第六章

続く悪夢 一

 その夜、またしても陸王りくおう雷韋らいの苦しげな声音に目を醒ました。雷韋は苦しげに顔を歪めて、必死に陸王の名を呼び続けている。


 一体どんな夢を見ているのかは知れないが、陸王はすぐに雷韋の元へ行き、頬を張ったり、肩を揺さぶったりして無理に目を醒まさせた。


「陸王」


 呆然とした声は震えて、息も上がっている。


「大丈夫か? またうなされて、今夜は俺の名を呼んでいたぞ」

「陸王、よかった。無事だ」


 震える声で言って、息を吸い込むとき、まるでしゃくり上げるような息遣いになっていた。


「なんだ。泣いてるのか?」


 そう問えば、


「泣いてないよ」


 半泣きのような声が返ってくる。月明かりの中で見ても雷韋は涙の一粒も零していなかったが、声だけは泣いていた。


「どうした。酷い夢だったのか?」


 雷韋を落ち着かせるように宥めて問うが、雷韋は世界を遮断でもするかのように目を瞑ってしまう。仕方なく陸王は雷韋の寝台に腰をかけ、そんな少年の頭を優しく撫でてやった。すると、雷韋は瞑っていた瞼を上げて、陸王を見つめてくる。


「陸王、だよな?」

「ほかの誰かに見えるか?」

「いや……。でも、夢にあんたが出てきたんだ。血塗れで立ってた」

「俺がか」

「うん。でも、それが凄く辛くて、なのに安心して」

「血塗れなのに、安心したのか」


 陸王は少し揶揄からかい気味に言ってやった。すると雷韋は、こくりと頷く。


「痛々しいんだけど、あんたがいてくれて、凄く安心するんだ。なんだかよく分かんないけど、そんな夢を見た」


 そう言って、雷韋は陸王から天井に視線を移し、なのに、自分の頭を撫でる陸王の手を左手で握ってきた。


「あんたはここにいるんだ。いてくれるんだ」


 まだ僅かに震える声で言うが、頭に手が乗っていることで、雷韋の中の不安な波は凪いできたようだった。それを確かに感じて、陸王は軽く笑いながら言った。


「それにしても酷ぇ夢だな。俺が血塗れとかな」

「夢。夢だから。……でも、変な夢見た」


 言うと、吐息を落とした。


「夢なんざ、どれも変なもんだろう。夢ばかりは思い通りにいかんからな」

「うん」


 再び陸王に視線をやって、小さく頷いた。


 そこで少し間が開き、雷韋が問うてくる。


「なぁ、このまま眠ってもいいか? なんか、まだ変な感じがするんだ」

「それで眠れるなら、眠れ。ついててやる」


 雷韋は陸王の言葉を聞いて破顔した。


「よかった。断られたらどうしようと思った」

「今は余計な事を考えるな。……眠れ」


 柔らかく言ってやると、雷韋は安心したように頷いた。


「ん」


 短く返事をして、大人しく目を閉じる。


 そのまま様子を見ていると、やがて眠りに落ちたようだった。陸王の手を握っていた雷韋の手から力が抜け落ちる。陸王はその手を腹の上に置いてやると、自分の寝台に戻った。


 そのあとも少しばかり様子を窺っていたが、もう悪い夢は見ずにすんでいるらしく、呼吸も深いものになる。


 それを確認して、陸王も寝台に潜り込んだ。


          **********


 翌日、予定通り二人は斡旋所に向かった。そこで新たな仕事を探し、商人の護衛の仕事を請けた。今度は途中、村を一つ抜けて次の街までゆくというので、銀貨一枚の仕事になった。今度は四日後、つまり明後日あさって三時課さんじか(午前九時)前に斡旋所に着けばいいという。これならば明日、明後日を東町との往来に使っても、中一日休むことが出来る。この仕事を請ける際、雷韋は忘れず書類を確認した。東にはなるべく近づきたくないと思ったからだ。何もないと分かっていても、やはり気になる。書類を確認をすると、次に向かうのは南西の街だった。


 そうして仕事を請けて、その帰り、雷韋は市が立つというのを聞いて、昼までには宿に戻るからと陸王とは途中で別れて大広場へと向かった。


 大広場では、教会の周辺を避けるようにして、色々な露店が並んでいた。細工物の入れ物が並んだ店、毛皮を並べた店、食べるものを売っている店、様々だ。中には、靴を売り歩いている行商人もいた。あちこち店だらけで、その分、客となる人々も多い。雷韋は内心、鴨が沢山いるとは思ったものの、仕事を請けて金を稼ぐ手前、掏摸すりを働いたりすればまた陸王に何を言われるか分からないと、流石にわきまえた。


 色々な店を覗いて歩いて目を楽しませていたが、ふと、町の東に目が向いた。街のあちこちに商館が建ち、その近辺には商人達が集まる宿も多くなる。当然、街の東側にも商館は建ち、商人達が集まる宿があるだろう。なんとなし、それが雷韋には気になった。


 宿か商館の方へ行ってみようかと思う。今日もやって来た商人達がいるはずだ。何か新しい情報が入っていればと思ったのだ。


 陸王と妖刀のことにはかかわらないと昨日約束したばかりだというのに、どうしても気になった。



 一軒目の宿では、妖刀の噂を聞いた者はいなかった。二軒目、三軒目と回ってみたが、妖刀の『よ』の字も聞いた者がいない。だが四軒目で事態は変わった。


「さっき、『妖刀というのを知らないか』と、坊主と同じ事を聞いていた人がいたよ」

「え? それってどんな人?」

「あの格好は修行モンク僧だね。腰にも鉤爪を提げていたから間違いない」

「その人、どこ行った?」

「さてねぇ。みんなに聞き回って、誰も知らなかったのか、出て行った」

「あんがと、おっさん!」


 雷韋は宿から飛び出した。妖刀のことを聞いて回っていた修行僧は紫雲しうんだ。だが、飛び出した通りには紫雲の姿はない。市が開かれているからか、この通りには通行人の姿も少なかった。もし紫雲がいれば、一目で分かるはずだ。


 雷韋は目につく宿を片っ端から覗いていった。けれど、どこにも紫雲の姿はない。


 どこにいるのかとやきもきしながら入った宿で、目的の人影を見つけた。胴着に栗茶色の長い髪を背中の半ばで結った人影。


 紫雲だった。


「紫雲!」


 雷韋は大声で呼ばわった。と、それまで椅子にかけていた商人らしき人物と話をしていた人影が振り向く。

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