続く悪夢 四

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 昨夜のこともあり、食欲がないという雷韋らい陸王りくおうは無理に食事を摂らせて、三時課さんじか(午前九時)前には斡旋所へ着いた。


 三時課になると城門が開くので、その前に集合していなければならないのだ。


 斡旋所の中に入ると、いくつもの組が出来上がっていた。それぞれが護衛役と商人だ。


 陸王と雷韋も、すぐにこの間のカウンターの肥えた男に声をかけられた。


「来たな。あんた達はあそこの角にいる商人について行ってくれ。ほかに二人が一緒にいるのが分かるだろう?」


 そう言って男は、角の席を指さす。そこには席に着いている男と、傭兵風の男二人が立っていた。


 陸王は元気のない雷韋の背中を押し、その席の方へ近づいていった。近づくと、座っている男がこちらに目をくれる。


「侍と異種族の子供と聞いていたが、あんた達のことかい?」

「そうだ」


 陸王が返答を返す。それに頷いて商人は、


「そうか。じゃあ、三時課まで時間がない。急ごう。荷馬車はもう東門に到着しているはずだ」


 商人は立ち上がり、皆を先導して斡旋所をあとにした。その際、この護衛で一緒になる傭兵達と軽い挨拶を交わす。自分達も名乗ったし、相手も名乗ったが、その名前は頭からすぐに消えていった。


 そんな事よりも陸王は雷韋が気になったのだ。


 これから街道を一日かけて歩くというので少しは気を引き締めたようだが、本調子でないことは明らかだった。寝たのは明け方だったし、深く眠れたわけでもなさそうだったからだ。


 その点で言えば、陸王も体調がすこぶるよいとは言えない。夜半に雷韋がうなされてからずっと起きたままで寝不足だ。とは言っても、元々の体力が雷韋とは違うし、雷韋の場合、単なる寝不足に加味して、連日悪夢を見て精神的に追い詰められている。そこは違って当然だった。


 三時課の鐘が鳴り始めた頃、東門に到着した。門前広場で人々がごたつく中、商人が一人、幌の付いた荷馬車を前にこちらを見ていた。その男が軽く片手を上げると、一行を先導していた男も手を上げて合図を送る。と、馬車と共にいた男が御者台に上った。それに続けて、先導してきた商人も御者台に上って腰を下ろす。


「いいかい、あんたら。これから東にあるトランタの町に向かう。順調にいけば夕方前には着くだろう。それまで荷を護衛してくれ。まぁ、この辺りじゃ滅多なことはないが、追い剥ぎが出ないとも限らないからな。それじゃ、出発だ」


 言うだけ言って、先に乗っていた商人が驢馬ろば二頭の手綱を操って荷車を発車させた。


 進む街道は、荷車が擦れ違うだけの充分な広さを持っていた。


 荷馬車の右側に二人の傭兵が、左側に陸王と雷韋が着いて歩く。驢馬は丈夫で力もあるが、馬よりも足が遅いのが幸いした。そう急ぐことなくついて行ける。


 陸王は、このくらいの速度なら今の雷韋にもついて行けるだろうと思った。実際、陸王の前を歩く雷韋は特に遅れる様子も見せずに歩いている。


 出発したばかりの頃は、門前は出て行く者が先に出されて街道もごちゃごちゃしていたが、少しした頃、分かれ道に差し掛かり、半分はそこで消えた。残り半分は四台の荷馬車と、五人ほどの巡礼者に行商人が三人。


 それからまた暫く歩いて行くとまた枝道が現れ、そこで一台の荷馬車と行商人達が消えた。太陽が中天にかかる頃に、更に枝道が現れた。だが、そこでは消える者はいなかった。皆、一塊ひとかたまりになって街道を行く。


 昼に差し掛かっても特段昼休憩などは取らないから、歩きながら保存食を口にするしかない。しかし、その頃に消えたのは巡礼者だった。昼になったので、休憩するつもりなのだろう。荷馬車は止まらないから、そのまま進む。


 陸王は雷韋に言って、保存食の干し肉を食べさせた。陸王自身も背に負った荷から干し肉を一切れと水袋を取り出す。ほかの車の護衛達も、それぞれに歩きながら保存食を口にしていた。御者台でも昼になっている。


 と、ばらばらになって進んでいた荷車が、急に一列に並び始めた。


 何事かと思えば、対向車だ。二台あるようだった。


 そして、擦れ違う。互いに耳障りな車輪の音を響かせて。


 気が付けば、陸王達が付いた荷馬車が殿しんがりになっていた。そうして一列になったまま、その速度で進んで行く。


 と、そこでまた枝道が現れた。すると、一番先頭の荷馬車が方向を変えていく。


 これでこの街道を行く荷馬車は二台になった。


 護衛達はそれぞれにぽつりぽつりと言葉を交わしているようだったが、陸王と雷韋は町からこちら、ただ黙々と歩いている。雷韋の背中に緊張が漂っていて、陸王も話しかけにくかったのだ。おそらく夢の内容を反芻して、魔物が出るかどうか、それを気にしているのだろう。何度かその雷韋を宥めようと声をかけようともしたが、結局はやめておいた。


 夢の内容が内容だ。


 魔物が出るのではと、精霊の声に意識を集中しているのだろうから。魔物の類いがいれば、その近辺の植物の精霊達が騒ぐという。


 その時、車輪の音を邪魔するように、草ずれの音がした。


 はっとして音の方を見るが、そこには何もいない。


 自然、雷韋と陸王の足が止まる。


「雷韋、魔物か」


 吉宗の柄に手を乗せながら草原の方を注意深く見るが、


「いや、違う。動物みたいだ。魔物の気配じゃないって精霊が言ってる」


 その言葉にほっと息を零すと同時に、草原の中からふわりと尻尾が見えた。見えた尻尾の形状と色からして、狐だろう。


 陸王の肩から一気に力が抜ける。雷韋も気を抜いたようだった。


「雷韋、行くぞ。置いて行かれる」

「ん」


 そう言葉を交わして、荷馬車を追った。


 結局、異変らしい異変と言えるのは狐の出現だけで、二台の荷馬車は何事もなく夕刻前には町に着いた。その頃には、途中の分かれ道からほかの荷馬車や旅人が合流して、結構な集団になっていた。


 そして町に着くと、商人から護衛完了の証書を受け取り、宿を探すことになった。


「雷韋、平気か? 気分はどうなんだ」

「平気。ただ、流石に眠いかな」

「なら、さっさと宿を探すか」

「うん」


 門前から町中に入りながら、言葉を交わす。それから宿を二、三カ所回って部屋を取った。


 昨日、一昨日、それから先日と雷韋は夢見が悪く、うなされている。別々の部屋になるより、二人部屋になる方がいいと陸王は踏んだ。雷韋はいつもの通り、二人別の部屋になると思い込んでいたようだが、陸王は言った。


「お前はこのところ夢見が悪くてうなされている。今夜もそうならんとは限らん。一緒の部屋にした方がいいだろう」

「それなら余計だよ。あんたは昨日、寝てないんだろ? 俺が起こしちゃったからさ。だったら……」

「それでいいんだ。お前に何かあったら、俺にも何かが起こる。逆に安心出来ねぇんでな」


 陸王は雷韋の言葉を遮って言ったが、雷韋は申し訳なさそうに俯いた。


「ごめん」

「いい。そら、部屋に行くぞ」


 陸王は鍵に付けられた番号札の数字を見遣って、階段を上がっていく。そのあとに雷韋も続いた。


 解錠して部屋に入ると、昨日までの宿と比べるて、そこは少し広かった。それでも置いてあるものと言えば、二台の寝台と二脚の椅子と卓に、洗面台とその上に置かれた洗面器に水差しだけだが。広さはあるものの、置かれているものはほかとなんら変わりない。


「雷韋、晩飯まで少し寝るか?」


 そう声をかけると、雷韋は頷いた。


「眠い。少しでいいから寝たい」

「気分の方はどうなんだ。あの感覚は?」

「うん、今はない。今なら眠れそう」


 それに頷き返し、


「そうか。なら、寝ちまえ」


 陸王は片方の寝台に腰をかけて言った。


 雷韋はもう片方の寝台前で外套を脱ぎ、腰から荷物袋を外すと、足だけで靴を脱ぎ去って寝台の中に潜り込んだ。枕に頭を乗せたが、その上から上掛けをばっさりと被る。


 おそらくは明るいのだろう。まだ太陽はそこそこ高い位置にあって、夕暮れではないから。


 その様子を陸王は眺めていた。昼寝をするだけでも、また夢を見るかも知れないとして。他愛のない夢ならいいが、悪夢が続いているから気になった。


 だが、不安はすぐに一掃された。


 雷韋は規則正しい寝息を立てている。暫く様子を見ていても、呻き声の一つもなかった。そっと上掛けをずらして寝顔を盗み見たが、苦しそうな表情もしていない。実に健やかな寝顔だった。


 それを見て、陸王はようやく旅装をく気になった。


 旅装を解いて、陸王も横になる。起きていても構わなかったのだが、今夜もまた雷韋はうなされるかも知れない。そして、眠れない夜を過ごすことになるかも知れないのだ。ならば、休めるうちに休んでおいた方がいいだろうと思う。


 横になって目を瞑ると、睡魔はすぐにやって来た。それにいざなわれるように眠りの淵へと落ちていく。そのまま夢も見ずに、暗黒の中へ──。

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