陸王はちらと視線をやった。


「そろそろ晩堂課が鳴る。そうしたら、俺は灯りを消して床に入るからな。そのあとは知らんぞ」

「灯りくらい消えたって平気だもんね~」


 雷韋は舌を突き出して陸王に言う。灯りがあろうがなかろうが、雷韋の目は猫目だ。星明かりさえあれば、闇の中でもものを見ることくらい出来る。


 だが、陸王はそれを否定した。


「灯りのあるなしの問題じゃねぇ。どうせお前には闇の中でもものが見えるんだろうからな。だが、静かにしていろって事だ。煩くされちゃ、俺が眠れん」


 それに対して、雷韋は面白くなさそうに呻き声を上げる。


「なんだ」


 雷韋の呻きに何かあるかと思って声をかけた。


「眠くならないのって、今日、ゆっくり寝たからかなぁ? 陸王、ゆっくり寝かせてくれただろ?」

「さて、それはどうだかな。一仕事終えて、興奮でもしてるんじゃねぇのか」

「そっちかなぁ? う~ん」


 そのまま暫く雷韋は考え込んだ。考え込んで、言うのだ。


「それとも、また変な夢見るかもって無意識に思ってるのかな?」


 陸王はそれを聞いて、小さく頷く。


「そいつはあるかも知れんな。昨夜は疲れていたから、たまたま見なかっただけかも知れん」

「でも、普通の夢は見たぜ」

「あの支離滅裂な夢な」


 雷韋はその言葉に少しむっとした顔を向けた。


「夢なんてそんなもんだろ? それとも、理路整然とした夢見んのかよ、あんたは」

「俺はほとんど夢なんざ見ねぇからよく分からん」

「だったら人の夢に文句付けんな」

「文句じゃねぇ。事実だ」


 陸王の淡々とした返答に、雷韋はねた風な声音で文句を返した。


「なんだよなぁ、もう。いいよ、寝てみっから」


 言って髪の結い紐を解いて横になると、上掛けを頭まで被る。


 陸王はその雷韋に声をかけた。


「今夜も支離滅裂な方の夢を見ろよ」

「知るか!」


 くぐもった声が返る。


 陸王はそれを聞いて、小さく笑んだ。刃を目の前に、このまま少し雷韋の様子を見ていようと思う。いきなりうなされることはないとは思うが、やはり気にかかったからだ。


 部屋の中がしんと静まりかえると、階下から賑やかしい物音や声が聞こえてくる。それに耳を傾けていると、やがて晩堂課がなり始めた。


 それをしおに階下が一斉にざわつき、すぐに静かになっていく。食堂が閉まる時間だからだ。さっきざわめいたのは、帰宅する者、二階へ上がる者に分かれたためだ。その証拠に、今は廊下がざわついている。二階へ上がってきた泊まり客の声や足音だ。それがそれぞれに部屋に入っていくと、そのあとは完全に音が止む。


 廊下の方から雷韋の方へちらと視線をやったが、もう眠ってしまっているらしく、被った上掛けが規則正しく上下しているばかりだった。


 その事に一安心する。喧しく騒がれても、雷韋は目も醒まさない。身じろぎ一つしなかったように思う。


 陸王はその事に長嘆息をついて、吉宗の刃を鞘に収めた。そうして、ランプの灯りを消すと吉宗を寝台の枕辺に立てかけ、靴を脱いで上着を脱いでから寝台に横になった。引っ張り上げるようにして上掛けを掛けると、そのまま目を閉じる。


 雷韋よ、安らかであれ、と願いつつ。


 そのあと、どのくらい眠っただろうか。短くも長くも感じた。その中で、雷韋の苦しそうな息づかいが聞こえて、陸王は飛び起きた。


 雷韋の寝台に目を遣ると、上掛けから覗く雷韋の表情が、青い月明かりに照らされて歪んでいるのが目に入った。すぐに雷韋の元へ行き、その頬を張る。


「雷韋、目を醒ませ」


 二度三度と頬を張ると、急に雷韋は大きく息を吸い込んで目を醒ました。だが、息は完全に上がっている。


「大丈夫か?」


 雷韋の身体が小刻みに震えているのを抑え込むように、陸王はその肩に手を置いた。


「雷韋」


 落ち着かせるように、静かに名を呼ぶ。


 名前を呼ばれ、雷韋の瞳が陸王の方へと向いた。その瞳は怯えきっている。またよくない夢を見たのだと知れた。


 それを宥めるように声をかける。


「怖くねぇ。大丈夫だ」

「でも……」

「今、お前は宿にいるんだ。それとも、ここで何か起こる夢を見たのか?」

「違う。外だった。でも、町の中とかじゃなくて、森の中みたいだった。そこに魔族が……」


 震える声で告げられたとき、陸王は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。


 雷韋は今、確かに『魔族』と言ったのだ。


 まさかと思う。遂に自分の正体を知られてしまう夢でも見たのだろうかと。


 陸王は一拍置いて問い返した。


「魔族がどうした」

「頭が異様に大きくて、真っ赤な目をした小男が、俺をにやにや笑いながら見下ろしてたんだ。魔族の紅い目が怖くて、それに魔物もいた。でも、身体が上手く動かなくて、どうすることも出来なくて。人もいた。沢山だ。みんな怪我してて、呻いてた」


 半分泣きそうな声音でそこまで言うと、雷韋はぎゅっと目を閉じた。


 それを聞いて、やはりこれは雷韋の予知夢だと思った。夢の内容が日を追うごとにはっきりしていっている。今夜は場所まで分かっているのだ。


 町の外。


 森の中。


 怪我をしたほかの人々。

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