続く悪夢 三

 宿に戻ってから、陸王りくおうと共に昼食を摂り、そのあと暫く市の話を雷韋らいがしていたが、いい加減になって風呂に入ることになった。ここ数日の汗とほこりを落とすためだ。いい加減、汚れている。湯を頼めば、部屋に木製の湯船とお湯を運んで貰えるのだ。入ったあとも、使ったお湯や湯船を始末して貰える。特に石鹸を持っていない二人だから、風呂に入ると言うよりも、湯を使った行水に等しい。それでも湯を使えばすっきりするから、それで充分だった。ただ、風呂に入ったあと、雷韋は絡まった髪をほぐすのに必死になっていたが。


 窓辺で椅子に座って夕風に当たりながらその様子を見ていた陸王が、


「髪なんざ切っちまえ」


 と乱暴な言葉を吐いた。


 が、雷韋は驚いた顔をして陸王を見る。まるで、とんでもないという風に。


「髪切るなんて絶対にやだ! 鬼族は髪の毛をなるべく切っちゃいけないって、師匠に言われてんだ。魔力が落ちちまうからって」

「なんだ、そりゃ」


 気の抜けた口調で言い遣る。


「なんか知んないけど、そういう風に伝わってるんだって」


 必死に髪を解しながらの言葉。


 だが、解している髪は既に乾いていた。湯から上がって、身体も髪も濡れたまま服を身に着けると、雷韋は火で身体を覆ったのだ。たった数秒、火に包まれただけで、雷韋の身体も髪も乾いていた。精霊のなせる技だ。


 雷韋の守護精霊は火だ。守護精霊とは、その種族それぞれに付き従う精霊を言う。例えば雷韋は鬼族であり、鬼族の守護精霊は火だ。その為、雷韋が一番始めに契約したのも火の精霊だった。守護精霊は精霊使いエレメンタラーとして、一番初めに契約出来る精霊でもある。そして、雷韋の精霊魔法の主軸は火の精霊魔法だ。守護精霊が火であるから、それは動かしようもない。守護精霊と契約すれば、その属性の精霊からは害を受けることもなくなる。雷韋はどんな業火に包まれようが、火傷一つ負わない。それは火の精霊が護るからだ。


 だから今も、火傷一つ負わずに火の精霊に命じて髪と身体を乾かすことが出来たのだ。


 雷韋は自分を乾かしたあと、陸王も乾かそうかと尋ねたが、陸王はそれを拒否した。日に日に暖かくなっていく中で、髪を濡らしたまま夕風に当たりたかったからだ。だから今も、陸王の髪は中途半端に濡れている。ただ、身体や髪を乾かして貰う代わりに、陸王は使っていた手拭いを乾かして貰った。今もその手拭いを首に引っ掛けている。乾かして貰ってから、陸王はその手拭いで髪を拭ってそのままなのだ。


 雷韋が言うのを聞いて、陸王は窓の外に視線を移すと呆れたように言う。


「髪、切ったことねぇのか?」

「あるよ。ある程度長くなったら少しずつ切ってる。長くなりすぎても意味はないって聞いてるから。だから鋏、持ってるよ。前髪だって切ってるし」

「次に切る機会があったら、俺が切ってやろうか?」


 それは笑い混じりのていだった。そこに嫌な予感を感じて、雷韋がぶすくれて陸王を見遣る。


「やだよ。絶対、変に切る~」

「俺なら、問答無用でばっさりやってやるんだがな」

「冗談じゃないよ」

 もつれた髪をなんとか解し終わって、雷韋は櫛で毛先を揃えながら文句じみて言う。


 雷韋のその言い口に、陸王は小さく笑った。


 それを耳にして、雷韋は陸王に目を遣った。窓の外を眺める陸王の目は、黒いいつもの色を呈している。夕陽を背にしているから、残照の影響もない。それを見て、どこがほかの人間と違うのかと雷韋は考えた。紫雲は違和感を感じたと言うが、雷韋は違和感を感じない。


 こうして改めて見ていてもだ。


 陸王は夕方の街を眺めながら、ふと視線を感じて目を遣る。


「どうした」


 何気なく聞くも、雷韋は何も言わなかった。ただじっと陸王を見ている。そのまま視線が合って、数秒。先に表情を変えたのは陸王だった。


 眉間に怪訝そうなしわが寄っている。


「なんだ、じっと見て」

「ん~……、なんでもない!」


 雷韋は陸王の視線から逃れるように目を逸らし、今度は丹念に髪に櫛を使い始めた。そして、言うのだ。


「髪が短いと落ち着かないとかない?」

「なんだ、いきなり。長い方が落ち着かんだろうが。お前の頭を見ているだけで、邪魔くさくてしょうがなくなる」

「あ! 寝てる間に髪切るのとかなしな!」


 雷韋は陸王に目を遣って、大きな声で注意した。


 それがおかしかったのか、陸王はにやりと笑う。


寝汚いぎたねぇお前のことだから、頭をつるつるに剃られたとしても気付かんだろうな」

「だから、やだよ!」


 ねて唇を尖らせる。


 そんな事を話しているうちに、晩課ばんか(午後六時の鐘)が聞こえてきた。外もさっきより暗くなり始めている。日没は間近だ。


「飯、食いに行くか」


 陸王が声をかけ、窓辺に置いた椅子から立ち上がると、雷韋も頷いて立ち上がった。櫛は寝台の上にほっぽり出していく。戻ってきたらまた使うつもりだ。陸王も手拭いをぞんざいに椅子の背凭せもたれに引っ掛けている。


 そうして階下に下りて、夕飯を食べた。


 その様は、相変わらず雷韋が口にものを入れたまま喋って口から食べ物を散らかし、それを陸王が注意しつつ、最後には半ば諦めた陸王が頭をひっぱたくという、いつもの食事の風景だった。


 そしてその夜、夜半、雷韋はまたうなされた。陸王にすぐに起こされて、雷韋は目を醒ました。その顔色は、月明かりのせいもあるだろうが、酷く悪かった。


「大丈夫か?」


 起き上がった雷韋の肩に手を乗せて、静かに問うてくる。


「嫌な夢見た」


 言う声は微かに震えていた。


「どんな」


「横になってて、身体が思うように動かない。それを魔物に見下ろされてるんだ。周り囲まれて」


「どんな魔物か覚えているか?」

「うん。人に害のある奴らだった。頭が豹で、身体が犬。背中から尻尾までが蛇の。それが何匹もいるんだ。喉鳴らしながら見下ろされてて……、怖かった。それに、凄く嫌な感じがする」


 陸王は瞬間、考え込んでから雷韋に声をかけた。


「この間も昨日も嫌な感じがすると言ってたな。同じ感じか?」

「似てる。胸ん中がざらつく感じ。今の方がずっと嫌な感じがする」

「まさか、予感ってわけじゃねぇだろうな」


 雷韋は以前も嫌な感じがすると言っていたことがあった。その時は漠然と、悪い予感だと言っていた。その結果は、どうしようもない最悪な事態に繋がっていた。誰にもどうすることも出来ない事態に。


 そして今、続けてうなされ、嫌な感じがすると言っている。一昨日は夢の中身が思い出せなかったが、昨夜と今夜ははっきりと夢の中身を覚えていて、その内容を口に出した。また予感──今度の場合は予知夢という事になるが、それであれば何かが起きるのだ。


 それも雷韋の身に。


「前後は思い出せるか? もっと詳しく」


 陸王の言葉に雷韋は俯き、緩く首を振った。膝の上で組み合わせた手には力が入りすぎて、指先が白くなっている。それを見た陸王が手をほどいて、代わりに自分の手を握らせてくる。


「大丈夫だ。お前には誰にも何もさせん。お前は俺の生命の綱なんだからな」

「……うん」


 頷く声は酷く頼りなく響いた。


 陸王は雷韋を落ち着けるように少年の手をぽんぽんと叩いてくれたが、それに触発されたように、今更ながら雷韋は震え始めた。


 雷韋も暫く陸王の手を握っていたが、自分を落ち着かせようと大きく息を吸い込み、吐き出すも、やはりその呼気は震えていた。


 そんな雷韋の背中を陸王はさすってくれる。


 初めのうちは身体を震わせていた雷韋だったが、背中をさすられ続けるうちに徐々にその震えも収まっていき、最後に陸王に宥められる形で横にされた。陸王に握らされた手はそのままに、上から上掛けを掛けながら寝台に陸王は腰をかけて言ってきた。


「大丈夫だ。傍にいる。眠れそうなら眠れ」

「うん」


 答える呼気はまだ微かに震えていたが、雷韋はゆっくりと瞼を伏せていった。そのまま眠るかと思いきや、雷韋は途中、何度も目を開ける。


「眠れねぇか?」

「嫌な感じが消えないんだ」


 言う雷韋の言葉を聞いて、陸王は空いている手を雷韋の胸元に押し当ててきた。


「陸王?」

「上手くいけば、魂の共鳴が起こるかも知れん。それで少しは落ち着くはずだ」

「うん」


 もう一度頷いて瞼を伏せる雷韋だったが、やはり思ったようにはいかない。不規則に目を開いた。そして、そのたびに陸王の顔を見た。


「まだ駄目か?」

「さっきよりはずっといいけど、これって、やっぱり予感なのかな?」

「お前はどう思う」

「今までにも全くなかったわけじゃないけど、こんなに怖いのは初めてだ」

「予感を感じるたびに当たったか?」

「うん」

「だが、今度は大丈夫だ。俺がお前を一人にはしねぇ。夢に出てきた魔物も、俺が片付ける。心配する事ぁねぇ」


 そう言い聞かされて、雷韋ももう一度大きく息をつくと再び瞼を閉じた。そのまま雷韋もなかなか寝付けずにいたが、それでも朝方になってようやく短い睡眠を取ることが出来た。ただ寝起きの顔色は、夜中からほとんど変わってはいなかったが。

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