凪 二

 道中、雷韋らいは飽きもせずに鼻歌を歌い続けた。陸王りくおうはそれがなんとなく気になって、雷韋に問う。


「そいつはどんな言葉だ?」

「は?」


 再び急に振られて、雷韋はぽかんとする。


「精霊の唄ってのは精霊の言葉だろう。精霊は何を言い交わしているんだ」

「あぁ、そういうことか。ん~、『なんて天気がいいんだろう』とか『風の精霊も機嫌がいい』とか。俺がずっと歌ってるのは植物の精霊の唄だよ」

「ほかの精霊の唄は歌わんのか?」

「風の精霊達はあっという間に消えちまうし、大地の精霊の唄は音階が難しいからなぁ。ほら、俺はまだ大地の精霊魔法エレメントアには詠唱と印契いんげいが必要だろ? だから、大地の精霊の唄は難しくて、あんま上手に歌えない」


 雷韋の精霊魔法のほとんどが言霊封じだが、大地の精霊は原初神である光竜こうりゅうと一体化していて威力が大きいため、言霊封じに昇華している魔術がないのだ。精霊そのものを動かすくらいは出来るが、言葉を解するのは今の雷韋には難しすぎた。決して歌えないことはないが、植物の精霊の唄ほど流暢に歌えないのだ。


「難儀な得意技だな」

「そんなの、精霊使いエレメンタラーなら誰だって得意、不得意があるよ。俺のせいじゃねぇよ」


 雷韋独特のねた調子で言い返してくる。


「この世界を混沌から隔離しているくうの精霊の唄も無理か」

「そんなん、風の精霊の唄より無理だってば。空の精霊は天高くに集まってる。声なんか拾えないよ」


 この世界は混沌の中に浮かんでいる。混沌には全てがあり、全てがない。その混沌から世界を隔絶しているのが空の精霊だ。空の精霊は天上高く、世界の果てまで広がっている。人の世界を護りながら、人からは最も遠い存在でもあった。故に、その声を聞くことは至難の業だった。


 雷韋も全ての精霊と契約していると言っているが、空の精霊とは契約を果たしていない。あまりに遠くにありすぎて声を拾うことが出来ないのだから、それはどうしようもないことだった。


「俺が普段歌ってるのは植物の精霊の唄だって言ったろ? どこにでもいるからな。植物は大地とも繋がってる。だから、植物の精霊が穏やかなら、その場所も健やかって事になる」

「いちいち面倒だな、精霊ってのは」

「面倒なんかじゃないよ。ちゃんと理に従ってるだけだ。精霊の流れを読めば、大体のことが分かる。逆に便利だよ。例えば、風の精霊が荒れ始めたなら、天候が崩れる前触れだし。でも今は大丈夫だ。風の精霊も穏やかに流れてる。あっという間に通り過ぎてっちゃうけどな。風の精霊は世界を駆けずり回ってるから」

「だが、無風って時もあるだろう」


 陸王のその言葉に、雷韋は「とんでもない」と言う風に、大きく首を振った。その拍子に、赤い耳飾りが揺れる。


「無風の時なんてない。地上では風を感じなくても、上空じゃちゃんと巡ってるんだ。風が動かない時なんてない。忙しなく、行ったり来たりしてるよ」


 言って、雷韋は拳を腰に当てる。その様子は、「なんにも知らないんだな」と言っている風でもあった。


 実際、精霊使いではない陸王は、精霊のことについて知らないことの方が多い。だから、ただ鼻をふぅんと鳴らすだけだった。


 そんな道中を過ごして、夕方には二人は町に辿り着いていた。晩課ばんか(午後六時の鐘)が鳴れば、城門が閉じるが、店も閉まってしまう。市が立っていても同じだ。皆、店じまいを始める。斡旋所も晩課が鳴れば閉まってしまう。


 晩課が鳴っても閉まらないのは食堂や酒場、宿くらいのものだ。娼館は晩課が鳴ると開いて、一時課いちじか(午前六時)の鐘が鳴ると閉まる。


 二人が町に辿り着いたのは晩課が鳴るよりももっと前だった。だから町に入って、その足ですぐに斡旋所に向かうことにした。さっさと証書を換金したかったからだ。


 そして、明日一日休んで、翌日にはまた護衛の仕事が待っている。だから、換金したらすぐに宿を探すつもりだった。


 たった一日、一晩いなかっただけで、戻ってくると、やけに懐かしさを感じた。斡旋所までの道のりも、どこかほっとする気持ちが湧いてくる。


 そして斡旋所で換金を済ませ、二人は今夜からの宿を探すことにした。けれども、宿はどこを当たっても満室か、一人部屋が一つ空いていると言ったていだった。こうなったら、せめて個室のある木賃宿きちんやどを当たってみようかとまで思いながらも五軒目の宿に入ってみると、幸いなことに二人部屋が空いていた。ほかにも一人部屋が二部屋空いていたが、雷韋のことがある。昨夜は何事もなくすんだが、今夜はまたどうなるか分からない。陸王は迷わず二人部屋を選んだ。


 部屋に入って旅装を解いていると、晩課が鳴り出したのが聞こえてくる。陸王が窓の外を見ると、残照だけが残った窓外まどそとが窺えた。


 その様子を雷韋が見ている。窓から入ってくる残照に照らされた陸王の瞳は、常と変わらずに黒い。雷韋はなんとなく思い出していたのだ。一度だけ綺麗なあかに染まっていた陸王の瞳を。あれから一度も陸王の瞳が紅く見えたことはない。今のように残照に照らされたとしても。もう一度だけでいい。あの紅い瞳を見てみたいと思う。


 とても綺麗だったから。


 その視線を感じて陸王は雷韋をふと見た。


「どうした」

「別に。腹減ったな、と思ってただけ」

「なら、飯を食いに行くか」

「うん」


 そう言葉を交わして部屋をあとにした。

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