第七章
凪 一
夜中、
朝は
すぐに
それを見て、陸王はほっとした。夜中、雷韋の寝返りの気配に何度も目を醒ましたが、陸王も寝不足だったせいか、雷韋を意識するほどはっきりとした覚醒ではなかったのだ。だから昨夜、何事もなく眠っていてくれたことに心底ほっとした。
寝台から下りて、雷韋の側に行く。肩を軽く揺らしてみるが、相変わらず目を開ける気配はない。ぐっすりと眠っている。
その様子に、それならそれでいいと陸王は思った。このところ、まともに眠れていなかったのだ。それがやっと安堵して眠れたのだから。だったら、今はそっとしておこうと思った。そして、こんな事も思う。
ただし、それでも目を離すことはしようと思わなかったが。これから眠りが浅くなって、悪夢を見る可能性だってあるのだ。それがある限り、目は離せない。
陸王は先に身仕度を調えると、靴を履いたまま、寝台で横になった。そうして窓の外を眺める。
今日も天気だった。空にぽつぽつと白い雲が浮かび、ゆっくり流れていく。だがその雲だって、天候を崩すような類いの雲ではない。晴れの日によく見掛ける雲だ。
時折、雷韋の様子を窺いつつ、上空を流れていく雲を眺めながら陸王は
「雷韋」
一応、肩を揺すってみる。それだけで起きないのは分かってはいたが、二度三度と雷韋の肩を揺すり続ける。
「起きろ、ガキ」
それでも雷韋は目を醒まさなかった。何かを考え込むように難しそうに唸るが、本人は何も難しいことなど考えていないのは表情から知れた。だから結局、最後には頭を引っ叩く羽目になる。
「いって!」
朝にこれを聞くのは久方ぶりだ。昨日の夕方も聞いたが、朝に聞くと、雷韋を起こしているという感慨が深くなる。そして同時に、よく眠れている証拠でもあるのだ。雷韋の寝汚さが心地よく感じられるのは、これまでで初めての経験だった。
そんな事に対してもほっとしている自分に、陸王は少しおかしくなる。
が、雷韋はその陸王を見て面白くなさそうな顔であった。
「何にやけてんのさ。人の頭引っ叩いておいて」
「いや。よく眠れたようでよかったな」
そこで、はたと雷韋は我に返る。
「あ、そっか。俺、うなされなかったんだ」
今更になって気付き、少年も破顔した。
「ほら、支度しろ。そろそろ三時課になる」
「俺、そんなに寝てたのか? つか、寝かせてくれたのか?」
「夢見が悪くなかったのは久しぶりだからな」
その言葉に雷韋はこくんと頷いて、寝台から下りて大人しく支度を始める。そして、
「あ~、俺、昨日は髪
ぼさぼさの頭を触りながら言う。
そう言うからにはすぐに櫛を使うのかと思えば、先に顔を洗い始めた。その際、ぼさぼさの髪が洗面器の水に浸かってびしょびしょになる。
陸王も、流石に見かねた。雷韋の荷物袋の中から手拭いを取りだし、濡れた髪を拭いてやる。
「あんがと、陸王。でも、顔も拭きたい」
「ちょっと待ってろ」
決して丁寧ではないが、丹念に水気を拭ってから、手拭いを雷韋に渡してやる。
「髪、あんがとな~」
顔を拭きながらだから声が籠もるが、礼を言った。それから雷韋は寝台の方に戻って、髪を
その様を、陸王はなんとなしに眺めていた。雷韋が髪を結うのを始めて見たわけではないが、なんとなく、ここ最近では一番手際がいいと思ったのだ。
「おっし! 出来上がり。飯食いに行こうぜ。腹減ったよ」
櫛と手拭いを荷物袋に纏めて入れると、口を結ぶ。
「そうだな。行くか」
そう答えて部屋を出る。
朝食の席で雷韋は、昨夜は久々に普通の夢を見たことを語った。
話を聞くと、所詮夢の話だからだろうが、纏まりがなく、全体的に支離滅裂だった。夢の話なのだからしょうがないが。だが、雷韋はそれを楽しそうに話すのだ。その様子からは、一切、疲れは読み取れない。体調も完全に元に戻ったと言っていいだろう。陸王は、雷韋の話す夢の内容は話半分だったが、雷韋の様子は窺っていた。本調子となれば、戻りの道行きは楽になる。どんなに遅くとも、夕方には町に辿り着けるだろう。
雷韋が夢の話をしながら朝食を摂っている最中に、三時課の鐘が鳴り始めた。その時点で、陸王も雷韋も、食事はまだ半分程度しか食べていなかった。けれど、焦ることはない。今日は時間がある。
食事を終えて、部屋に戻ってからすぐに二人は旅装を整えると、給仕していた娘に鍵を返して、水袋の水を交換して貰ってから宿を出た。
外はやはり天気がよかった。早朝よりも雲の流れが幾分速く思えるが、曇りになることはないだろう。
そのまま町を出たが、陸王も充分体力を回復していたので、自然と足運びが早くなる。その分、町に辿り着くのが早くなると言うものだ。雷韋は少し早歩きになるが、その程度ならついてこられる。そもそも陸王の早い足運びには慣れているから、文句さえ出ることはない。
「雷韋。精霊の様子はどうだ」
道行きで急に問われたので雷韋は瞬間ぽかんとしたが、それでも答える。
「悪くないよ。精霊は今日も穏やかだ。それがどうかしたか?」
「いや、一昨日の夢があっただろう」
それを聞いて、雷韋は少し困り顔になる。
「あぁ、魔物の夢」
「魔物がいるなら、精霊の気配で分かるんだな?」
「うん。有害、無害、両方な。でも、害のある魔物だって、そうそう人の近くには潜伏したりしないよ。害があるって言っても、
「そういうもんか」
「うん、そういうもん」
「だったらいいが」
一つ頷いて、陸王は先を急いだ。
その隣をちょこちょこと早歩きで雷韋もついていく。途中からは鼻歌を歌っているくらいだった。それも精霊の唄を。だから、音階が滅茶苦茶だった。
精霊の唄は精霊達の密やかな話声だ。言葉だから、当然、言葉の高低がある。けれども、それは人の言葉とは違う。人には連なる音階のように聞こえるのだ。だから、その唄をそのまま歌うと、音階の外れた音痴な鼻歌に聞こえる。別に雷韋が音痴なわけではない。
今では陸王も分かっているし慣れているが、初めて雷韋の鼻歌を聞いたときには、酷く驚いたものだ。
しかし、雷韋が精霊の唄を歌うという事は、精霊達が安定している証拠でもあり、雷韋の機嫌も調子もいいという事だ。でなければ、鼻歌など歌わない。その証拠に、昨日は鼻歌を歌わなかった。
さっき雷韋は『精霊は今日も穏やかだ』と答えた。と言うことは、昨日も精霊の様子におかしなところはなかったという事だ。だと言うのに、雷韋は鼻歌を歌わなかった。そんな余裕すら失せていたのだ。
全く今日は幸先がいい。
陸王は腹の中でそんなことを一人、密かに呟いていた。
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